SNS
僕はそのカードをただ見つめる。
小料理屋 おあいこ屋
深堀 藍子
店の住所を見ると、思いのほか自分の店の近くみたいだ。
そんなところあっただろうか…
裏面の地図を見て納得。
昼の街と夜の街を繋ぐ、入り組んだ路地裏の一角。
味のあるお店がたくさんあって気になってても
俺みたいに、ぱっと見派手な見た目だと、
めんどくさいのが寄ってくるから敬遠してた飲屋街だ。
でも、行こうと思えば店から5分とかからないだろう。
こんな近くにいた。
初めて見かけたあの日から、
ものすごく近くにいたんだ。
いや、むしろその前からずっと…
なんだかそれだけで心がソワソワした。
同じ街のすぐ近くに、僕らは存在する。
それだけで嬉しくて…
なんだろうこの気持ち…
僕は初めて感じる気持ちに
凄くふわふわした気分になったのを
今でも鮮明に思い出せるよ。
そのカードを見ると、携帯電話の番号が載っていた。
仕事用なのかな…
そう思いながら、ダメ元でメッセージアプリで検索をした。
いた!
間違いない。
アイコンが、店の看板になっている。
もしこれが仕事用だとしても、
僕は連絡先をゲットした。
店は17時半から0時。
23時がラストオーダー。
そうか…あの日、声をかけたのが16時過ぎ。
きっとなんらかの事情で店に着くのが遅くなって
焦っていたのかもしれない。
「行ってみたいな…」
声に出して呟いていた。
でも、今日の今日で行くのは何となく気が引けた。
今度、後輩を連れて行ってみるか…
連絡先を手に入れた今、焦る必要もないだろう。
あの時、僕はそう思った。
全てが浮かれていたから。
けれど僕はその後、彼女の店に行くことはなかったんだ。
行くことができなくなった…が正しい。
今僕は、あの時の自分をぶん殴りたい。
時間なんていつでもあると思っていたあの頃の僕を。
その後、家に帰ってから、
ネットで「おあいこ屋」を検索した。
世にはびこるグルメサイトへの掲載は無かったが、
個人のブログやSNSへの投稿はちょこちょこ見つかった。
どの写真にも、彼女が着物を着て笑顔でカウンターの中にいる。
店内は小さいが、花が活けられたり、
綺麗な筆字でおすすめが書いてあったり、
僕が感じていた彼女の笑顔のような、可愛らしい店だった。
その検索の中で知ったのは、毎朝彼女は早起きをして
市場まで魚を仕入れに行っている事。
小さな店ながら、予約があれば深夜に貸切営業している事。
一体いつ寝ているんだろう…
そんな疑問を抱きつつも、
時計を見ると23時。
店はラストオーダーの時間だ。
店が閉まったら、メッセージを送ってみよう…
僕はそう心に決めていた。
それまで、またPCに向き直って店の事を調べる。
「ん?」
ついさっき更新されたらしい男性のSNSに目が止まった。
『今日のおあいこ屋は朝まで営業!金曜日まで朝までやってるって』
写真には、花束を嬉しそうに持っている彼女と
それをあげたと思われる投稿者本人ぽい男の人が写っている。
そのつぶやきを見た別の客らしき人からコメントがきていた。
『あ!女将の誕生日週間じゃん!うわーカウントダウンうらやましい!
俺明日行くって伝えて!』
え……誕生日……?!
俺はその常連たちのSNSを遡る。
そこで知ったもう一つの事実。
深堀藍子は明日…あと数十分で誕生日を迎えるという事だ。
そして、そのために今週は月曜から金曜日まで、
夕方から始発まで営業しているらしい。
それで朝には買い付けに行って、昼過ぎには仕込みに行って…
あの笑顔の裏でどれだけの苦労をしているのだろうか…
正直、身体が心配でしょうがない。
あの華奢な身体にどれだけ鞭打っているんだろうか。
なんで、今日行かなかったんだ…
明日も朝から仕事だ。
朝まで付き合うことはできないけれど、
少しでも側で見守ることはできたはずだ。
いや…まて…
まだそこまでの間柄になれてないし…
ただの二回、声をかけてきた相手に
そんなこと心配されるのは彼女だって困るだろう。
でも、それでもただ近くにいたかった。
何より彼女の大切な日。
これを逃したら一年先までやってこないのだ。
僕はギリ…っと歯ぎしりをした。
時計を見れば23時45分。
もうとっくに家からあの街へ行く上り電車は終わっている。
車で…自分の店に置かせて貰えば…
いや、でもこの時間に行くのは果たして迷惑ではないか?
一度も普通の時に行った事がない。
渡されたカードの営業時間は過ぎている。
初めて行くのがこんな深夜なんて…
結局僕はそのまま行く事ができなかった。
そして、メッセージもその日は送れなかった。
いや、当初の予定通り普通に送れば良かったのかもしれない。
誕生日と知ったのも、ネットで検索したからだ。
わざわざそれを書いたら、気持ち悪いだろう。
いや…明日の昼間に送ろう…
誕生日の話になったらおめでとうと言えばいい。
そう思った。
来年だって誕生日はくる。
その時は、一番近くで盛大に祝える存在になっていたい…
願わくば二人きりで……
え?
その想いに自分でも驚いた。
誰かとの未来を想像している自分に。
今までそんなこと一度もした事がない。
彼女が隣にいる未来…
想像してにやけた。
そうか…
今、恋してるんだ……