中編(一日目・続)
夕食後は地下室にあるという研究室へと案内された。その途中で長々と今回の研究について説明された。
「私は常々完全なる孤独というものを考えていました。回りから影響を受けず影響を与えない存在というものがあり得るのか。この食物連鎖の世界においては、人間というものは集団に属し、他の生物を食らう上位位置を占めています。しかし孤独というものはそのカテゴリーに入らないのです。どう捉えようともそれは何とも関係を持たない存在なのですから。そこで私は逆の発想により、奴を作りました。最初から何にも影響を受けていない存在がいたならば、奴自信も影響を与える個体がいない空間にいたならば。つまりは完全なる孤独を作為的に造り出せたならば!私の知りたかったものが発見できるのではないかと!」
「………はぁ」
時間にして五分以上は喋っていただろうか。ボクは集中力が欠けてしまい、およそ半分くらいは適当に相づちを打つだけになってしまっていた。
「つきました」
彼女が厳重そうな鉄製の扉に何重にも取り付けてある南京錠を一つ一つ外していく様子を後ろから眺めていた。こんなにも鍵をつける必要があるのだろうか。それとも奴とやらを逃がさないためにそこまでしなければならないのだろうか。
「どうぞ中へ」
研究室のなかは何もなかった。いや、何もないというと語弊がある。中央に横たわる一人の人間を除いて、その部屋のなかには実験にふさわしい器具や道具というものが一切なかった。
「起きろ客人が来たぞ」
「はにゃ………?」
彼女に起こされた奴は少女だった。ぼろ雑巾のような黒くすさんだ白衣を身に纏い、腰近くまで延びきった黒髪をうざったそうに払った。しかも足で。
「………どうも」
「……………………」
奴は無言のままじろりとボクを見上げてきた。視線があっただけでぞくりと背筋が凍るような感覚がした。ただ目があっただけというのに。だが、奴の目が深紅の血色に染まっていたのが関係していたのかはボクには判断できなかった。
「実験まで少し時間があります。まあ気持ちを楽にしてくつろいでいてください」
「………」
こんなところでどうやってくつろげっていうんだ。それにしても本当に何もないのに何を実験するというんだろうか。そういえば、彼女はボクにモニターをしてほしいと言っていたが、実験を観察しろということだろうか。この目の前にいるやる気の無さそうにだらんとしている奴を見ていればいいのだろうか。
腕につけていた時計で時間を確認する。11時55分。すでに日付が変わろうとしていた。室内にいては外の暗さなど確認するすべがないのだから。入ってきた扉以外には出入口がないということは、奴はずっとここに閉じ込められていたのか………?
「時間になりました。始めましょうか」
彼女も同様に腕時計で時間を確認した時だった。時間にして待機していたのが五分くらいだっただろうから、今は0時ちょうどのはずだ。今日と昨日の境目。一般的にいえば夜の始まり。人によっては丑三つ時が夜と捉えるかもしれないが、ボクにとっては夜の時間そのものだった。
奴が突然うめき声をあげたのだ。苦しいとわめくようなそんな声。地にへばりついて苦渋に満ちた表情をしていた。彼女はそんな奴の様子を確認するとうなずいた。
「モニターを頼むよ」
彼女は一言だけ残すとボクにビデオカメラをのこし、もと来た通路へと引き返していく。
「……え、あ!ちょっと待ってくださいよ。どういうことか説明して──」
「安心してください。カメラに納めてくれればそれでいいですよ」
ボクが彼女のほうを向いているときに変化していたのだろう。振り向いたときには奴の姿は変わっていた。変わり果てていた。黒かった髪は一瞬にして脱色して純白な髪へ変化を遂げた。それだけではない。何より変わったのは奴の表情だった。覇気のない顔つきから想像もつかない化け物へ。睨んでいた目は瞳孔までもが大きく開かれ、鋭く尖った八重歯を覗かせた口はいやらしく横にひいている。にたぁと笑う。笑う。嗤った。
「ギャハハハハハハハハハハ!」
そして。
持っていたビデオカメラが木っ端微塵に消し飛んだ。
加えて最後に彼女はとんでもない言葉を遺して消えた。
「これが世界と無関係の人間ですよ。つまりは完全なる自己完結の存在。それが殺人鬼です。それではおやすみなさい」
鉄の扉が閉まる重々しい音が響くと、奴はニヤリと笑った。
中編、後編へと続きます。
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