寝坊
歯磨きを終えて横になると眠気がおそってきた。疲労感もある。明日は朝4時に起きなければならない。エキストラに応募しているからだ。時計を見ると夜中の1時だった。寝台に向かう気がおきず、コタツでうたた寝をはじめた。
ライブは楽しいものだった。田舎の海辺の住宅街にるカフェ。そこに東京からバンドの人を招待している。年上の知人の誘いで見に行ったのだが、そこには私が触れたことのない、華やかな世界があった。カラフルなワインボトルが並び、店内の一番目立つところに、海賊船の船長が運転する大きな歯車が飾ってあるのが、楽しげだった。私はチケットを受け付けに渡し、コーラを注文した。
とりあえず、後ろの隅のほうの座席にひっそり座った。すると、歌い手の知人が声をかけてきて、私の腕を引っ張った。前の見学席にいってみてはどうだ、と。一度目は断ったが、つい流れに押されて、いつのまにか最前列に座っていた。気まずかったが、店員がサッとコーラを置く机を用意してくれて感心してしまった。
出演者の歌声はみな素晴らしかった。知人が歌い終えたときは派手に拍手した。前の席だから、首を上げて顔を見るのがやっとだったが、控えめではあるが、他の客に合わせて手拍子もやってみた。東京からきた歌手は見た目もオシャレで、聞きなれない標準語が印象的だった。
すべてのステージが終わり、私はあたりをさりげなく見回してみた。店のスタッフと歌手が楽しげに談笑したり、客もまだ残って話をしたりしていた。すぐに店を出るのもしっくりこなかったが、何もせずそこにいるのも変だと思ったので、とりあえず外に出た。
駐車場から客の車が帰っていく。私も自分の車のエンジンをかけ、一度、店内に目をやった。まだ中に人が大勢いて、店の明かりが、きらびやかな光を放ち続けていた。
私はもうこのときに明日どうするか、決めていたのだろうか。あきらめ、というか、なにか満足感に近い、安堵した気持ちともゆうべきなのか、不思議な感覚だった。
私はハキハキとなる。たしかにそうだ。だがそれは、芸能人になるということではないような気がした。今の私に、華やかな世界はもう、私を縛るものではなくなった気がした。
目が覚める。時計を見ると午前11時をまわっていた。エキストラの集合時間は朝の8時だが、当然、間に合うはずがない。スマホを見てみても、担当者からの連絡はなかった。むりもない。100人を超える大規模撮影なのだから、一般人が一人来ないといって、誰も気にも止めないだろう。
きのう感じた不思議な感覚はまだ残っていたが、あれだけみんなにエキストラに行くことを得意に言った手前、なんと言えばよいのか。すぐには思いつかなかったが、私はスマホを手にとり、LINEをひらいた。親指で画面を叩き、文字を打ち続けた。
小雨が降る休日は、どこかいつも通りで、でもどこかが、違っていた。