第七話『面倒な転入生』
生たちがその部屋に着くと中は騒がしかった。中で誰かが話して、しかも盛り上がっているようだった。
耳を澄ますとそれが生の知っている相手だと分かった。
片方は男の声、もう片方は女の声だ。
生は躊躇いなくその部屋の扉を開けるとそこにはやはり見知った相手がいた。
「よお」
部屋にいたのは体格のいい男子と薄桃色の髪の毛を持つ赤目の少女だ。
声をかけてきたのは体格のいい男子の方だ。
名前は交田熊。生とは学園の一年の頃から付き合いのある友人に相当する人物だ。
「………何やってんだ、お前?」
「風紀委員の手伝いだが?」
熊は基本的に善人、というか単純に誰からも信頼されるいい奴だ。性格柄、困っている人を見過ごすことが出来ず、悪事を嫌っているので風紀委員とは接点を持つことが多々ある。
正義漢という意味では不良である生とは相容れないはずだが、この二人が争ったことがあるのはそれこそ出会った当初くらいのものだ。
今ではお互いのことをそれなりに理解しているので突然殴りあいになることはない。
「なんでこんなときに限っているんだよ。てかお前、進学するんじゃなかったか?こんなところで油売ってていいのかよ」
どこの高校でもさすがに十一月となれば受験勉強を始めてなくては遅い時期だ。
熊は学園でも屈指の優等生なので目指す大学もトップクラスだった。それこそ今は忙しくて追い込まれていてもおかしくはない。
「それなら心配ない。昨日推薦で受かったばかりだからな」
しかし向上心が高い熊は生とは違い、部活の柔道でも全国大会に出られるくらいの実力者だ。単純な学力でも相当なものを持っている熊がこの時期に受験を終えていても不思議ではない。
「それより聞いたぞ、生。お前はやはり根はいい奴だな」
「知らん。何の話だ」
生は知らぬふりをするが、熊の隣には昨日の少女、空が存在している。ほとんどの話は空から引き出したあとだろう。
「ここにいる春野さんの手助けをしたんだろう?」
「………成り行きだ」
咄嗟に良い言い訳が思い浮かばずに視線を反らして誤魔化す。
手助けというのは空に対して探していた人を教えたことだろう。手助けという手助けでもないし、生からすればあれは必要なことだった。
しかしそれを馬鹿正直に話しても信じるわけがない上にそもそも話さない方が都合が良い。
「それでも手助けには代わりない」
生の内心を知らない熊は純粋に生が手助けをしたことによって評価を少し上昇させていた。
「なんだ、先輩がまた失礼を働いたものだと思ってました」
飛鳥は当たってほしくない期待が外れた落胆半分、特に何もなかったことに対する安堵半分といった様子だった。
「さすがに毎度毎度同じことはやらないだろう。生にだって自分自身で譲れないものくらいはあったんだ。いくらなんでも無意味に問題を起こすような奴ではないだろ」
「まあ、気紛れですかね」
「そうだろうな」
「………」
思いの外、散々に言われているが、生はむしろ周りの自分に対する評価が高いことに驚いていた。熊に関してはある程度互いの理解が得られているので低すぎることはないと思っていたが、飛鳥は風紀委員関係で普段から世話になっているため、少なくとも良い印象は受けていないと思っていた。だからと言ってそれを直す気は全くないが。
「それで春野さん?は先輩に用があるんですよね」
飛鳥は一人蚊帳の外になっていた空に声をかける。
すると空はこくりと頷く。
「私、明日からこの学園でお世話になるんですけど、ここのこと教えてもらえませんか?」
「他の奴に頼め」
生は即座に断った。
しかし空は食い下がる。
「私はこの街に知り合いがいないんですよ」
「俺に頼むくらいならここにいる奴に頼め。俺よりよっぽど頼みを聞いてくれるぞ」
生は飛鳥と熊のことを指差す。
熊は基本的に困っている人を見過ごせないので頼まれたら大抵のことは断らない。
飛鳥は風紀委員だが、性格上よほどのことがない限り、断ることはないはずだ。
そう思って指差してみたが、二人揃って渋い表情を浮かべた。
「あー、すまん。俺は先客があるから無理だ」
「先輩に任せるより私が行った方がいいのは分かりますけど、私は普通に授業あるので出来ないです」
「ということで、東乃さんにお願いできますか?」
空は二人が無理だということがわかって生に話を振る。
「………教師に頼め」
「先輩、その教師から託されたので多分私たちでやれってことだと思います」
「………」
苦肉の策で出した案も飛鳥によって却下され、生は沈黙する。
代わりに空はニコニコと笑顔になり始めている。
「………俺にやれと?」
「心配ですけど、お願いします。このまま放置という訳にもいかないので」
「頼んだぞ、生」
熊と飛鳥は生に後を任せようとする。
飛鳥は正直、生に任せるくらいなら自分でやった方がいいと思っているのだが、自分はまだ二年で授業もある。今は昼休みでここに来ているだけなので別に暇なわけではない。
しかし空は飛鳥ではなく、生に案内をして貰いたい様子でやけに食い下がろうとしている。
そんな中で無理に自分が放課後に案内するとは言えなかった。
「………ち」
生は舌打ちした。
ただでさえ、面倒なことは嫌っているのに、春野空という少女にこの学園を案内するという生にとっては利益にもならないことをやらなくてはならないという状況に心底うんざりしていた。
ただ、やらないわけにもいかない。
この部屋にいるということはつまり、ここの担当教員は少なくとも関わっている。
今、生たちがいるのは応接間ではない。そもそも応接室を作らなかったせいで訪問者は基本、生徒会室か風紀委員室、あるいはその他の部屋を使っている。
生たちがいるのはカウンセリング室だ。
担当教員が不在だが、鍵が開いているということは許可は得ているということだ。
それは要するに最終的に生に出番が回ってくることを見越しての事であり、生はここの担当教員の命令に逆らうことは出来ない。
逆らえば、後ろ楯になるものをなくし、退学。ユキとの約束を果たせなくなる。
それだけは生にとって最大限に回避しなくてはならないことだった。
「それじゃ、お願いしますね」
空は黙っている生を見て肯定と受け取った空は生の腕を掴んで部屋の外に出る。
生は仕方なく学園の中を案内する羽目になった。
*
「ここが教員室」
「ふむふむ」
*
「あれが体育館」
「なるほど」
*
「こっちが食堂」
「はい」
*
「それで………」
「あの東乃さん?」
「………あ?」
生は適当にこの時期から三年でも使いそうな場所を適当に案内して回ると空が口を開いた。
「案内して貰えるのは良いんですけど、もっとこう他に場所はないんですか?」
「………例えば?」
生は一応聞き返したものの、この時点ですでに面倒になっており、例え言われても場所だけ言って後は空に自分で行って貰おうと思っていた。
「東乃さんがよく使う場所とかは………」
「なんでお前に教える必要があるんだ」
生は顔をしかめて嫌そうな表情を浮かべた。
一応あった。今でこそ使っていないが、冬華がいた去年はよく使っていた場所があった。とはいえ、生にとってはこの学園で行けない場所はない。
どこの部屋も設備も合鍵を作成してあるので入ることは出来る。
「ですよねー」
空は予想していた通りだと苦笑していた。
そんな様子に生は春野空に対しての警戒心を少しだけ弱めたのだった。