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ハルノソラ  作者: 弓原優歌
春を告げる者
3/13

第二話『無感情な先輩』

 生は学園を出ると真っ直ぐに帰るのではなく、駅前の方へと向かった。

 この辺はほとんど住宅街でスーパーやモールは全部駅前のロータリー周辺に集約されている。そのため、駅前は都会並みにビルが立ち並んでいるちょっとしたビル街のようにも見える。

 生の住んでいる街、若戸市では基本的に駅前に来れば大体のものは手に入る。むしろ駅前以外はほぼ住宅街でろくに店がないので駅前まで来る必要がある。

 若戸市は土地の七割以上を住宅地が占めており、マンションやアパートが数多く建てられている。一体どこから金を捻出しているのかと聞きたくなるほど年中至るところで増築していたりするので住める場所は年々増えている。

 そのおかげで人が居なくなっている家というのも数多く出来ている。

 それが旧市街だ。

 若戸市は決して人口が多い街ではない。せいぜい十三万人もいれば良い方だろう。かといって移住者が多いわけでもない。

 そうなると当然供給量に対して需要量が少なくなっているために余りが出てくる。その余りが一ヶ所に集中しており、それが今では旧市街と呼ばれている。

 とはいえ、多いなら作るなよという話ではあるのだが、これがそう簡単にはいかない。

 旧市街と呼ばれている地区は確かに今は使われてはいないのだが、つい数年前までは普通に人が住んでいた地域なのだ。今でこそほぼ完全に廃墟と化してあまり外聞の良くない連中の溜まり場となっているが、まだ水道も電気もガスも通っている。誰も使おうとはしないが、住もうと思えば十分な設備が整っているのだ。

 それなら何故誰も住んでいないのか。

 その理由は現市長が旧市街を封鎖したからだ。非常に危険なものが地中深くに眠っているため、安全のために住民に立ち退き勧告をしたのだ。しかしながらその非常に危険なものというのが何なのかという説明は一切なく、当然立ち退きを拒んだ人もいたはずだが、旧市街には現状誰かが住んでいるという記録はないらしい。全員が新しい家、あるいは市外に移り住んだ。

 実際、旧市街には人は住んでおらず、いるのは表では顔を上げて歩けないような裏の人間ばかりだ。例えば、生のような。

 生は駅の方へと向かうと駅の人が大勢いる場所からは少し逸れて路地の隙間にある小さな喫茶店へと入る。

 喫茶店の中に入るとそこはごく普通のカフェだ。カウンター席が五つ、四人がけテーブル席が三つの実に小さなカフェだ。

 しかし中には人が一人もいなかった。お客さんどころか従業員の一人もいない。従業員の一人は生なので午前中は別の人物が店にいたはずだ。

 ただ、姿が見えないことからおそらく店の奥にいるのだろうと判断して生はカウンターの内側に入り込むと上の棚を開けてそこかた茶色い瓶を取り出す。

 酒だ。

 一応説明しておくが、生は今年受験がある学年なので高校三年生で肉体年齢は十八歳だ。法律上はまだ酒を飲んで良い年齢ではない。


「やってらんね………」


 生は酒の瓶の口にはまったコルクをきゅぽんっと抜き取るとその口を瓶に近付けた。

 しかし生の口が瓶に接触することはなく、その代わりに顔に固定されたような無表情を浮かべて生のことを見ている少女の姿があった。

 生は少女のことを見ると不機嫌そうに顔を歪めた。


「………んだよ」


「んだよ、ではない。君はまだ未成年じゃないか。お酒は駄目だよ」


 そう言って少女、始関しせき冬華ふゆかは生から瓶とコルクを静かに奪い取るとしっかりとコルクをはめて元あった場所に瓶を戻してしまう。

 冬華はこの店にバイトとして働いている一人で普段は午前中の店番だ。冬華はすでに学園を卒業しており、今は浪人生として一日の大半を勉強に費やしている。別に冬華の成績が悪いということではなく、本人は受験の疲れで本番に失敗したんだろうと言っていた。冬華には卒業前四ヶ月ほどの記憶が抜け落ちてしまっているらしく、それを受験の疲れだと思っている。事情がありそうなのは誰の目にも分かったが、特に誰かが問い詰めていることはなかった。


「それにしても今日は早かったね。どうしたんだい?」


 生は普段、もっと遅い時間にこの店に来ているのでそれを不思議に思ったのだろう。


「二代目が面倒事持ってきそうだったから出てきた」


「ああ、なるほど。水沢さん、だね」


 冬華は状況を察してか、苦笑する。

 生が二代目と呼んでいる少女は水沢みずさわ飛鳥あすかと言って冬華とも面識がある。そのため、飛鳥についての人間性もそれなりに理解しているので生が早く来た理由をなんとなく察した。


「手伝ってあげれば良いじゃないか」


「誰が好き好んでやんだよ。俺はお前みたいに善人じゃねぇ」


 生は心底面倒そうにカウンターの席につくと肘をついて入り口の方に目を向ける。

 しかし入り口のある通りはそもそも人通りがないため、この店に入ってくる人もいない。何でこんな場所に作ったんだと言わんばかりに凄まじく立地が悪いが、この店の経営者は何か改善をするつもりも一切ないらしい。


「そうかい?まあ、僕を善人と評価してくれるのは嬉しいけどね」


「皮肉ってんだよ」


「そうだったのかい?」


 冬華はそう言って笑顔になる。花が咲いたような、ではなく、人を小馬鹿にしたような作り笑いだ。皮肉っていたことにも気がついていたはずだ。


「てか、店番は?」


「どうせ誰も来やしない、というのは誰の言葉だったかな」


「………」


 生は話を反らして今まで冬華が裏にいたことを指摘したが、以前自分が冬華に言ったことを出されて口を閉じた。

 ただ、言っていることは事実だ。

 ここはあまりにも人が来ない。駅近くではあるが、立地が悪いせいで人の目につくことがなく、店自体もどことなく陰湿な雰囲気があるので普通の人が入るには躊躇われるのだ。しかし、ここの経営者に改善する気が一切見られないためにこの状態が維持されている。


「実際、人なんて来たことないんだけど」


「まあな」


「僕としては毎月働いた分の給料は貰ってるから申し訳ない感じだよ」


 それでも給料だけは毎月きちんと支払われているのだから不思議な話である。一体どこからお金を出しているのか、生も知りたいところではあるが、そこまで興味のある話でもない。


「なら貰わなきゃいいだろ」


「貰わないと君が取ってお酒を買いに行くだろう?」


 冬華は生の方を見て言う。

 以前、冬華が給料を貰うことを拒んだ際に生がまるごと貰って全部酒を買うことに使ったことを言っているのだろう。生は話をした覚えがおそらく冬華の友人にでも聞いたのだろう。浪人生とはいえ、交遊関係はかなり広く今でも付き合いがあるらしい。


「別にいいだろ」


 生はどうでも良さそうにもう一度棚から酒を取り出そうとするが、冬華にその手を押さえられる。


「良くないよ。この前だって泥酔して店の前で倒れてたじゃないか。あのままだったら君、凍死してたかもしれないんだよ」


「俺は死なないから大丈夫だ」


「またそんなこと言って………」


 冬華は呆れて物も言えないようだった。しかし、身体はしっかり動いているようでその手を生の手を放さない。

 以前は風紀委員に所属していたからなのか、少しだけ力は強い。特に冬華は問題を起こした生徒を捕まえる役割をしていたのか、やけに他人を抑えることを得意としている。

 それもあって普段から暴力沙汰を起こしていた生も冬華には敵わない。


「放せよ」


「嫌に決まってるじゃないか。第一、君が本気になれば僕の手は退かせると思うんだけど?」


「………ち」


 生は諦めて腕の力を抜いた。

 それを確認すると冬華の手も退けられて、冬華はエプロンを取り出してきて身につけた。

 今から店番を始めるらしい。とはいえ、こんな店に来る人なんて本当に一握りだ。

 生は冬華と同じようにエプロンを着けることはなく、カウンター席の一つに行儀悪く座る。

 冬華は生がカウンター席に着いたのを見ていたが、特に気にした様子もなかった。冬華にとってはいつもの光景だ。

 生は別に好きでこのバイトをしているわけではない。

 何か理由があってここに身を置いているのだと冬華は聞いているが、それ以上のことは知らない。ただ、並大抵の事情ではないとなんとなく感じてはいた。

 自分でも何故かは分からないが、冬華は何か違うと直感的に感じていた。しかし、それを解き明かそうと思ったりはしなかった。


「………おい」


 しばらく二人の間に沈黙が浮かんだが、先に口を開いたのは生だった。


「なんだい?」


「いとこ煮」


「またそれかい?」


 生の言葉を聞いた冬華は項垂れてため息を吐いた。


「あんだろ?」


「あるけど。君が毎日のように食べるからある程度材料は買っているし、それに事前に作り置きもしているからね」


「じゃあ出せよ」


「僕は君の召使ではないんだよ?出してあげるけど」


 そう言って冬華は厨房の方まで行って冷蔵庫に鍋ごと入っているカボチャのいとこ煮を取り出して温める。


「君、これ好きだよね」


「別に」


「毎日毎日飽きもせずよく食べるよ」


「週六だ」


「似たようなものだよ」


 冬華はいとこ煮が温まると適当な皿に盛りつけて生にスプーンと一緒にそれを出す。


「はい、召し上がれ」


 生はそれを受け取ると無言で食べ始める。

 黙々と食べ続ける生の前で冬華はじっと動かなくなる。

 しばらくして生が食べ終わると冬華は何も言わず、皿とスプーンを回収する。そしてそれをすぐに洗って生の元へと戻ると今度はカウンター席の一つ、生の隣に腰掛ける。

 冬華の隣で生はボーっと外の景色を見ていた。


「君は暇そうだね」


「………そうだな」


 生は冬華の言葉を聞いて少しだけ残念そうな、辛そうな表情を浮かべたが、冬華にはその意味が分からなかった。

 冬華にとって東乃生という人間は不真面目でどうしようもない愚か者、そんな認識だった。実際、生は昔から街に出ては他人と暴力沙汰で問題になったり、未成年飲酒を日夜していたり、学園でも類を見ないほどに問題ばかり起こす生徒だった。

 ただ、一年前・・・、とある事件を境にそれははっきり違うと分かった。

 生は本当はただ一つの目的に従って動いているだけなのだと。

 正直言って、その目的でさえも冬華には理解できなかった。いや、言葉上の意味は理解しているが、その目的を実行する気持ちが分からなかった。

 知っているが、理解できない。

 だから生は残念そうな表情を浮かべるのだ。


「お前は———」


 生は口を開こうとして、やめた。

 言ったところで変わらないことを知っていたからだ。どうせ意味がない。


「なんだい?」


「………何でもない」


 生はぶっきらぼうに言うと店を後にした。

 冬華は暗い店の中にまた一人、取り残されてしまった。

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