第九話『不良二人』
熊と別れてすぐに生は出来れば遭遇したくない相手と出会っていた。
「………あ?」
「あ?」
出来れば遭遇したくないというのは遭遇したくないはないが、遭遇した方が都合のいい相手という意味だ。普段から誰とも会いたくない上に会話も会いたくない生にとっては出来ればというのはほとんど仕方ないからした方がいいの部類に入る。それ以外は全てしたくない、である。
「………ち」
「いや、舌打ちすんなよ」
「うるせえよ」
生が舌打ちしたのは若葉だった。
この寒い中でわざわざ駅前のベンチに座って缶コーヒーを飲んでいるとは変わった人物だ。おそらく特に用事もなく、ここにいるのだろう。
二年である萌黄を待つにしてもまだ三時間以上も空き時間がある。それまでの時間潰し、あるいはただ単にここにいるだけなのだろう。
そんな若葉を生は目を細めて見つめる。
「なんだよ、生」
しかし他人にはそれが威圧しているように感じられ、若葉は仰け反る。
若葉は度胸は人一倍あり、恐怖しているというよりは驚いているようだ。
「昨日のあれ」
「あれ?萌黄のことか?」
「あのちっこいのだ」
例によって例のごとく、生は萌黄の名前を覚えていない。
印象は小さいことだけしか残っていない。小さいことだけ覚えていたのは生の周りに小さい人がいなかったからであり、別に萌黄を覚える気があったわけではない。
「なんだったんだ?」
「………萌黄の行動って意味だよな?」
「それ以外に何があんだよ」
生は視線すら合わせずに若葉の隣に腰かける。
すると若葉は少し嫌そうにわずかに距離を取る。同時に生の言葉に呆れていた。
「東乃の言い方で分かるのなんて始関先輩くらいだろ………」
「………いや、あと二人はいる」
ユキともう一人。その二人だけは生の話し方でも言いたいことが察せているはずだ。
一緒にいる時間が長い人ほどその傾向は大きい。
冬華は三年かそこらを学園で過ごしたくらいだが、他の二人は意味は違えどほぼ産まれたときから一緒にいる相手だ。時間の長さが違う。
「それでも三人だろ?つまり分からないんだよ」
「………そんなことはどうでもいい。今はのちっこいの行動だ」
生の交遊人数から考えればむしろ三人もというべきなのだが、そもそもそれでは比較対象がおかしい上に三人に選ばれているメンバーもかなり特殊な事情を抱えているので別枠と考えるにが妥当だ。
無論、若葉がそんなことを知っているはずはないが、わざわざ言うようなことでもない。話がややこしくなる前に終わらせて、早々に帰りたかった生にとっては話を伸ばす方よりも話を元に戻す方がよかった。
「昨日の萌黄、ねえ………」
若葉は生の言葉を聞いて考え込む。
「あたしもよく分かってないんだけど………」
若葉がそういった瞬間、明らかに生の様子が悪くなる。
「………落ち着けよ。全部を知らないってだけだ」
「………ち」
生は舌打ちしたものの、一度落ち着く。
「東乃って去年のクリスマス祭に出てただろ?」
「………なんでお前も知ってる?」
熊から出た言葉が若葉からも出て思わず、生は顔をしかめた。
「そん時に一体何やってたんだよ?救急車とか来てたんだぞ、あれ」
「………ああ、あれか。まあ、ちょっとな」
生は思わず言葉を濁した。
去年のクリスマス祭。思い返せば、確かにあの日は色々ありすぎた。あそこに出ていかなければ、冬華に迷惑をかけることにもならなかっただろうが、過ぎてしまったことを気にしてもどうしようもない。
若葉が言っているのはクリスマス祭で起こった乱闘騒ぎのことだろう。
その時の乱闘騒ぎは生が起こしたものではなかったが、結論から言えば、あの事件が生が多く知られ渡る原因であることは間違いない。
若戸市には比較的、破落戸が多い。旧市街の方にいけばすぐに会えるレベルで治安は悪いだろう。今の駅前は治安がかなり整備されているからましではあるが、影では悪どいことを平気でやっているところは数多く存在する。
そのお陰と言うべきか、乱闘騒ぎの時はおそらく三十人前後の破落戸が殴り合いや蹴り合いをしていた。生もその中に巻き込まれる形で参戦して単独で十人以上も叩き潰して問題の中心に祭り上げられたのだ。
迷惑極まりない話だ。
「あん時に結構屋台とか周りも気にせずにやりあってただろ?」
「俺は周りは見てたぞ」
「………周りにも結構被害が出てただろ?」
「そうだな」
「そん時に萌黄もその場にいたらしいんだよ」
生は周囲の状況なんて確かめてはいないが、喧嘩するに当たって障害になりそうなものを確認はしている。
確認するのとしないのとでは後々攻撃のしにくさが変わってくる。
「で、萌黄は恐怖で踞ってたらしいんだよ。それで動けなくて固まってたら東乃が助けに来てくれたんだとさ」
「………美化されてるだろ」
「………助けたことは否定しないのかよ」
「知らねえよ。あん時はいらいらしてたんだよ」
生の言うとおり、その当時は生は相当イラついていた。
理由は冬華にクリスマス祭に参加させられたせいであり、やりたくもないことをわざわざ休日にやらされたからだ。
そしてその仕事の休憩時間にふらついていたら殴り合いに巻き込まれた。憂さ晴らしも兼ねてその辺にいたどう見ても破落戸にしか見えない相手を適当に殴り倒していた。
その周囲に何がいたかなんて生は覚えていない。
「そもそも一年前のことなんて俺は覚えてない」
「クリスマス祭は覚えてじゃねえか」
「些事を覚えてないって意味だ。お前だってそうだろ」
むしろよく覚えている方だとでも言いたそうな表情の生は若葉を睨む。
誰も一年前のことを覚えていないのだから生はましな方なのだ。いくらそれがこの世界で定められている条理だとしても。
「まあ、いいや」
生は背を向けてその場を立ち去ろうとする。
「もう行くのかよ?」
「それ以外に用はないしな」
「………そうかよ」
若葉はそう言うと興味を失ったように生から視線をはずし、缶コーヒーに口をつける。
そんな若葉の姿を見るまでもなく生はその場を離れていた。