第二章 成田基地で昼食を
44年4月、空軍少佐立花翔子は新型機試験のため成田基地にやってきた。
そして久しぶりに親友の沢渡さくら大尉と再会し、新しくなった成田基地の食堂へ案内されて──
今回は親友2人の仲の良さを描いたものになります。
第二章 成田基地で昼食を
正午少し前、翔子を乗せた『0式軽貨車』は成田基地正面入口に到着した。
もし鉄道を使っていたら乗り継ぎの関係で、30分程は余計に時間が掛かっただろう。
翔子は運転手役の若い整備班伍長(と言っても翔子よりは少し年上だが)に礼を言うと『0式軽貨車』から飛び降りた。
「さて、ここからがまた大変なんだよねぇ」
翔子は強張った体をほぐしながら、自分を送ってきてくれた車が茂原基地に帰っていくのを見送ると、改めて成田基地の入口に目をやった。そしていつもと同じ感想を抱く。この基地は大き過ぎるんだよ、と。
航空隊の基地は必然的に大きくなる。長大な滑走路と多数の飛行機を駐機しておくスペースがあるからだ。
茂原基地だと1500m級が2本と1200m級が1本の滑走路があり、701・702両航空隊合わせて100機近い飛行機(ま半数は練習機だけど)を有するため、総面積は270万㎡に達する。
しかし成田基地はそんなものではない。5000mと言うとんでもない長さの甲滑走路2本に、少し短いがそれでも標準的なものの倍はある3000mの乙滑走路が3本と、ケタ違いな大きさがあるのだ。
これは将来航空機の性能が向上し大型化した際に備えてとか、民間との共用空港へ移行するためだとか言われているが、現実的には万が一攻撃を受けた際、完全に機能を失わせないためらしい。
これだけ広ければ余程の大部隊の攻撃を受けなければ、滑走路を完全に沈黙させられはしない。帝都防空の要として機能し続けるため、敢えての大きさであった。
まあ5000mの滑走路なんて現時点では不必要だから、それを3つに区切り30°の角度を付けて、1500m3本の滑走路として運用している。こうする事で多数の飛行機を同時発進させる事ができ、特に迎撃時には有効と考えられていた。
成田基地の大きさについてはこれくらいにして、大きいと言う事は目的の場所までの距離も遠くなると言う事である。
ここがいくら正面入口だからと言って、司令本部のある建物までは1㎞近い距離があった。車で送ってもらう事もできたが手続きが面倒で、伍長に悪いと思ったから、翔子は歩くと決めていたのだ。
とはいえ1㎞である。営舎や倉庫の脇をのんびり歩いて約15分。話し相手でもいればあっという間かも知れないが、1人で歩くには充分長く感じる距離だ。もっとも飛行機好きの翔子であれば、様々な飛行機が見られるだけでも楽しめるけれど。
翔子は正面入口の警衛司令に話を通すと、すんなり中に入れた。ちょくちょく来ているものだからその警衛司令とも顔馴染みとなり、半ば顔パスである。そして司令本部のある建物へ歩き出そうとすると、その時丁度正午を告げるサイレンが鳴り響く。翔子が「お昼何かなぁ」などと歩きながら考えていると、進む先に人影を見つけた。
「翔子~!」
嬉しそうに右手を振り降り駆け寄ってくる若い女性。翔子の親友で成田基地試験飛行隊正式名571飛行隊所属の沢渡さくらだ。
翔子が成田に来る際には、このように必ず迎えに来る。いつもは軽く握手などをし、ちょっとばかり近況を話すだけですぐにテストに入るのだが、今さっき正午を回り休憩時間に入っていたから、今日の歓迎はいつもより大袈裟なものになった。
さくらは翔子に飛びついて昨年末以来約4ヶ月ぶりの再会を体一杯で表す。その光景は近くで見ていた兵達を少しドキドキさせる程だった。
「翔子~、久しぶり~。最近全然来てくれなかったから淋しかったよぉ~~」
普段はもっと大人っぽい口調で話すさくらなのだが、今日はなんだか甘えた感じになっている。抱きついたまま離してくれないし。まるで弟妹が生まれて母親を取られたと感じている幼子のように、子供返りしたかのようだ。
そんな親友の姿に驚きを隠せない翔子。何かあったのかと心配になってくる。
「どうしたの、さくら。他の隊員からいじめられた? それとももっとひどい事……」
「そんな事ないよぉ。571だけじゃなくここの人達はみんな優しいし。ただ他に女のパイロットがいないから、話し相手がいなくて淋しいだけぇ」
「ちょっと待ってよ。成田基地には結構な数女性隊員がいるし、女性パイロットなら703があるからいるじゃない」
確かに成田基地にはレーダー手や通信手として他の基地の手本となるよう、多数の女性隊員を採用しているし、『703』というのは空軍で民間用女性パイロット育成を行う703特殊飛行隊の事で、ここには701・702飛行隊を足したより多くのパイロット候補生がいる。
その存在も無視し、自分の心配を食い気味に否定したさくらの言葉の後半がやたら引っかかり、翔子は訳分からないとばかりに聞き返さずにいられなかった。
しかしさくらは親友の疑問を意にも介さず、
「確かによく話す人は何人かいるよぉ。女の子同士の会話をする相手ならね。それはそれで楽しいんだけど、でも誰も飛行機の突っ込んだ話とかできないから、正直それだけじゃ物足りない。翔子や701のみんなと話してる方がよっぽど楽しいんだよね」としれっと言ってのけた。
「何よそれ」
それを聞くと翔子は思わず苦笑してしまった。いつもと様子の違う親友に少し心配になっていたら、なんて事はない。本人が言う通り、ただ淋しかっただけだ。
もちろん優しくまじめな彼女の周りには、大勢の人がいた事だろう。だが本音で語り合える相手がいなくて、それを淋しさとして蓄積させてしまっていたのだ。
これは翔子にとっても意外だった。
701飛行隊時代の彼女で思い出せるのは、人当たりが良く何事にも一所懸命な普通の女の子という姿で、同い年の翔子からしてもしっかりとした頼れるお姉ちゃんと見えていたのだ。
それが今、甘えんぼの妹のように自分に抱きついて甘えている。
テストパイロットの重圧が彼女を変えてしまったと考える事もできるが、多分それは一部だろう。
それよりも701飛行隊発足から彼女が異動するまでの8ヶ月という濃密な時間が彼女を変えてしまったのだ。普通の女の子から一端の飛行機好きへと。
まあそれも無理もない。あれだけ個性的な仲間達の気に当てられ、特に飛行機バカで知られる翔子と常に一緒にいたのだから、変わらないでいる方が難しいだろう。それでも連んでいたのが翔子以外だったら、ここまで飛行機好きが酷くならなかったかも知れないけど。結果、さくらは普通の女の子同士がする会話だけでは満足できなくなってしまったのだ。
よくよく考えてみれば自分が成田に来た時には、飛行機の話ばかりしていた気がする。
その頃は自分の話に付き合わせていたと思っていたのだが、さくらもそれを欲していたのだと今気付いた翔子だった。
そして現状のような事=抱きつかれ、肩に頬ずりされている状況に、流石に恥ずかしくなってきた翔子。何となく周囲からの視線も感じていた。だから──
「ねぇさくら。もう充分でしょ? 私が来たんだから、いくらでも飛行機の話でも何でもできるんだから、今はまず今回テストする機体が見たいな。いやそれより先にお昼かな。車で送ってもらったんだけど、何にもする事がなかったから、かえってお腹減っちゃって……」
と言いながらさくらの頭に手を置いて、抱きつくのを止めるよう促した。
さくらの方も充分甘えられて満足したのか、それとも何かを取り戻したのか、ゆっくり翔子から離れる。
「ごめんね、変な所見せて。でも翔子に会えたのが久しぶりだったものだから、つい嬉しくなっちゃって……それよりお昼だっけ? 何食べる? 基地内の食堂で良かったら私がおごるから」
ようやく落ち着いたのか普段の、少なくとも翔子が知っている姿に戻ったさくら。自分から翔子の体を抱きしめていた腕をほどき、親友に預けていた身を離した。ただあれだけテンションの違う姿を見せておきながら恥ずかしい素振りを一切感じさせないのは、彼女の落ち着き払った素の性格によるものなのか、単に必死に恥ずかしさを押し殺しているだけなのかは翔子にも分からなかったが。いずれにせよ蒸し返しても誰のためにもならないから、翔子も何事もなかったかのように昼食の事に話をもっていく。
「おごるって言われても基地内の食堂でしょ? あの酒保の脇にあるやつ。だったらそばかうどんか、せいぜいカレーくらいしかないじゃない」
「それが違うんだなあ。翔子はしばらく来てなかったから知らないだろうけど、成田基地では隊員の福利厚生を重視する事になって、この4月から食堂がリニューアルされたんだよ。メニューも街の食堂くらい充実しているし、味も茂原でおばちゃん達が作ってくれてたくらいに美味しい。しかも士官以上ならもっと豪華なものも頼めるんだから♪」
翔子の文句とまでは言えない否定的な言葉に、さくらはさも自分の手柄であるかのように胸を張って答えた。
確かにさくらの言う通り、成田基地では他の日本軍基地のものとは比べものにならない程の食堂が稼働し始めた。他の基地でも上級士官には一般兵とは違う専用の食事が供されている。でもメニューが選べる訳ではなく、少しばかり良い食材を用いた料理が出てくるだけだ。
その点成田基地では当然自腹とはなるが、通常配食とは別のものを自由に選んで食べる事ができる。もちろん季節や在庫の関係で提供できない事も多いが、それでも通常配食や並の酒保では出てこないようなものを食べられるのは、この基地に配属された者達だけの特権だろう。中でも下級兵士達にとっては、あらかじめコロッケなどの安いものを一品買っておいて、通常配食と一緒に食べるのがちょっとした贅沢だったりする。
「それじゃあお言葉に甘えておごられましょうか」
翔子は期待に胸を膨らませながら、さくらに早く案内するよう促した。
彼女はもう心配ない。だったら自分の腹の方を心配した方が良さそうだ。
彼女が言う通り茂原基地並みの味で、しかもメニューを選べるのであれば、それはもう街の美味しい食堂で食べるのと変わらないじゃないか。そう思うと急かさずにはいられなかった翔子であった。
ちなみに茂原基地でも福利厚生を充実させる目的で、基地内の配食を外部業者に発注する事が発足時から行われている。そこで働いている人達が通称『おばちゃん』と呼ばれる地元の女性達だ。年齢的には全然若い者もいるのだが、何故か『おばちゃん』と呼ばれていた。そしてこの試みは少しずつではあるが他の基地にも広がり、地域雇用の創出につながっている。
さて話を戻して──
さくらはそんな親友の様子に思わず笑みがこぼれる。
彼女としてはもっと翔子とおしゃべりをしたかったのだが、そんな事は食事をしながらでもできる。だったら早く親友の期待に応えてあげようと翔子の手を取り、
「それじゃあ早速ご案内いたしますか」とパイロット用食堂へ向け、足取りも軽く歩き出した。
「それで翔子は何食べたい?」
「何って言われても何があるか分からないから決められないよ」
「それもそっか。えっとねぇ……」
やはりしゃべりながら歩く1㎞は短い。その間2人が話した内容と言えば食堂のメニューの事と、お互いの近況をほんの少しだけだった。
「何っ!? さくらって大尉に昇進したの!?」
「そうだよ。今月4月1日をもってね。お手紙でも書けば良かったんだけど、お揃いになったよって驚かせたくって…そしたら翔子同じ日に少佐になっちゃうんだもん」
「えっ! なんで私の昇進知ってるの? 私だって伝えてないのに」
「それは翔子は有名人だからね、ここ成田でも噂になってる…と言いたい所だけど、昨日隊長が教えてくれたんだ。明日翔子が審査機の試験で来るけど、あいつ少佐になったらしいぞって。折角並んだと喜んでたのにまた置いて行かれるなんて、神さまってつまんない所で意地悪だよね」
「この場合は神様より上層部の問題なんじゃ…」
などなど、他愛のない会話をしている内に司令本部の隣にある目的の食堂の前にたどり着いた。
「ってさくら、食堂ってここの中なの?」
「そうだよ。パイロット用の食堂なんだから、ここしかないじゃない」
食堂はパイロット達が自主的なトレーニングを行ったり、親睦を深めるための施設が入っている建物の一角にある。翔子は成田に来るたびこの建物には寄っていたから、ちょっと拍子抜けの感もあるが、食事が済んだらすぐに司令本部に出頭できるから楽と言えば楽である。ただこの建物を知っているだけに美味しい食堂があると言う事に疑念が生じた。少なくても以前ここの酒保を利用した時感じたのは、まあどこにでもある酒保の味だったから。
そんな親友の不信感を払拭したいと、さくらはとびきりの笑顔で説得を試みる。
「まあ信じられないよね。建物自体あんまりいじってないから、信じられないのも無理ないけど、食堂の事はホントだから、騙されたと思って入ってみて、ね」
「さくらの言葉だから信じてはいるんだけどね」
そういう翔子の表情はまだ曇っているものの、親友にこれ以上気を遣わせたくないし、だから意を決して自分から建物の中に入っていく。そして建物の中、それも食堂の方へ目をやると、そこが親友の言う通り、少なからぬ変化をしている事に気がついた。
テーブルや内装などに大きな変化はない。が調理場は明らかに大きくなっており、料理を受け取るカウンターも通常配食用と注文料理用、更に酒保の一角に食い込むようにテイクアウト用のカウンターと3つに分かれ、とても軍の食堂には見えない作りだと翔子には思えた。思わず感嘆の声をもらしてしまうくらいに。
だが実を言うと調理場だって大きく変わった訳ではない。
ただ注文料理用のスペースができたために調理器具や保管庫が増え、様々な料理の香りがしてくるものだから、全然違うものに感じられたのだ。
「ね、言った通りでしょ?」
さくらが念を押すように後ろから肩に手を置いて翔子に尋ねる。それに翔子は大きくうなずきながら、
「確かに、見た目より香りが直接訴えてくるよ。ぱっと見て半分くらいの人が配食とは別の料理を頼んでいるみたいだけど、それが皆別々の料理みたいだし、私も早く食べてみたいな」と目を輝かせながら言った。
「りょーかい!」
それを聞いたさくらは笑顔で、丁度空いていた窓際の席へ翔子を誘導し、ここでの作法を説明した。まあ作法と言っても注文の仕方とか、食器の戻し方程度だが。
2人が注文したのはここ数年軍から全国に広まりだしたスパゲティ・ナポリタン。
元々このナポリタンは高級洋食店で提供されている似た名前のパスタと、フィリピンやガダルカナルで鹵獲した米軍戦闘糧食の1つである缶入りスパゲティの中間を狙って作られたもの。この缶入りスパは同地域に展開した将兵に好評で、同様のものが作れないかと各軍とも主計科に打診。パスタそのものに馴染みがなかったため苦労したが、何とか近いものを作る事ができた。しかし材料費が高く付きすぎ、戦闘糧食には採用できないと判断されてしまう。
ただお蔵入りにはもったいないと更に改良が加えられ、軍御用達のレストラン等にレシピが公開され、それが周辺の食堂等にも拡散する事で現在の形に落ち着いた。おかげで一般市民からも人気となったが、それを熱望していた将兵達もこのように自腹で食べる必要があったのだが。
それに全国に広まりだしたとはいえ、まだ大都市や海軍で言う鎮守府レベルの基地周辺にしか行き届いてないので、当然茂原基地所属の翔子は食べた事はおろか見た事すらない代物だった。
それに対してさくらは既に二度食しており、かなり気に入っていた。だからこそ翔子に薦めたのだ。しかし自分は短期間に何度もというのは何だったので、今日は未経験のカツカレーに挑戦してみようと一度は考えた。が同僚の試験隊パイロット(もちろん男性)から「かなりボリュームがあるから胃もたれに気をつけろ」と言われたのを思い出し、結局翔子と同じにしたのだった。
初めてのナポリタンを前に、翔子は先程よりも目を輝かせていた。
酸味の利いたケチャップと炒められた具材の香りが、翔子を惹き付けて離さないのだ。
「そんなに食べたかったら、私を待ってなくても良かったのに」
後から席に着いたさくらが親友のただならぬ様子に苦笑しながらそう言うのを聞くと、翔子は「そんな訳にもいかないでしょ」と言ったそばからナポリタンに喰らいついた。
それはもう年頃の女性とは思えない勢いで。
「なにこれっ、美味しいっ!」
ズッ、ズズーッと2・3口すすり、口一杯頬張り味わうと翔子は叫んだ。ここが基地内の食堂である事も忘れて。
他のパスタより柔らかめに仕上げられた麺に、よく炒められ旨味が引き出された野菜、香ばしくかつスモークの香りもほどよいソーセージ、そしてそれらを1つにまとめ上げる一工夫されたトマトケチャップ。それぞれは決して食べた事がない訳ではなかったが、これらが1つになるだけで、これ程までに美味しくなるなんて想像もしていなかったから、思わず声を上げてしまったのだ。
「フフッ、喜んでくれて嬉しい♪」
子供のように感情、いや感動を露わにする親友に、自分の好物を共有する事ができたと目を細めるさくら。親友が再び食べ始めたのを見て、ようやく自分もナポリタンを口にした。ただしこちらは慣れた手つきで、フォークに一口大に巻き付けながら。
次話に続く──
しかし出てきませんね『震電』。
本来なら今回で名前くらいは出したかったんですけど……
ただ言い訳させてもらうと、年明けすぐに風邪を引いてしまいまして、久しぶり(20年ぶりくらい?)に39℃超の熱を出してしまいました。そのためただでさえ遅筆なのに更に筆が遅くなり、中途半端な所で終わる感じになってしまいました。
ですが次話には確実に『震電』は出てきます。
ですので今回はこれくらいでご容赦ください。