第十章 6
柳生十兵衛サイド 寛永17年(1640年) 八月 仙台某村 深夜
――少し時を遡る。
狭川のおっさんの屋敷に邪魔し、茶を飲みながら伊達藩の現状を確認した。
「つまり、藩の財政は火の車って事か?」
「ええ。関ヶ原から早40年。幕府に舐められない為に兵力を維持してきましたが、さすがに限界が来てます。商人達からの借財を踏み倒すか、藩士達を大幅に減らすか、一か八かで隠し金山でも探すか、はたまた……密貿易でもやるか。とにかく、早急に何らかの手を打つべきでしょうな」
ふむ。柳生新陰流を教える為に来た剣士が藩の財政を知っている。立派に間者の役目を果たしてるようで何よりだ。
「ほっといて下され、若」
「で、お前等、剣術指南役が黒脛巾組を率いて夜の街を走り回ってるのは、攫われた五郎八姫を捜索する為と? ってか、五郎八姫って誰だ??」
「十兵衛様……」
おっさんが、はぁ、と溜息を吐く。
俺の後ろに控えてるあやめに視線を向けると、何故か苦笑いされた。
「藩祖である伊達政宗公の娘、五郎八様は大権現様の六男、松平上総介様の御正室です。上総介様が謹慎、配流となり、五郎八様は離縁されて伊達家に戻されました。噂では切支丹であると言われてます」
また切支丹かよ……。
おっさんも頷き、
「仙台藩内の隠れ切支丹が島原のように暴発しないのは、五郎八様が抑えてるからです。しかし、五郎八様が何者かに攫われたと知られれば……」
暴発する? 島原のごとくか??
おっさんが、いえ、と呟き首を左右に振る。
「今更、藩内の隠れ切支丹が決起したところで、百姓一揆に毛が生えた程度、数日で鎮圧出来るでしょう。しかし、幕府がそれを口実に領地を削る可能性は高い。となると、次に起きるのは……」
「黙ってやられはしない。城を枕に討ち死に覚悟で、せめて一太刀と?」
「ええ……」
おっさんがコクリと頷く。
それはそれで面白そうだが……巻き込まれる領民はたまったもんじゃないな。
「まあ、普通はそうですね」
「普通は? 普通じゃない展開もあるのか??」
「但馬様がその全貌を掴むよう拙者に命じたもの――政宗公の遺した秘策です」
秘策??
あやめに顔を向けると、首を左右に振った。甲賀衆も知らないものか。
「おっさんは、その秘策とやらにどこまで迫れたんだ?」
「京も……上皇も一枚噛んる可能性が高いと思われます。おそらく、建武ノ中興を再現するのが秘策の骨子でしょう」
な、ん……だと??
脳裏に京で仕えた、ある高貴な女性の姿が浮かぶ。
その方は生まれのせいで、周りの大人達から腫れ物に触るかのように扱われていた。それでも御本人は心を縛られず、おのれの魂の求めるまま自由に生きようと為されていた。
時折り、独りぼっちの一室で涙をこぼしながら……。
――あの方の不幸だけは見たくない。
「十兵衛様?」
唇を噛んだ俺を見て何を察したか、おっさんが沈痛そうな表情をする。
「建武ノ中興の再現……そんな事になったら京も戦場になる可能性が高い。絶対に阻止だな」
あやめが、具体的にはどうなさいますか、と言った。
「そうだな。……まずは怨霊と接触しよう」
「えッ!?」
幼児が、目の前に苦手な食い物を並べられたような表情だな。
そこまで嫌そうな顔するか。
……怨霊のところに行ったら、妹と尾張の麒麟児、それから権右衛門に溜息を吐かれた。解せぬ。
五郎八姫サイド 寛永17年(1640年) 八月 深夜 青葉城 神域
……無人の大広間というのは寂しい気分になりますね。
太い柱から伸びる鎖は私の右の足首に絡み付き、シンと静まり返った空気は冷たい夜気を含んで、体だけでなく心まで凍り付きそうだった。
スタスタ、と足音がこちらに近付いて来る。
私は端然と閉じていた目蓋をゆっくり持ち上げた。
能の翁の面を付けた小柄な老人と武士が大広間に入って来る。
――聖母まりあ様……それから、あなた、私に力を……。
「喋ってくれる気になりましたやろか、五郎八殿?」
老人が明日の天気でも尋ねるように軽い感じで言った。朗らかな声だ。
「何度来られても答えは同じです。知らないものは知らない、としか言えません」
「いやいや、貴女以外に考えられんやろ。上総介殿が考案し、独眼竜殿と大久保殿が作成した『連発する鉄砲』の図面を管理してんのは?」
「知りません」
私は、それ以上の問答は無用、と示す為に両目を閉じた。
武士が腰を落とし、私の顔を見詰める。
「このままでいいと思われてるのですか、天麟院……いや、姉上?」
「……」
「いつでも兵を挙げられる準備を怠らず、徳川と相対す。――確かに武家として、奥州探題として、そうあるのが理想でしょう。しかし、武士とて霞を食って生きてる訳ではありませぬ。父や兄に『五郎八が男子であれば』とまで言わせた優秀な姉上ならお判りでしょう? 常時、兵を養うには金が掛かるのですよ、莫大な」
「……」
「ならば、どうするか? 新しく田畑を開墾するか、いっそ兵を減らすか……どちらかしかない」
「ならば、そうすれば良いでしょう」
目を開けてジロリと睨む。
私が反応を示した事に気を良くしたか、今度は老人が喋り出した。
「それは幕府の思惑通りというもの。伊達藩は二度と幕府と相対する事は出来ず、永遠にその足下に跪く事になろうぞ。奥州探題としての地位を獲得した乾徳院殿(伊達家15代当主晴宗)も草葉の陰で泣くのではないか」
「……それも時代の流れなら已むを得ますまい」
「いやいや、独眼竜殿の秘策がある」
ピクッ。
「三代目藩主を継がれる予定の巳之介殿の従兄は、一昨年お生まれになった高貴なる御方。この繋がりをもって建武ノ中興を再現する。――そう、伊達を天子様の兵にしてな」
「戯けたことを……」
馬鹿なのですか? 馬鹿なのですね??
私が吐き捨てるように言うと、武士は「いえ、それほど的外れではないのです」と言った。
「かの戦国の覇王、織田信長公は槍の長さを三間半とし、弱兵と馬鹿にされていた尾張の兵を最強の兵に育て上げました。三間半という長さは、敵を間合いの外から攻撃出来たからです。戦場を長年駆け回っていた武士が、いつもは鍬を振るう農民兵に槍で撲殺される事態があちこちの戦場で起きたのです」
「……」
「間合いの外からの攻撃――ならば鉄砲に勝るものは無いでしょう。しかし、鉄砲では早合を使ったところで、連発には限界があります。まして、正確に敵を撃ち殺すにはこれも訓練がいる。しかし……」
武士と老人が顔を見合わせ、互いにコクリと頷いた。
「そうや。弾丸の装填が簡単に出来、連発が可能、そして狙いが付けやすい鉄砲があれば……そして、その鉄砲を兵一人一人に配備出来れば……」
「ええ。兵の数や練度が多少劣っても、幕府軍を圧倒出来る。――秘策を発動するかどうかはともかく、これが出来たら今の兵数を維持しなくてもいい事になります」
キッと睨み上げる。
「判っているのですかッ!? それは一度戦端が開かれたら、この奥州も江戸も地獄絵図になるという事ですよ!! 状況を知った大権現様と二代将軍様は激怒なされ、夫も激しく後悔し、鉄砲の開発を担当してた大久保殿は病死した後の死体を掘り出されて磔に、子息等も切腹、父は但馬殿に説得され秘策の詳細を誰にも伝えず墓にまで持って行ったのです。それを発動するなど……正気ですかッ!?」
「……座して滅ぶよりはマシでしょう」
武士が淡々と呟く。
愚かな……。
老人が肩を竦めて、フォッ、と笑った。
「また来るとしよう。その時に気持ち良く図面の在処を話してくれるよう、祈っとるよ。予言の成就の為に」
予言??
二人が大広間から出て行き、室内は再びシンと静まり返った。
――あなた……。
武士の娘なら舌を噛んで自害するところだが、切支丹はそれが許されない。
――あなた……。私はどうしたら……。
夜の冷気に耐えながら、私は唇を強く……強く、噛んだ。




