第十章 3
由比正雪サイド 寛永17年(1640年) 八月 仙台某所 深夜
私は無人の小さな神社のお堂の中で資料をまとめていた。
二代藩主である陸奥守様(忠宗公)はかなり有能な方だろう。組織改革と法度の制定を断行し、各地で寺社の建立・再建を行い――青葉城二ノ丸の建築も含めて――銭の流れを起こした上で検地を行い、新田開発を促してる。名君といっていいと思う。
四郎様は伊達家で御家騒動が起きると言っていたが……、
「そんな影、微塵も感じられないけど……」
「家臣団もまとめきってますな。割れてるフシはありませんぜ」
気配を感じさせず甚君が私の背後に現れる。思わず殺しそうになったぞ。
「問題は、独眼竜様が残した秘策、とやらですね……」
天に昇ったか地に消えたか、封印されたそれの発動を迫る京の老人とやらも見付からない。
ふむ……。
シャリン、と錫杖の音が響き、格子戸が開けて別木さんが入って来た。
「一つ気になる事が……宇和島の兵五郎(秀宗)殿、父である政宗公とかなり対立してたようですな。政宗公の晩年には和解したようですが……」
どうしてこう、どいつもこいつも唐突に入って来て、前置き無く話し始めるかなぁ。
しかし、伊達の支藩である宇和島藩の藩主、兵五郎殿ですか。
「確か……若き頃、豊臣に人質として差し出され、そこで元服、太閤の猶子となって『秀』の一字を貰い秀宗と名乗ったとか……」
「ええ、秀次公の事件の時、政宗公も関係を疑われて『政宗様が豊臣に対して叛心抱いたなら、隠居させて秀宗様を当主として盛り立てます』と家臣達が誓詞を入れて、漸く太閤の怒りが解けたと……」
そして関ケ原以後、徳川の世となった時、彼の『秀』の字が問題になった。政宗の正室の方に男子が生まれた事とそれが合わさり、彼は後継者の地位から外れてしまう。
別木さんが溜息を吐く。
「秀康様と同じですなぁ」
関ケ原前後、どこの藩も似たような苦悩を抱えてたのかも知れない。
……うん?
「そう言えば、政宗公の他のお子はどうなさっておられるのでしょう? やはり、宗家を継げぬ事に鬱憤を抱えてたりするのでしょうか?」
「もしかして……京の老人とやらを使い宗家に混乱を起こし、当主の資質を問題視して、自らが乗り込む……??」
別木さんが両腕を組んで呟く。続いて甚君が、
「幕府のお偉方と何らかの伝手があれば完璧でしょうなぁ」
と言う。
ふむ。調査の網をそちらまで広げないと……。
と、甚君がいきなり明かりを吹き消した。
辺りが一気に暗闇に包まれる。
「甚君?」
「静かに。――外に人の気配が……二つ。二人とも、かなりの武芸者だと思う」
まさかッ!?
私は声を潜め、柳生十兵衛様ですか、と尋ねた。
「いや、漂わせてる気配が微妙に違う。だけど……こんな凄腕の武芸者、仙台に居たっけなぁ??」
「……出て来て頂けるかな? お主達がただの幕府隠密ならこのまま火矢を射かけるのだが、どうも違うようなのでな。少し話をせぬか?」
壮年の男の涼やかな声が響く。これ、ホイホイ出て行ったらバッサリ斬られちゃう流れですよね?
私達は顔を見合わし、苦笑いして立ち上がった。別木さんが背中の笈から分解された鉄砲を取り出し、素早く組み立てる。
「……この暗闇でよく出来ますね?」
「怨霊殿に『目隠ししても短時間で組み立てられるように』と特訓させられました。目指せ、ごるご何とかと……」
五、六、五、六?
あの人は私達を一体どこに導いて行く気なんでしょうか??
格子戸を開けて表に出ると、賽銭箱の向こう――参道の中程に、痩せぎすの老人と眉の太い壮年の男性が立っていた。その背後には十名程の忍び装束の者達が控えている。
「山伏の一党……それも一人が鉄砲を構えて登場ですか」
「昨日、始末した甲賀者とは毛色が違うようだ」
別木さんの鉄砲を見て若い男が呟き、老人は朝食べたものを思い出すかのように何気ない感じで恐ろしいことを口にした。ついでに忍び装束の者達の眼にも剣呑な光が点る。
さて、まずは……、
「話がしたい、と仰せですが、まずはお名前をお聞かせ願いましょう」
「ふむ。拙者、柳生権右衛門と申す。こちらの御老体は松林……」
柳生? もしかして、連也くんの親戚の?? しかし、名乗りの途中で老人が右手を挙げてそれを遮った。
「松林先生?」
「監視されておる。おそらく昨日始末した甲賀者の生き残りだろう」
老人はそう言うなり右手を軽く振って跳躍した。それも私達の頭の上をあっさり飛び越え――お堂の上に飛び上がったのだ。一瞬遅れて猟師の格好した男が転げ落ちて来る。頭蓋を割られており、血に塗れた顔は苦悶の表情を浮かべていた。
老人は屋根の上で再び右手を振って勢いを付けると近くの樹木に飛び移り――近くと言っても、鳥や猿、若しくは忍びでもない限り、飛び移るのは無理だと思うが――矢張り、一刀の元に忍びらしき男を斬り捨てた。
落下してきた屍体を唖然とした表情で見詰めていた甚君が「あっ!」と叫ぶ。
「その跳躍、それから松林という名……もしかして……」
ひょい、と飛び降りて来た老人が甚君の首筋ギリギリに刀を当てる。
「ヒィッ!!」
「……うん? よく見ればお主、五郎八様の婿殿が使っている伊賀の小僧じゃないか?? 何故ここに居る?」
老人が刀身を軽く振って血糊を払い落とし、パチリと鞘に戻した。その音で安心したのか、あわあわ言ってた甚君が思わず腰を抜かして地面に座り込んでしまう。
いろは様の婿……??
首を傾げる私達を無視し、権右衛門さんの後ろに控えていた忍び衆が無言で屍体を片付け始めた。彼等の眼から剣呑な光が消えてる事から察するに、いろは様の婿とやらはこの仙台の地でかなり影響力のある存在らしい。
「……貴殿等をここに送り込んで来たのは、婿殿なのですか??」
権右衛門さんが訊ねて来る。
いや、だから婿殿って誰ですか……。
甲賀衆が彷徨いてるって事は、十兵衛様もこの近くに潜んでる可能性が高い。ここで談合するのは危険だ。
私は別木さんと顔を見合わせ頷き合うと、座り込んだままの甚君の右手を掴んで引っ張り無理矢理立たせた。
「甚君、こちらの二人は信用出来る? 私達の依頼人の名を明かして問題ない??」
「……大丈夫です。柳生権右衛門様は、連也殿の御親戚であり仙台藩の剣術指南役。そして、こちらのジジイ……」
「……」
老人が無言で刀の柄に右手を伸ばし、それを見て甚君が「ヒッ!」と息を飲んだ。
そして、咳払いをし……、
「ま、松林、無雲様は夢想願流という、御覧の通り、忍び顔負けの体術でピョンピョン飛び回って相手の死角から斬りかかる剣の達人です。遠縁に当たる関東郡代の伊奈殿の食客をやってたのですが、噂を聞いた陸奥守様(二代藩主忠宗)が『是非、仙台に来てくれ』と何度も手紙を送って、たまに遊びに来るようになったんです。――まぁ、まだ生きてたのかよジジイ、って話ですが……」
権右衛門殿が顔をしかめ、
「貴殿等、連也の知り合いなのですか??」
と言い、松林殿は無言で甚君の頭を殴った。
「痛ッ」
「老い先短い老人は労わるべきじゃぞ、小僧。それに拙者の噂を陸奥守様に吹き込んだのは婿殿ではないか?」
「老い先短い老人はあんな体術出来ない!!」
……私もそう思う。思うが、敢えてそれを口にするほど馬鹿ではないです。
ああ、甚君、バシバシ殴られてる。
権右衛門さんは笑ってそれを無視し、
「それで、貴殿等は一体……?」
「謀は密なるを以って良しとす――ここではちょっと……。それに、剣術指南役ほどの立場にある者が、伊達家の影である黒脛巾組を指揮して幕府の隠密狩りをしている理由、そちらもここでは話せないのでは?」
確かに……、と権右衛門殿が両腕を組んで頷く。
一方、充分殴って気が済んだのか、松林殿が甚君の頭をガシガシと撫で回した。
「伊賀の小僧、城内の五郎八姫様と繋ぎが取れなくなった。ここ暫く、お顔を拝見した者も居ない」
「え、えええーッ!? やばい、それやばいですよ!! 上総様、頭に血のぼって幽閉先を飛び出して来ちゃいますよ!!」
「ああ、婿殿を慕う者達は今でも多く居る。その者達が婿殿を担ぎ上げれば、親戚衆も自らを守る為に勝手に動き、藩はバラバラになるだろう」
松林殿が苦笑いして呟くと、同じような笑みを浮かべて権右衛門殿が「それが狙いなのかも知れませんな」と肩を竦めてみせた。
すいません。私達、放置ですか?
……四郎様のところへ帰ろうかな??
戸惑った私達が顔を見合わせてると、それに気付いた権右衛門殿が咳払いする。
「ゴホン、ゴホン……。申し訳ない。近頃、幕府が放ったと思われる隠密が領内をウロウロしてましてな。貴殿等は甲賀者とも思えなかったが、『山伏の格好』は隠密がよくする擬態の一つ、怪しかったので監視してたのですよ」
監視? いつから??
「城を見物してる時からです」
最初っからかい!?
……ん? って事は、四郎様達の事も知られてる訳か。
松林殿は甚君の頭に手を置いたままニコニコと笑い、
「事は伊達藩の存亡に関わる。お主達、敵でないなら手を貸せ」
と言った。
「判りました。私達がどこに滞在してるか承知のようですし、一度そこに戻り、お互いの持ってる情報の擦り合わせと行きましょう」




