第十章 2
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「しかし、あのおどろおどろしい灰色の雲は何なんだ? 雨雲ではなさそうだが……まるで地獄から湧き出て来たかのようだぞ?」
忠さんが睨むように空を見上げながら両腕を組んだ。変装とは言え山伏姿でそれやられると、何だか変な迫力があるな。
ぶ厚い灰色の雲が視界一杯に広がってるが、雨は一向に降ってこない。
「行者さま方、もしかして別の土地から来なさったか?」
側を通りがかったお婆ちゃんがキョトンとした顔で立ち止まる。
俺はコクリと頷き、
「日光の方から北に、各地の霊山を巡っております」
と答えた。
「ああ、まだ江戸には伝わっておらんのか。なら、知らんのも無理ないかね。蝦夷地の山が火ぃ噴いたんだとよ。あの灰色の雲は、その山から噴き出した煙がこっちまで流れて来てるのさね」
「ッ!?」
間に合わなかった??
忠さんが厳しい表情で「怨霊のお告げがまた一つ当たっちまったな」と呟き、他の皆も呆然と顔を見合わす。
「どうなさった、行者さま方?」
あ、やば。お婆ちゃん、顔をしかめて不審者を見るような目になってる。
優しい笑みを浮かべた十郎兵衛爺ちゃんが俺の横に来て、お婆ちゃんに話しかけた。
「御老女、貴女は田畑を耕しますかな?」
「ん? 先祖代々、由緒正しい貧乏人さね。毎日毎日、畑耕してるよ」
「ならば、これから言う事を貴女はすぐに理解出来る筈だ。――あの灰色の雲はお天道様の光を遮っている。これが長引けば、畑の作物が充分に光を浴びる事が出来ない。となれば育ちも悪く、秋の実りも……」
「ッ! ふ、ふさ……く……に??」
お婆ちゃんの目が真ん丸になった。
十郎兵衛爺ちゃんは顔を左右に振った。
「もっと酷くなる可能性があります。実は西からも天候の異変を伝える噂が流れて来ておりましてな。北もこの雲で作物の実りが悪くなったら……」
「きッ!? ……」
お婆ちゃん、慌てて周りを見回し小声になり、
「――飢饉が来ると??」
と、真っ青な顔で言った。
十郎兵衛爺ちゃんがコクリと頷く。
「覚悟だけはしといて下され」
「そんな……行者さまのお力であの雲、祓えんのか?」
それが出来れば苦労は無いんだが……俺等は空海上人でも役行者でも無いからなぁ。
今度は別木さんが口を開く。
「御老女、貴女は『蝦夷地の山が噴火した』と仰ったな? つまり、何者かがその山の神を怒らせたのだ。仙台の民にとっては完全にとばっちりだが、その山の神がどんな方なのか知る術が無い状態で下手な修法を行えば、更に怒らせてしまう事もありえる」
「……うう。松前の馬鹿共が何かやらかしたかのぅ……」
「今は来たる不作……最悪、飢饉になる事も視野に入れて生き残る事を考えてくれ。――残夢さま、こちらの御老女を通して近隣の村に例の芋を広めるべきと愚考します」
ざんむ?? あ、俺の事か。
俺は背中の笈を降ろし、中から障子紙に包んだジャガイモを取り出した。障子紙には育て方と調理法が書いてある。
「お婆ちゃん、これ、痩せた土地でも何とか育てる事が出来る作物。育て方は……」
「おう……行者様方、どうせなら村に何日か逗留して、若い衆に育て方を指導してくれんか? 大したもてなしは出来んが、寝る所だけは何とかするでよ」
渡した紙包みを「ありがたやありがたや」と呟きながら両手で受け取り、俺達にそう懇願する。
ふむ……。連也の親戚が仙台藩の剣術指南をやってるらしいので、暫く居候させて貰おうかと話していたのだが……。
どうする? と周りを見回すと雪ちゃんがコクリと頷いた。
「……四郎様。ほっし~さんの依頼を果たすには色々と調査が必要です。御老女の村に滞在し、その間に調査をしましょう。木を隠すなら森の中、山伏を隠すなら宿場町より山里の方がいい筈です。それに……」
「それに?」
「柳生新陰流の道場な訳ですから、連也君の親戚は大丈夫としても師範代などに但馬殿の植えた“草”が混じっている可能性も……」
いわゆる裏柳生か。
連也に視線を向けると、顎に手を当てて首を傾げてみせた。
「権右衛門さんは石舟斎様の教えを受けていて、もう剣さえ振れていれば何もいらないって人なんだ。出世とかお金とかにはまったく興味なし。ただ……」
「ただ?? ただ、何だ??」
「江戸柳生の四天王で狭川って人も仙台に居る筈なんだ。この人は、但馬様から密命を受けたら断れないと思う」
柳生四天王ねぇ。
あれか? そいつに連也が勝ったら「ふん、江戸柳生の面汚しめ」とか「ふふっ、奴は四天王最弱」とか言われちゃうパターンか??
……ちょっと聞いてみたい気もするな。
まあ、藪を突ついて蛇が出たら嫌なので、ここは雪ちゃんの提案を採用してお婆ちゃんの村に行くか。
――
お婆ちゃんの村は秋保温泉の近くにあった。と言っても、秋保温泉はそれこそ古代から名湯として知られる温泉であって、今では伊達家御用達に……
「いえいえ、最近は庶民も入らせてもらえるようになりましたぞ?」
「おう、何でも『いろは様』の婿殿がお考えなさったとかで、お武家以外の者にも利用させてこの地を賑わうようにすべきだと……」
どうも観光地として整備されたらしい。
しかし、お婆ちゃんの村は温泉地より山に分け入ったところにあり、その恩恵を受けなかったようだ。
村の若い衆達が笑う。
「行者さま、実はここだけの話……この村にも出るのですよ」
「出るって何が? ……って、まさか……温泉??」
村人一同がニヤッと人の悪い笑みを浮かべる。
彼等が言うに、村外れにある荒れ寺の一角に温泉が湧いてるらしい。村内をくまなく調査したが、そこ以外、湧いてなかったとか。
「温泉といっても、最初は『ここの土はいつも温かく湿ってるな』程度で気にもしてなかったんです。と言うより、昔から『病気になるから近付くな』と言われてて」
湿ってる……もしかして、そこってものが腐りやすくない??
若い衆達がコクリと頷く。
土に返るのが早いと昔から死んだ村人の埋葬地とされ、そして後から寺が作られたらしい。が、それ故に下手に近付くと病気にかかる者が発生した。
「その辺りの理屈を解明して下さったのは『いろは様』の婿殿と六右衛門様で。墓地を別の場所に移動させ、温泉を掘り当てると我々に問うたのです」
――お主等、この温泉を使えば村は賑わうと思うがどうする?
賑わうとは、今までの静けさを失うこと。どちらの道を選ぶかは、実際にこの地に住む者達で決めよ、と……。
「おら達は『静けさ』を選びました。六右衛門様は笑って、そういう村があってもいい、と言って荒れ寺の外側はそのままに中を浴場施設に改造すると、『病気になるから近付くな』という噂をそのまま広めよ、と言いました。で、たまに俺も入りに来ると言って去って行ったのです」
「なら……俺等に話すのも駄目なんじゃない??」
「なに、人の出入りを完全に止める事は不可能ですじゃ。なら、誰に話すかは我々次第。七道往来の行者様方には話しても問題なかろうて。それに、芋の礼もありますし」
村人達が、んだんだ、と頷き合う。
参ったね。
俺は苦笑いしながら頭を掻いた。
「……江戸で傾奇者やら、吉原に入り浸りの遊び人とか、ろくでもない連中と丁々発止やってたから、こういう素朴で純真な人達と触れ合うと……心が洗われるようだ」
雪ちゃんと半兵衛さんが、ですね~、と、しみじみ頷く。
「吉原入り浸りの遊び人って俺の事か?」
「自覚あったんですか、若ッ??」
半兵衛さん、さも驚いたとばかりの口調で言ってやるなよ。
会話の中に出て来た『いろは様の婿』と『六右衛門殿』ってのが引っ掛かったが、村人達の説明では、どうも村の相談役のような存在らしい。ファンタジー小説でよく見る『森の奥に隠れ住む賢者さま』みたいな感じか。
俺達は村の廃屋を一軒借り、後からやって来る予定の浪人部隊を待ちつつ、昼は村人達に芋の育て方を教え、夜は伊達藩内の調査に当てた。と言っても、忍びの心得がある雪ちゃんと甚君、別木さんが調査を請け負っており、俺や連也など調査に明らかに向いてないメンツは現在、村人達の好意で温泉を楽しんでる。
「……でも、伊達には噂に名高い黒脛巾組があるからなぁ」
熱い湯に浸かりながら、ボーと空を見上げる。灰色の雲が晴れてない為、星は全然見えない。篝火が無ければ真っ暗で、ここまで歩いて来ることも無理だろう。
「くろ……はばき?」
俺の横で連也がキョトンとする。
酒を持ち込み、湯に浸かりながら手酌で呑んでいた忠さんが連也の頭をポンポンと叩く。
「知らんか、尾張の麒麟児? 伊達を裏から支える影ノ軍団。忍びだよ」
「おお~! 刀身と柄の間にある金具の事を『はばき』って言うけど……そいつ等の持つ刀は、そこが黒いとか??」
十郎兵衛爺ちゃんがニコニコと微笑み、いや、と呟く。
「平たく言うと、脚絆の事じゃよ。昔は『脛巾』と言ったらしい。刀身を支える『はばき』も足を刀身と見立てれば、同じ言葉になったのも何となく判るじゃろう?」
「成程ッ!!」
そう言えば、東日流外三郡誌に『荒覇吐』って神様が出て来たっけ。偽書説が優勢だったから真面目に調べた事無かったけど、もしかして、この『はばき』も『脛巾』なのかな? だとすると神話の長臑彦と関係が……。
「おい、怨霊……怨霊」
光さんに肩を揺すられる。
「ん……あ、何、光さん??」
「あ、じゃねえよ。遠い目しやがって……湯当たりしたかと思ったぞ。大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫。……いや、確か東北には『荒覇吐』って神様が隠れていたような気がしてね」
「あら……はばき??」
「『アラ』は荒神の『あら』、そして『ハバ』は獲物に巻き付いた蛇、『キ』は御神木の『木』、もしくは『亀』の事じゃろう。すなわちアラハバキの神とは蛇神よ」
ッ!?
温泉の湯気の向こうに荒々しい、傷だらけの肉体を持った老人が立っていた。フッと笑って温泉に浸かる。飄々とした穏やかな瞳をしているが、まとってる気配が只者じゃない。柳生十兵衛様のそれとも違う。例えるなら、特殊部隊の指揮官のような……。何者だ、この老人??
「そう殺気立つな。何も今から殺し合いをしようという訳でもあるまい。……そこの髭の男、儂にも酒をくれぬか?」
伸ばされた右手に、忠さんが「お、おう」と言って杯を渡し、酒を注いでやった。
老人がちびりと酒を舐める。
「ほお、濁っておらぬな。鴻池の清酒か? うむ、美味い」
「どなた様ですかな、御老人?」
十郎兵衛爺ちゃんが左手で俺を守るように向かい合う。
「この村の者達からは『六右衛門』と呼ばれる爺じゃよ。そうじゃなぁ……そこの小僧には『ふぃりっぽ・ふらんしすこ』と言えば通じるかのう」
フィリッポ……フランシスコ??
――あッ!?
「ドン……フィリッポ……フランシスコ?? まさか……あの??」
嘘だろう?
生きて……いたのか??




