第九章 7
三雲あやめサイド 寛永17年(1640年) 四月 深夜 川越
月だけが頼りの夜の闇を、まるで真昼のごとく足早に進む。
「……十兵衛様、何故、天草四郎を殺さなかったのですか?」
聞いてる者など居ないのは判ってるが、聞こえるか聞こえないかギリギリの声を発する。十兵衛様には問題なく届くだろう。
「ここは伊豆様の領地内だ。ここで鉄砲を使われるのはマズイ。一丁ならともかく、あれだけの数の鉄砲は撃たれたら、千代田の城に届く程の大騒ぎになるだろう。そして聞いた奴は、先年の堀一党の事件を否が応でも思い起こす」
「つまり??」
「堀事件を例に挙げて、伊豆様の施政に疑問符を付ける奴等が現れるかも知れん、って事だ。島原での戦勝以降、伊豆様もあちこちからやっかみを買ってるからな。あの城は魑魅魍魎の巣なんだよ」
「ならば、奴等を鉄砲の大量所持で捕縛すれば……」
「ふん。おそらく、すでにバラバラに解体されて各部品ごとに木箱に梱包されて別々の道で運ばれてるだろう。――鉄の欠片を見付けたとして、『これは鉄砲の部品だ!』と断言出来るか、お前?」
そう言われると……。
「では、どう致します?」
「今までと同じだ。機を見て奴を討つ。闇の者は闇に帰す。昼に生きる者には何一つ気付かず、知らない」
蒼い月光の照らされ、十兵衛様の隻眼が冷たく光る。
私は思わず笑みをこぼした。
「こっちも……どちらかと言うと“闇”ですよね?」
忍びは闇に潜んで使命を果たす。昼の姿は仮初に過ぎない。
「おいおい、俺は昼の世界の住人だぜ? 柳生の里では酒呑んで昼寝ばかりしてた」
ニヤニヤ笑ってますけど……それで、あの剣技ですか? 充分、人外ですよ。
水戸光国サイド 寛永17年(1640年) 六月 日光
1
川越から熊谷、佐野を経由して宇都宮に入り日光に向かう。
だったら最初から日本橋を出発地にして素直に北に向かえばいいのに――とも思ったが、鉄砲を大量に隠し持ってたり、怨霊が居たりと、変態集団であるコイツ等を普通に日光街道歩かせるのも問題な気がする。無関係の旅人にどんな迷惑かけるか……。
「おいらがこんな事を考えるなんてな。成程、これが統治者の孤独ってやつか……」
「何、訳の判らない事言って一人で頷いてるのです、若? 気持ち悪いですよ」
金井半兵衛こと男装したお友さんが前を見詰めたまま抑揚のない喋り方で呟く。相変わらず酷いな、アンタ。
途中、泊まった宿で正雪が数通の書状を書いて黒装束の男に渡したり、怨霊が掌ぐらいの大きさの傀儡を作りながら「球状関節が再現出来ねぇ!」と意味不明なことを言ったりしてたが、取り敢えず川越以降、甲賀衆の襲撃は来てない。
半兵衛さんの視線の先は、杖をついて歩く怨霊を真ん中に奴の話をフムフムと真剣な顔で聞いている由比正雪と尾張柳生の小僧が居る。
「…え? 日光って昔は『日光』って言わなかったの??」
「昔は『二荒山』って言ったらしいぞ」
「ふたら??」
「補陀落渡海の補陀落ですね。仏の教えにある浄土ですよ、連也くん」
柳生の小僧が、「ふたら……にこう……にっこう??」と小首を傾げる。
どうでもいいが色気のない会話してるなぁ、コイツ等。
俺は視線を半兵衛さんに戻し、
「――で、そんなに熱っぽい瞳で怨霊を見詰めて……身を挺して矢から庇われて惚れちゃった、お友さん?」
「惚れッ!? な、何を言ってるんですか、若!! お仕置きしますよッ!!」
流石に大声は出さなかったが、目をむいて必死に否定している。意外と単純というか、ちょろいというか……。
と、柳生の小僧が大声を出す。「――え? それ、おかしくない??」
んん?
俺と半兵衛さんは顔を見合わせ、三人に近寄った。
「どうしたんだ、お前等?」
「何を騒いでるんです?」
近くを通る旅人達が怪訝な表情をしているから、あまり注目を集めるような真似はして欲しくないんだがなぁ。
怨霊が苦笑いして肩を竦めてみせる。
「いや、日光東照宮は江戸城の真北、つまり昴(=北極星)の方向に造られたって話をしたら……」
「だって、昴に拘るんだったら城の真北になればどこでもいいって事になるじゃん。こんな離れた場所じゃなく、近くに造れば費用も安く済むだろうし……」
ふむ。確かに。
「つまり柳生の小僧、お前は『日光』って土地が昴云々の理屈より重要だったんじゃないかと?」
「うん。そう考えた方が筋が通ると思うけど……」
あまり自信が無いのか、柳生の小僧が顎に手を当てて首をひねる。
俺は怨霊の方に顔を向け、
「日光の開山は誰だ?」
と言った。
「確か勝道上人だよ。弘法大師と生きてた時代が重なってたと思うけど、詳しい経歴は知らん。子供の時に明星天子とかいう神様が『彼の山を開け』とお告げしたとか……」
「明星…てんし? どんな神様だ、それ??」
「明けの明星……金星の神格化だね。――明星……あぁ、辛子マヨネーズの焼きそば食いたい」
「から……まよ??」
また訳の判らん事を言い出したぞ、コイツ。柳生の小僧は「明星? 明星、明星……」と首を傾げて連呼している。
「マヨネーズだったら、この時代でも作れんじゃないかな? 鴻池の御隠居にレシピ送って大坂で流行らせるか。たこ焼きには必須だし……」
顎に手を当てて考え込む怨霊に、半兵衛さんがポンポンと手を当てて突っ込む。
「話が脱線してます、怨霊殿」
「ああ、ごめん。マヨネーズの作り方だっけ?」
「違います。勝道上人以前の日光はどうだったんですか?」
「人跡未踏。上人自身も何回も失敗して漸く開山した筈」
「つまり、勝道上人の開いた霊場が丁度、千代田のお城の真北に位置していたので天海僧正はそれを江戸を護る結界に取り込んだ?」
「連也の言う通り、そう考えた方が正しいかも。あの天海僧正って人物、『明神』に決まりかけてた神君の神号を幕閣を向こうに回して『大権現』に引っ繰り返してみたり、仙人染みた長命さであったり、明智光秀との奇妙な符号があったり……何か胡散臭いだよね」
と、いきなり柳生の小僧がポンと両手を叩いた。
「思い……出したッ!」
「な、何だよ、いきなり連也?? 某中二病アニメの主人公みたいな決め台詞吐いて」
いきなり素っ頓狂な声を出した柳生の小僧に怨霊がびっくりし、転げそうになるのを正雪と半兵衛さんが慌てて両手を伸ばして左右から支える。
「ちゅうに?? ほら、張孔堂に着いた時に求聞持法の話が出たじゃん? あの後、ちょっと調べたんだけど、洞窟に籠ってた弘法大師の前に明星が飛び込んで来たとかどうとかって書いてあったような……」
怨霊達が顔を見合わせ、しばらくしてから「おおッ!」と声を上げた。
「よく勉強したな連也、エライエライ。光さんの数倍偉いぞ」
「……ガキ扱いは勘弁して、兄ちゃん」
あれ? 俺、どさくさ紛れに馬鹿にされてない??
「明星の『明』は日と月を合わせた字である事から、陽である日と陰である月の交わりから生まれた星――つまり、すべての生命の根源とか、日と月と明星の三つを阿弥陀三尊に重ねたり、また俗に言う『三魂七魄』の三魂とは、日・月・明星の三つより生じた魂であるとか……。待てよ? 南蛮では、明星は堕天使ルシフェル??」
「――お前等、台密の秘伝に属する事柄をこんな往来で……」
少し離れていたところを歩いていた旅の僧と連れの老人が立ち止まり、笠を上げてこちらを睨みつけて来た。
って、この声、どこかで……??
柳生の小僧が瞳を輝かせて僧侶に跳び付く。
「沢庵さんッ!!」
「おお、連也。少し見ない間に背が伸びたのではないか?」
連也の頭を老僧がワシャワシャと撫で回す。やっぱり、この爺様か……。
怨霊がにこやかな顔して、お久し振りです、と言った。
「ふむ。怨霊も五体満足で……という訳じゃなさそうだ喃」
「まあ、俺は怨霊。手足の一本や二本、大した事ないですよ」
「とっとと成仏しろ」
「生前は切支丹だったもので。仏には成れませんて」
二人がケラケラと笑い合う。
「で、和尚。何故ここに??」
「うん? 名人が東照宮にも地震い対策をしたい、と言い出してな。大和尚に相談してみようって事になったのよ」
「大和尚??」
「法印大和尚位、南光坊天海大僧正よ。あの方と儂は妙にウマが合って喃――そうじゃ、お主達も一緒に会いに行かんか?」
「へっ!?」
怨霊が目を真ん丸にする。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔とは、こういう顔を言うんだろうな。
和尚はニヤリと悪党みたいな目をこちらに向け、
「……そこで人の影に隠れて拙僧の目をやり過ごそうとしている水戸家の傾奇者も、大和尚に説教されれば、ちょっとはまともになるじゃろうし」
うわ、勘弁してくれ。




