第九章 1
第九章 ――みちのくへの細道――
由比正雪サイド 寛永17年(1640年) 四月 野火止
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魚でも居るのか、道の端に切削された水路の水面が時折りピシャンと撥ねて、水飛沫がキラキラと輝いた。
余裕があるなら覗き込みたいところだが、私達の後ろを距離を置いて歩いてる薬売りの存在が気になる。あの足捌き、十中八九、忍びだ。
四郎様を促して森に向かう小道に入る。
「何だか上手いこと誘導されてる気がするんだが?」
早足で歩きながら四郎様が苦笑いを浮かべる。奇遇ですね。私もそんな気がしてます。もしかしたら私達、ほっしーさんに騙されたんでしょうか?
――
ほっしーさんの要請は、ややこしいものだった。
北、つまり伊達藩内に御家騒動の気配があるというのだ。
「気配? それって今現在は影も形もないってこと??」
「うむ。確たるものがあれば、幕閣の誰かが行って『馬鹿な真似はするなよ?』と一言告げれば大人しくなるだろうが、今の段階では『何のことでしょう?』としらばっくられて終わりだ」
ほっしーさん曰く、藩祖である政宗公は幕府と戦う事になった場合を想定して秘策を準備してたらしい。
「こんな事もあろうかと……って奴だね」
「連也、それ、死亡フラグだから」
死亡ふらぐ?
一瞬、皆が小首を傾げて顔を見合わせたが、ほっしーさんの従者と化している沢さんは肩を竦めて薄く微笑んだ。
「独眼竜殿が構想してた秘策……その全貌を私などが見抜く事など不可能ですが、ただその存在は幕府の方も掴んでたようです。おそらく、気付いたのは但馬様でしょう。伊達藩は今に至るまで改易されず、また秘策も発動しておりません」
……無視だった。四郎様、苦笑いしている。
しかし、
――秘策の存在に気付き、こちらが気付いた事を匂わせながらも表面上は普通に接する柳生但馬守殿……、
――気付かれた事を察しながらもニコニコと微笑む独眼竜殿……。
想像すると、すっごく気持ち悪いです。
独眼竜殿の亡き後、幕府は伊達の親戚筋に手を伸ばして猫に鈴を付けることに成功。秘策は完全に封印されたと思われたが……。
「京訛りで話す何者かが藩上層部に近付き、秘策の発動を煽ってるようです。幕府の締め付けに不満を感じてる者達がそれに乗っかれば……」
「藩の方針を巡っての主導権争い……。まあ、御家騒動と言えば御家騒動か」
四郎様が腕組みして乾いた笑みを浮かべる。「――幕末の長州藩みたいだな」
長州?
皆が小首を傾げるが、四郎様は「数百年後の話だよ」と肩を竦めて誤魔化し、
「で、俺達にどうしろと?」
と言った。
ほっしーさんがニコリと微笑む。
「伊達藩、幕府、そして京から来た存在……。ある意味、三竦みになってるこの状況を動かすには第四の勢力を放り込むのが一番だ」
「具体的には?」
「任せる。上手いこと鎮めてくれ」
「行き当たりばったりかよッ!?」
……息合ってるなぁ、この二人。
私達は数度に渡って話し合いを重ね、条件を詰めた。こちらが出したのは蝦夷地の探検、及び浪人達による開拓を認め、支援してくれる事。そして異国に対する防衛を考え、松前藩から蝦夷地を取り上げて徳川の直轄地にする事である。
「開拓なんて一朝一夕には行かぬだろうに……」
「人間五十年、下天の内を喰らうれば――だよ。五十年、百年掛ければ諍いを起こさず現地の民と和を結ぶ事も出来るだろう」
「松前では駄目なのか?」
「島原では『民など税を搾り取るだけの存在』としか役人は思ってなかったけど、それより悪いかもね。蝦夷地はだだっ広く、米も作れない。だから『商人に産物を買い叩かせ、その上がりの一部を納めさせよう』が方針なんだから」
四郎様が寂しそうな顔で首を左右に振った。それを見て、ほっしーさんが眉間に皺を寄せる。『島原より悪い』――つまり、蝦夷地だって一揆が起きるぞ、と暗に告げられたのを理解したらしい。
「判った。お主の策を陰から支援しよう」
話し合いがまとまった頃、高尾姐さんが伊達藩に身請けされた。まだ幼いミー君を藩主に座らせる為、本当に千両箱を積み上げたらしい。
馬の前に人参をぶら下げるような、女を政治の駒としか考えてないその行為に私と半兵衛さんは嫌なものを感じたが、高尾姐さん本人は、
「苦界に一度沈んだ女が外に出るには、金持ちの妾として身請けされるか、死んで投げ込み寺に捨てられるか……二つに一つ。生きて出られるだけ、まだマシな方さ」
と寂しそうに笑った。
私達も所要で北に行くことを話したら、ミー君と二人して「じゃあ、一緒に行こう」と誘われたが、さすがにそれは四郎様が断った。
「大藩の次期藩主さまとその側妾さま御二人と、道中、お喋りしながら旅する浪人達って……幕府のお役人じゃなくたって変に思いますよ。勘弁して下さい」
それでなくても甲賀衆に狙われてるのに、と二人には聞こえない小さな声で呟き溜息をこぼした。
ちなみに光さんも私達と一緒に行きたいと言い出した。断っても勝手に付いて来そうな気配だったので、やむなく日光で合流する事になっている。
「キーさんはどうする?」
「荒事になりそうだから俺は遠慮するよ」
光さんの問い掛けにキーさんが肩を竦めてみせる。「――ああ、どうせなら帰りは日本海を回って京を経由しろよ、お前等」
「ん?」
「お前等が来るのに合わせて俺も領地に戻るから、懸案だった鎧ヶ淵の測量やろうぜ」
忘れていたのか、四郎様と連也くんが「あぁッ!」と言って両手をポンと叩いた。
「あったね、そんな話」
「おい、こらッ!」
「冗談だよ。……じゃあ、新くんを連れて行ってくれない? 荒事が起きそうな北への旅に連れて行くのは可哀相だし」
「了~解」
――
私達は二人、乃至三人の組を作ってバラバラに旅立った。
幕府の監視の目を少しでも誤魔化す為だが……まあ、意味は無かったようだ。
森に入るとヒンヤリとした空気と共に、複数の殺気が私達を包み込むように感じられる。
「どうします、四郎様?」
「こんだけ殺気が漂ってると、武芸に暗い俺でも判るよ。鳥も怖がって近寄らないのか、囀り一つ聞こえてこないし。……鬼が出るか、蛇が出るか。まあ、行ってみよう」
鬼はともかく、蛇はちょっと……。
警戒しながら先を進むと、右手の樹々がガサリと揺れた。懐から苦無を取り出しながら四郎様の前に――が、
「え?」
茂みから出て来たのは半兵衛さんと忠弥さんの二人だった。私も驚いたが向こうも目を丸くしている。
そして左手の茂みからは連也くんと十郎兵衛さんが出て来る。
「ん? お前等、別の道を行った筈じゃあ……」
首を傾げる忠弥さんに連也くんがニヤリと笑う。
「どうやら皆、ここに誘い込まれたみたいだね」
「お前、嬉しそうだな」
苦笑いを浮かべた四郎様が、連也くんの頭を二つの拳で挟んでグリグリする。
「痛い、痛いって兄ちゃん。だってさ~、兄ちゃんと一緒に居ると強敵の方からわざわざ来てくれるんだもん」
「俺は『強敵ホイホイ』か?」
「ぽいぽい??」
……。
先を歩く二人を見詰めながら、私は苦無を懐に仕舞った。半兵衛さんと忠弥さん、十郎兵衛さんが苦笑いしながら近寄って来る。
「残念でしたね、先生。折角、二人っきりだったのに」
「何の話ですか、何の……」
私が素っ気なく返すと、それ以上、突つく気は無かったのか忠弥さんと十郎兵衛さんが顔を見合わせて肩を竦めてみせた。
「しかし先生、これは孔明兵法に於ける『八陣ノ図』ってやつでは?」
どうでしょう。
生門・傷門・杜門・景門・死門・驚門・開門・休門。――この森に本当に八陣を仕掛けたするなら、待ち構えてるのはおそらく……死門。
少し歩くと、どうやら禅寺でもあるようでなかなか立派な門が見えた。その下に設えられた石段に深編笠の浪人が腰を下ろして休憩している。
連也くんと四郎様が歩みを止めた。
……四郎様、肩をがっくり落としてる??
その浪人が立ち上がると同時に周囲に取り巻く殺気が一気に濃密になった。
「あ、そっか」
パチン、と四郎様が両手を叩いた。「――この辺りって、もしかして……川越藩ですか、十兵衛様?」
十兵衛? ――まさか柳生十兵衛様ッ!?
深編笠が投げ捨てられ、その下からニヤリと笑った隻眼の男の顔が現れる。
「何だ、お前? 気付いてなかったのか?? 川越藩主は伊豆守様だぞ」
「やっぱりかよ、ちきしょうめ」
遅れまくりでごめんなさいです。




