第八章 8
由比正雪サイド 寛永17年(1640年) 三月 江戸 張孔堂
蒼い夕闇が漂い始め、そろそろ営業の邪魔になると思った私達はお暇する事にした。
伊達の若様に「一緒に飲もうよ」と誘われた遊び人の光さんこと水戸の若様、それからキーさんこと吉良家の若様も、何故か私達と共に退出した。
吉原の大門を抜け、まだうら若い尼僧数名に身形の良い武家の若者二人、そして総髪の学者風の私に線の細い浪人風の半兵衛さんと、着流し姿の四郎様が無言のまま歩く。――傍から見て、私達ってどんな集団に見えるのだろう?
「おい、怨霊」
キーさんが口を開いた。「――何を考え込んでる?」
「ん? あぁ……キー君と光さんは、ミー君をどう見てる?」
「『見てる』とは?」
「藩主としてやっていける器量の持ち主かって意味」
四郎様の言葉に二人が顔を見合わせる。
伊達家は大藩だ。それだけで幕府は仮想敵と見ているだろう。舵取りは困難を極めると思われる。その位置にあの子が座るというのか……。
光さんが首を左右に振る。
「俺もまだガキだが、巳之――ミー君だっけか? ――は元服したばかりの子供だ。泰平の世のせいか、武士としての覚悟はまだ固まってないだろう」
「武士としての覚悟?」
「己の領の民百姓を守る為、刀を抜く――人を斬り、そして斬られる覚悟だ」
光さんの凛とした声に四郎様が息を飲む。
キーさんも頷き、
「そう言えば、俺が女達に和歌の手ほどきをしてるのを横で聞いてたから、座興に『一つお前さんもどうだい?』と振ったら、意外と上手い歌を作ったんでびっくりした事があるよ。書や水墨画なんかも興味ありそうだったし、武士やるよりそっち方面に才能あるんじゃないか?」
と言った。
聞いてた光さんが、血かね~、と呟く。
「血?」
「母親が京のやんごとない家の人らしいぞ」
「京の?」
四郎様がガリガリと頭を掻いた。尼僧達が怪訝そうな表情で見詰めている。
「四郎様」
「……そう言えば、昔の時代劇で……この時代の仙台藩を舞台にしたのが……」
「四郎様ッ!」
耳元で大声を出すと、四郎様が目をパチクリさせて周りを見回した。
「はッ!? ……あ、ごめん、何??」
「はぁ……張孔堂に着きました。取り敢えず一服してから考えましょう」
――
熊谷さんの起居する長屋に向かう尼僧達と別れ、私達は四郎様の部屋に向かった。近付くにつれ無人の筈の部屋から明かりが漏れており、話し声も聞こえて来る。
「うん? 仁左衛門さんでも来てるのか??」
四郎様が勢いよく障子を開ける。
「あ、兄ちゃん、お帰り~」
「お、帰ったか。酒頂いてるぞ」
「お邪魔してます」
連也くんに忠弥さん、それから柳沢さんと頭巾を被って顔を隠した武家の男性が座ってお酒を酌み交わしていた。
唖然としてた私達の後ろから、酒の肴になりそうなものを持った十郎兵衛さんと熊谷さんが現れ、失礼します、と手刀を切って中に入って行った。おいおい。
「よし、お前等、酒代として有り金を……って、どなたさん?」
四郎様が頭巾の男に視線を向け、眉根を寄せる。
「……よく似ておる」
「?」
男の視線、四郎様を通り過ぎて……私を見ている?
男はゆっくりと頭巾を脱いだ。微笑む男の顔を見て、慌てて光さんとキーさんが両膝を着いて頭を下げる。
「え~と……誰?」
「馬鹿、頭を下げろ怨霊。肥後守さまだ」
キーさんが四郎様の袖を引っ張る。
肥後守――保科肥後守様ッ!? 一緒に居た忠弥さん達、そして私と半兵衛さんも慌てて平伏した。立ってるのは四郎様のみ。かの人の心底を量ろうとジッと睨みつけてる。
台徳院さま(二代将軍秀忠)の庶子として生まれ、保科家の名跡を継ぐという数奇な運命を歩む人物。
穏やかな笑みを浮かべてるが、その瞳は理知溢れる光を放っている。観察から得られた情報を様々な角度から分析しようと、頭の中が猛烈な速度で回転してるに違いない。
「皆、頭を上げてくれ。今日は忍びでな。どこぞの旗本の四男坊とでも扱ってくれると助かる」
「……」
皆が恐る恐る頭を上げ、互いに顔を見合わせる。
「今度、会津に行く事になってな。行ったら何をすべきか、色々と指南を貰おうと巷で評判の軍学者殿に会いに来た訳よ。――前藩主殿を座敷牢に放り込んだのは、お主達……なのだろう?」
光さんが、何故それを? と目を真ん丸にする。
「いい加減、中に入られよ。――簡単な話ですよ、水戸殿。今日、皆さんは女達から病について話を聞く為に吉原に向かったと、ここに居る方達から聞きました。そして水戸殿が吉原に入り浸っているのは、誰でも知ってる事。それから加藤家嫡男を説得して、前藩主殿を隠居に追い込んだのは水戸殿、貴方だと千代田の城では噂になってる」
ニコニコと微笑みながら語る保科殿。
「保科殿の耳は、城中どころか吉原の廓内の噂話まで拾うのか」
「何でも『遊び人の光さん』と呼ばれてるとか。吉良殿は『キー君』だったか。私もそう呼ばせて貰って構わぬだろうか?」
光さんが肩を竦めて頷き、中に入って適当な位置に腰を下ろした。私達も続くようにして入り、各自座っていく。
「いいですよ。出来たら、口調も砕けたものして頂けると有難い」
「ふむ。了承し……いや、判った。で、命名者はそこの人物で皆から『怨霊さま』と呼ばれてるとか。それを聞いて、吉原で流れてるもう一つの噂話を思い出した」
「もう一つの噂?」
「フフッ。『加藤家の馬鹿殿が怨霊様の祟りに遭った』――戯言と聞き流していたが、その怨霊様が実在するとなると……何となくだが裏の絡繰りが見えてくる」
「やれやれ……。シャーロック・ホームズが実在したらこうなるのかね、まったく」
四郎様が小声で呟き、はあ、と溜息を吐いた。ほう……娘?
「それで、今日の来訪の目的は何ですか、保科……」
「あ、私にも呼びやすい名を付けて欲しい。お主達とは『友』になりたい」
「友、ねぇ。じゃあ……」
四郎様が光さん達と顔を見合わせ、「――ほっしー、とか?」
杯に口を付けてた連也くんが吹き出し、他の人達も唖然とする。先代将軍の庶子を『ほっしー』って……『ほっしー』って……。
「駄目だった? じゃあ、ほっちゃんとか……」
「いや、ほっしーか。いいな。それで呼んでくれ。――来訪の目的は言った筈だが?」
保科――ほっしーさんが唇の端を薄く持ち上げ、からかうような笑みを浮かべた。
四郎様が十郎兵衛さんから杯を貰い、唇を湿させる程度に一口飲む。
「……ん。会津に行くからって話? まあ、嘘じゃないんだろうけど全部を言った訳じゃないでしょ? 隠してる手札は何?? 俺達に何をやらせようと言うの??」
微笑むほっしーさんに対してニヤリと笑う四郎様は、何だか凄く悪党っぽかった。
「隠してる手札か……ああ、キーさんの嫁に上杉家の姫を斡旋しようと企んでるが、それの事か?」
「いや、キー君の嫁さんなんて狐狸妖怪の類じゃなければ、別にどこから貰っても……いっそ、玉藻前とか……うん? 上杉??」
四郎様の言葉に、キーさんが「せめて人にしてくれ」と言ってポカリと殴った。
ほっしーさんはクスクスと笑い、
「ああ。来年、私にも子が産まれそうでね。もし女子だったら上杉か前田に嫁にやろうかと考えている」
「ほっしー、もしかして……どこかと対抗する為に婚姻同盟を作ろうと企んでる??」
婚姻同盟??
ほっしーさんの顔から微笑みが消えた。
「さすがは怨霊。――北に騒乱の気配がある。天下静謐を守る為、お主達、北に行って鎮めて来て欲しい」
はいッッ??




