第八章 6
2
「……へえ、月のものってそんな意味合いがあったんだね~」
「腹の中で子を育てる為……。故に、孕みやすい日と孕みにくい日があると……。うん、勉強になったよ。有難うございますね、怨霊の先生」
講義が終わると妖艶な笑みを浮かべた女達が口々にそう言い、今度は熊谷さんの娘さん達のする質問に答え始めた。
はぁ……。
高校受験時の面接より疲れたよ……。
ガックリと肩を降ろした俺の背中を、両隣に座ってる雪ちゃんと半兵衛さんがポンポンと叩く。
「大丈夫ですか、四郎様?」
「お疲れ様です」
……ははっ。
弱弱しく乾いた笑みを浮かべる。いっそ、もう殺して下さい。
俺、まだ童貞なんだけどなぁ。
なのに、こんな知識持ってる事を告白させられるなんて……俺はムッツリスケベですって言ってるようなものじゃあ……? ああ、そうだよ! 俺はムッツリだよ!! 悪いかッ!?
「何、ブツブツ言ってんだよ、怨霊?」
部屋の隅で講義を聞いてた光さんにキー君、それから高尾姐さんが近寄って来た。
「でも勉強になったよ。女子とは繊細な肢体をしてるのだな。妻を得たら大切にせんといかんな……」
キー君が神妙な顔で言うと、光さんがケラケラと笑って茶々を入れた。
「おや、キー君。そういう相手が出来たのかい?」
「いや、まだ本決まりじゃないが肥後守さまが何か縁談話をウチに持って来てるらしい。何だか、そろそろ年貢の納め時っぽい……」
はぁ、とキー君が溜息を吐く。
肥後守って誰? ――と雪ちゃんに尋ねると、保科さまだという。保科……あ、保科正之か。そう言えば、史実だと保科正之が吉良上野介と上杉家の姫の縁組を世話したって何かで読んだな。二代将軍秀忠の隠し子である保科正之が、何でキー君の嫁さんを世話するのかイマイチ理由が判らなかったが……。
「キー君」
「うん、何だ?」
「イギリス……いや、えげれす国か。三浦按針殿の故国に伝わることわざを贈るよ。『結婚は悲しみを半分に、喜びを二倍に、そして――生活費を四倍にする』」
「けっこん??」
「こちらの言葉だと、所帯を持つってことかな」
「……生々しすぎて夢も希望も無くなる言葉だな」
ま、頑張れ~。
何故か、横で聞いてた高尾姐さんも溜息を吐いた。
「所帯か……。私も女だから憧れが無いとは言わないんですけど、ね」
「何かあったんですか?」
半兵衛さんが問うと、答えたのは光さんだった。
「高尾の馴染みの客に伊達家の若様が居るんだが、困ったことに若様、高尾に夢中になっちゃったんだよ。寝ても覚めても高尾の事ばかり考えて、しまいには『彼女以外、正室に迎える気はない!』と家中で宣言しちゃったんだよ」
「あちゃあ……もしかしてその若様、筆おろしは高尾姐さん??」
「ああ。男も女も初めての相手を特別と思いたがるもんだが、それが吉原で最高位の女である高尾となるとなぁ……」
高尾姐さんがコツンと光さんの頭を小突く。
「それじゃあ、私が悪いみたいじゃないですか?」
「悪いとは言わないが……後朝の別れ、本気でやっただろう? 吉原の女達の頂点に立つお前さんが、昨日まで女を知らんかったガキに本気出したらどうなるか……予想出来なかったとは言わせないぜ??」
通い婚が常識だった平安の頃はまだ布団が無く、男女が夜戦……じゃなかった、事をする時はお互いの着てるものを毛布代わりにしてた。で、終わって男が帰宅する朝、重なり合って一つになってた互いの衣が再び二つに別れる――それぞれが着てたものを再びまとう――事から、『衣衣』、すなわち『後朝の朝』とか『後朝の別れ』と言うようになったらしい。
そして、恋人へ送られる「あの夜のことを思い出すと……また会いたいです」と情感溢れる手紙を『後朝の文』と言う。
で、だ。吉原などのいわゆる男を相手にする商売の女達がこの『後朝の……』をやると、男を再び店に来させる為のテクニックとなる。数百年後、水商売のお姉さん達も常連さん達に営業メールする事を考えると、何だか感慨深い。
高尾姐さんは肩を竦め、
「いや、何と言うか……女に幻想を持ってる初心な男の子って、現実を見せて堕としてやりたいと言うか、汚してやりたくなるじゃないですか?」
ニッコリと微笑んだ。……ドSだ、この姐さん。
思わず冷や汗を浮かべた雪ちゃんが、「あ、で、でも」と話を変える。
「昼間の吉原って、閑散というか……ほんと、『普通の町』って感じなのですね。夜の喧騒が夢幻のようです」
まあね、と高尾姐さんが苦笑いを浮かべる。
「文字通り、『夢の一夜』を男に見せてやることに私達は全身全霊を賭けてるのさ。それを太夫の張りと言うんだよ」
太夫の張り――吉原に生きる女の誇りってやつだ。いつの頃か忘れたが、某お大尽が金を部屋にバラ撒いて、女達にそれを拾わせる遊びをしようとしたら、女達は全員席を立って部屋から出て行ったという。そのお大尽は粋が判ってない、野暮な男とされ出禁を喰らったとか。「私達は金で男と寝てる訳じゃない!」――武士の一分に匹敵する爽快なまでのプライド。
キー君が、いやいや、と右手を振る。
「まだお天道様が高いうちから白粉塗りたくって、シャンシャンすがかき鳴らしても喧しいだけで色っぽくも何ともねぇよ」
……そう言っちゃったら、見も蓋もないような。
同じように感じたのか、雪ちゃんも苦笑いして、
「歌舞伎役者は昼も夜も関係なく、白粉塗ってますよ?」
「あれは隈取りと言ってくれ」
舞台映えする為の化粧と夜の女達がする男を魅了する為の化粧は、微妙に方向性が違うかもね。
……ん?
何か引っ掛かった。
白粉……役者……。
何だ? 何を俺は忘れてる??
まだ聞き取り調査をしてる熊谷さんの娘さんを呼び寄せる。
「はぁい、どうしました、四郎様?」
「訊くの忘れてたんだが、亡くなった赤ん坊の親御さんて……武家? それも結構、位が高い……」
「ええ、まぁ。詳しくは言えませんが」
「母親か、乳母か判らないけど……赤ん坊におっぱいあげる時も常にメイクをきっちり……」
「めいく??」
「ゴメン。常に化粧を……白粉を塗ってる?」
娘さんが、それが何か、と首を傾げる。
やっぱりか。
俺は頭をガリガリと掻きむしった。確か、明治に……。
「高尾姐さん!」
「な、何だい、いきなり??」
「白粉って、草花から作るものと鉛白で伸ばすものの二種類ありましたよね? 皆さんが使ってるのはどちらです??」
「男のくせに白粉に興味あるのかい?」
「大事な事なんです! 教えて下さい!!」
「わ、判ったから落ち着きなって。……怨霊さまの言う草花から作る白粉ってのは、米の粉やオシロイバナをもとにしたものの事だと思うけど、あれは肌のノリが悪くてね~」
キー君が「肌のノリ?」と小首を傾げる。
「男に判るように言うと、あまり色っぽく見えないって事ですよ。だから私達が使うのは、安くてどこでも手に入る粉のやつですよ。あれを水で溶いて刷毛で塗るんです。安いけど肌のノリがいいし、夜の暗がりだとこっちの方が色っぽいですから」
光さんが、ふむ、と顎に手を当てる。
「女も色々と大変なんだな~。昔は伊勢白粉ってのもあったと聞いたが?」
「女の化粧は鎧甲冑を着込む武士の戦支度と同じなんですよ。――伊勢白粉はちょっと割高ですし、どっちかと言うとあれは薬の分類でしょう?」
「……と、単純には言えないようだな。怨霊の顔が真っ青だ」
皆の視線が俺に集まる。
「伊勢白粉は水銀が……高尾姐さん達女性陣が使ってる粉の白粉は鉛が混じってる。どっちも人の体内に入ったらかなり危険、毒なんだよ」
俺の言葉に皆の目が真ん丸になる。そして、バンッ、と襖が開き、
「な、何だって~ッ!」
あどけない顔した少年が大声で叫んだ。
え~と……誰??




