第八章 2
2
面白そうだから俺も見に行っていいか? ――そうキー君が宣うので、俺等は全員して道場に踏み入れた。
「だから、冷えた体を温めるにはきつねうどんが一番だと……」
「ざけんな! 油揚げがこの世で最強だとでも言うのかよ!? 最強はたぬきに決まってんだろう!?」
「てめえ、甲斐名物のほうとうを無視してんじゃねえぞ、こらッ!」
……何だ、これ?
緑のアレと赤いアレ戦争?? いや、更にど○兵衛も混ざっての三つ巴の戦いか??
「俺は味噌煮込みうどんだな」
「キー君、訳の判らん状況を更に掻き混ぜようとしないで」
御当地ものまで足して戦国乱世にする気か?
思わず現実逃避で馬鹿話をする俺とキー君を華麗にスルーして、雪ちゃんが浪人連中の前に行き、パンパン、と両手を叩く。
「私の推しは天麩羅蕎麦です。――そんな事より、私達は雪国での兵法を議論してると聞いてきたのですが……これは何事ですか?」
雪ちゃんの凛とした声に、髭だらけの男達が肩をすぼめてシュンとしてしまった。叱られた子供か。
と、中央辺りで右手が挙がる。
「雪国での戦闘。鎧甲冑では逆に動きを制限されるんじゃないか? ――俺がそう言ったら、寒さを寄せ付けず、かつ戦闘に耐えられる丈夫な装束。そして温かい兵糧が必須って事になったんだよ。そっから話が明後日の方向に行っちゃってな」
おや、遊び人の光さんじゃないですか。
「今日は甚くんは居ないの?」
「雇い主のところに報告に行ってるよ。――で怨霊、お前はどちら派だ?」
「俺は味噌ラーメンだな。バターとコーン、それにシャキシャキのキャベツを載せて……後、トッピングに二つに割った半熟の卵を載せるのもアリだな。スープの味が染み込んだ白身部分から、とろり、と黄身がこぼれて……」
「ら、ら……めん?? 何だ、それ?? 何言ってるかさっぱり判らんが、美味そうなのは伝わって来る」
光さんを筆頭に皆がゴクリと唾を飲んだ。
そっか。この時代、まだ日本人はラーメン知らないのか。――いや、室町時代に経帯麺作った記録があったような。それまで、光さんが『初めてラーメンを食べた日本人』の称号を持ってたのだが、この記録が発見されて歴史が塗り替えられたのである。
……まあ、初めて食べたのが徳川光圀だろうと足利義満だろうと、時が経てばやっぱり富山ブラックは生まれ、竹達ボイスのJK小〇さんは全国各地のラーメンを食べ歩いている事だろう。
「え~と……簡単に言うと、明の蕎麦だよ」
「ほお。それ、今、作れるか?」
「無理。麺の作り方がよく判らない」
「日ノ本の蕎麦じゃ駄目なのか?」
「粉にした小麦にかん水ってのを混ぜるらしんだけど、そのかん水の作り方とか小麦粉とどんな比率で混ぜるかまでは知らないんだよ、俺」
カップラーメンなら、お湯を注ぐだけなんだけどね。
光さんは顎に手をやり、明の人間に訊いてみるか、と小さな声で呟いた。どうしても食いたいらしい。頑張って下さい。
……麺が出来たら、濃い目に味付けてから天日で干して、ベビー〇ターラーメン作れないかな?
雪ちゃんが周りを厳しい目で見まわす。
「温かい食事……皆さん、大事な事を忘れてませんか?」
「??」
「雪に覆われた地ですよ? 木を切って薪にするしても、湿っていて上手く火が付くかどうか……」
皆が、あっ、と間抜けな顔を浮かべ。
が、俺と熊谷さんは苦笑いをして首を左右に振った。
「冬の雪山でも、芯まで濡れてる事はないよ」
「ええ、ちゃんと薪割りをすれば大丈夫でしょう」
雪の上で焚き火をするにはコツがいる。まず焚き火する場所の雪を踏み固めてから倒木を何本か地面に敷く。そして、その上に紙を敷いてから――丸めて棒状にするってのも聞いた事がある――細枝を積んで、更に枯れ葉を撒いたりして紙に火を付ける。
勿論、この時代にマグネシウムによるファイヤ・スターターは勿論、使い捨てライターだって存在しないので、川で採取した赤茶けた石をよく乾燥させてから金属と擦り合わせて火打ち石代わりに使う。赤茶けてるってのは酸化鉄を多量に含んでるって事で、やはり乾燥させた茸を側に置けば種火にしやすいとも聞いた。
俺の説明に熊谷さんがコクッコクッと頷く。
「火が上手い事付けば、後は焚き火に投ずる木を細枝から徐々に太い薪に変えていくだけです。後、薪を鉈で毛羽立たせる感じにしておくのも有効ですね」
「ほへ~……」
半兵衛さん、目を真ん丸にするのは構わないけど「ほへ~」はキャラに合わんぞ。それが似合うのは、何とかカードを集めて回る某魔法少女だけだ。
「私は西を彷徨っていたので、雪山で野宿した経験は無くて……純粋に感心しました」
「雪山で野宿って……それは野宿じゃなく『遭難』と言うんです」
「そうなんですか?」
誰が上手い事言えと……。
半兵衛さんは自分が定番ダジャレを口にしたと気付いてないようだが、周りは吹き出すのを必死にこらえている。
「ぷっ……くっ……は、話を戻そうぜ、怨霊」
左手で口元を押さえた光さんが、道場の畳を右の拳で何度も叩く。キー君も後ろを向いて肩を震わせていた。
「え? え?? 私、何か変な事言いましたか??」
「だ、大丈夫です。話を戻しましょう。……ってか、どこまで話してたんだっけ?」
田沼さんが、雪山での焚き火のやり方です、と教えてくれる。
「ですが……焚き火の煙は敵に位置を教える事に繋がりませんか?」
あ。
……皆の動きが一瞬止まった。
……そして、
「すげえぜ、田沼のおっさん。今までの話を切って捨てたぞ」
「おぉ、そこに痺れる憧れる……」
おい、何故そのフレーズを知ってる?
まったく、この食い詰め浪人共め。
俺は溜息を吐いて頭をガリガリと掻き、
「だったら……作った弁当を温め直すってのは?」
と言った。
「温め……直す??」
「うん。その場で飯が作れないなら、前もって作っておくしかないじゃん」
「ま、確かに」
雪ちゃんが首を傾げながらも同意する。
「二つの箱が上下に重なってる感じで、上に弁当、下に粒状の石灰を敷いて食う時に石灰に水をかけるの。そうすると石灰が熱を発するから上の弁当が温まる」
確か駅弁でそういうのがあった筈。
皆が半信半疑な表情をするので、後で実験してみせる事になった。……そう言えばガキの頃、お菓子の箱に入ってた乾燥材に『水をかけないで下さい』と書いてあるのを見て、水をかけるとどうなるんだろう、と試して親に怒られた事があったっけ。
「しかしよ、怨霊?」
光さんが右手を挙げる。
「何?」
「蝦夷に味方して松前藩に喧嘩を売る。――俺の立場だとお前等を捕まえてでも止めるべきなんだろうが、それは置いといて――どうなったらお前等の勝ちなんだ? 一体、どういう絵を描いてる??」
ふむ。
アイヌに味方して松前藩に喧嘩売る訳だから、戦略としては一撃離脱――早い話、一発ぶん殴って逃げる――が中心となる。で、時間を稼ぎつつ京や幕府に働きかけ、アイヌの民も日ノ本の一員として認めて貰う。
「認めてもらうって……具体的には?」
小首を傾げる光さん。
「義経が奥州衣川を脱出して蝦夷地に渡り、そっから更に大陸に向かって成吉思汗になったって伝説や、神話に出て来る意味不明な名前が彼等の言葉で解けるかも知れないって話をして、蝦夷地の民を同じ人として考えず暴利を貪る松前藩のやり方じゃあ恨みを溜めるだけだ、と訴える」
「ふむ。で、どうするべきだと?」
「松前藩を引っ込ませて、皇族……いや、尾張公か紀州公の血筋の方に蝦夷地を直接統治して貰う。彼等と融和的な政策を持って開拓を進め、おろしあ国との境を固める」
「おろしあ……??」
あれ? この時代の日本人はまだロシアの存在は知らないのか?? ……まあ、今から北方領土問題を心配してもしょうがないか。
明治に北海道の開拓に赴いた人物の中に元尾張藩の殿様が居る。別名、虎狩りの殿様と呼ばれた人で、北海道のお土産として有名な木彫りの熊を考えたのもこの人らしい。他にも色々と気になる点が――俺は、伝説の徳川埋蔵金にこの人が一枚噛んでる気がしてならない――ある人なんだが、子孫が開拓やってるなら御先祖様にやってもらってもいいんじゃないか? で、閃いたのが八代将軍吉宗を命懸けでからかってた徳川の婆沙羅大名、尾張宗春だ。
吉宗は、将軍どころか紀州藩主になるのさえ有り得ない存在だった。確か、父親の光貞が湯殿係の女の子に手を付けて産ませた子だった筈である。それが父親を始め兄達が次々と流行り病で死亡、気が付いたら藩主様になってた。良くてどこぞの僻地での領主様、下手したら一生城で飼い殺し、それが大藩のお殿様になったのである。
そっからも運命の流転は続く。江戸将軍家の直系が絶え、御三家から新しい将軍を迎え入れる話になるのだが、名前が挙がったのは二人、紀州の吉宗と尾張は宗春の兄、継友だった。血統的にはどっちが将軍になってもおかしくない。
結果的に吉宗になるのだが、後日、継友は病死している。吉宗が何か強引な手を打ったのではないか? 別に将軍になりたかった訳ではないが、そこまでするのか……と怒りが限界値を超えた憤死だと当時から囁かれた。彼の小姓が脱藩した上で吉宗への狙撃未遂事件を起こしてるからだ。失敗した小姓は腹を十文字に掻っ切って果てたらしい。
ならば、強引な手とは何か?
――親兄弟が次々と病死。更には尾張の継友様まで……。余りにも都合が良すぎないか? まるで誰かが毒を盛ったかのようでは……。
さすがに口にはしないまでも、誰もがそれを思い浮かべた。
結果、尾張と紀州の間に微妙な空気が流れるようになり、尾張藩主を継いだ宗春の痛快なまでの『命懸けの遊び』が始まる。
現代風に言えば、緊縮財政を敷く吉宗に対して宗春は積極財政論者であった。尾張に初入部する際は、行列に花笠を被らせて当人は唐人笠に鳥の羽を付けて東海道を進んだというのだから、まさに傾奇者ここにあり、だ。
また、端午の節句で五月人形を飾るのは贅沢だと吉宗が言い出した。その御触れが出回った次の五月、尾張の江戸藩邸では幾つもの幟が悠々と風にたなびき、門は解放され多くの庶民が見物に訪れた。御触れに幟までは書いてなかったのである。
――天下、乞食に似たり。尾州、公方に似たり。
こんな落書が出回り、息の詰まっていた庶民達は腹の中で喝采を挙げたという。
まあ、こんな風に一から十まで吉宗をからかっていたら、本人はともかく家臣達の中にはビビる奴も出て来る。苦々しく思っていた幕閣と連携して、最後は強引に宗春を隠居に追い込んでしまった。吉宗自身はそこまでするつもりは無かったようだが、はっきりした事は不明だ。こんな結末だからか、宗春の肖像画は一枚も残ってない。
ただ、何人もの人が宗春の恩赦を願い出てる事から本当に庶民に愛された人物、ヒーローだったと俺は思う。もし可能なら、この人に蝦夷地の開拓を指揮して貰いたい。積極財政論者で、祭りなど庶民と共に楽しむのを自らの喜びとする彼なら上手く行きそうな気がするのだ。
まあ、まだ生まれてもいない人間に何を期待してるんだよ、って話だが、尾張と紀州の間に溝が生じてしまうのを避ける為にも何とかしたい。
光さんが唖然とする。
「蝦夷地に徳川の血筋を入れて、一つの藩として独立させる――か。相変わらず凄い事考えるな、お前……」
そうかな?
光さんが肩を竦め、ニヤリと笑みを浮かべる。
「でも、面白い。俺が協力してやるよ」
「へっ?」
「この前、親父と話したんだが、俺が藩を継いだらやりたい政策をやっていいと言質を取った。と言っても、水戸藩の石高は低い。まずは船を造って各地の産物を取り寄せ、水戸で育てられないか試してみようと思う。朝鮮人参とかな」
船……?
「名前はもう決まってる。『快風丸』だ。いい名前だろう? この船で蝦夷地まで送ってやるよ」
「行きは浪人達を乗せて帰りは特産物をたっぷり、か。悪徳商人も真っ青の人身売買だな、光さん?」
キー君がクスクス笑い、それに対して光さんも笑って「うるせい」と返す。……浪人達は笑っていいのか、ツッコむべきなのかで微妙な表情を浮かべてるが。
雪ちゃんも微妙な表情を浮かべ、
「若……いや、光さん。まず最初は治水をやって下さい。水源を定め、庶民達が飲み水に困らぬよう工事を行うべきです」
と言った。これに半兵衛さんや熊谷さんも同意する。
「水戸の領内を富ませたいのは判りますが、古えの『倉廩満ちて礼節を知り……』は人の世の真実。まずはそこの調査から始めるべきです」
「ええ。大空を羽ばたくには、不安定な足場からではかえって危険です」
「……お前等は俺の爺やか?」
光さんが深く溜め息を吐いた。「――判ったよ。まずは足元を固める。まあ、蝦夷地に行くのも今日、明日って話でもないしな」
では、話を戻しましょう……と、田沼さんが微笑んだ。
「雪に覆われた地で鎧甲冑を纏っていては、寒さを凌げず、素早く移動するのも困難――この問題はどうします?」
宗春…現代だと小泉元総理のようなキャラですかね~。




