第七章 8 ヒッキー妖怪を知ってますか?(その4)
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――数日後。
江戸の張孔堂の一室に於いて、数人の人間が密談していた。
参加者は黒装束の男と敏捷な猫科の動物を思わす少年、それからここの主である由比正雪に剣術の教授方である金井半兵衛、そして皆から怨霊を呼ばれる男の五人。
五人の真ん中には漆塗りの豪奢な箱が置かれていた。
「中浦ジュリアン殿の遺産ね……。はてさて、これがノストラダムスの『諸世紀』の日本語訳だったら大笑いなんだが」
怨霊と呼ばれる男がそう言って、箱の中から一冊の書物を取り出した。
「のす……虎?? 何ですか、それ??」
正雪が小首を傾げる。
「日ノ本で言えば……太平記に出て来る『聖徳太子の未来記』みたいなものだよ。数百年先までの予言が書かれていると言われているんだけど、難解な言い回しやアナグラム――文字の並べ替え――が駆使されていて、事件が起きた後に『もしかして、この事か?』ってのが大半なんだ」
パラパラと本を捲ってた怨霊が、動きを止める。
「どうされました?」
「いんで……うん? もしかしてこれ、インデックス?? え?? まさか、これ……あの伝説の禁書目録か??」
「禁書……目録??」
「うわぁ、やべえ。マジかよ? さすがに十万三千冊は無さそうだが……その赤穂池田家の御正室、井口〇香ボイスだったり?? 殿様を『とうま、とうま!』と呼んで……」
「ちょ、落ち着いて下さい、四郎様」
目を爛々とさせて喋り出す怨霊の肩を、皆が慌てて揺する。
「……はッ。ご、ごめん。ちょっとトリップしてた」
「それで、これは一体どういうものなんです?」
「う~ん……。何て言ったらいいのかな? 実験やら観察で発見された事実が……」
――
「学者達が神の教えにそぐわないものを発見した場合、それを『異端』として闇に葬るのか、南蛮では!?」
岡山の城で私と殿、それから赤穂から呼び出された右近太夫様とその御正室殿で仁左衛門殿の報告を聞いていた。
「怨霊殿によると、星々の観察を続けていたある学者が『天が動いてるのではない。大地が動いてるのではないか?』と考えました。ですが、神の教えにそぐわないと白州の場に引きずり出され、自分が間違ってました、と宣言することを強制されたそうです」
「……凄まじいな」
殿が顔をしかめる。
「そういう異端として弾き出された書物の目録を『禁書目録』……いんでっくす、と呼ぶとか。中浦ジュリアン殿は、上の者達の言う『間違ってる』を盲目的に受け入れるのではなく、『どこがどう間違ってるのか』知ろうとなさっていたのであろう。――怨霊殿はそう仰っていました」
「そういう事でしたか……」
長年の疑問が氷解した御正室殿が、深く息を吐いて微笑んだ。
しかし……、と右近太夫様が疑問を呈す。
「その時は『間違ってる』と判断されたとしても、新しい発見や理屈が見付かれば『正しかった』となる事もあるのではないか? それか逆に、教えを記した書が間違ってる場合も考えられると思うが??」
「……自分も同じような質問を怨霊殿にしました。曰く、そうなる可能性は高いが、権力者が『自分が間違ってました』と認めるのは、長い時間がかかるもの。まして、切支丹は一神教ゆえに教えの方が間違ってると認めてしまったら、根底から崩れ去ってしまう。だから認められない、と……」
「厄介な」
殿が苦虫を噛み潰したような表情をする。
仁左衛門殿もコクリと頷き、
「故に、御正室殿がこの書物を守ってきた功績は讃えられてしかるべき。が、惜しむらくは数百年経た世でなければ、それを理解出来る者は居ないでしょう……との事です」
殿は、ふむ、と頷き、
「だが、南蛮の学者達の研究は好奇心がそそられる。怨霊殿にそれらを我等の判るように噛み砕いて、教えて頂く事は出来ぬか?」
……ああ、また始まった。
私は思わず苦笑を浮かべ、
「怨霊殿は申してました。数百年後、日ノ本は南蛮との付き合い方を否応なく考え直す時が来る。鎖国を解くか、強引にも鎖国を続けるか、日ノ本中で大激論を繰り広げるでしょう……と。その時、それら学者達の研究は南蛮を知る上で重要な手掛かりになる筈です」
「うむ」
「ですが、『今』ではありません。その時が来るまで我等がそのような研究をしているなど幕府に知られては、どんな難癖を付けられるか……。赤穂の御正室様は中浦殿が亡くなられて数年の時でしたが、殿は数百年、隠し通す自信がありますか?」
「何、切支丹の教義に関わる部分は抜き取り、先生がやっている学校で学んでる者達が発見したと言えばいい」
「こっちに丸投げですかッ!?」
へらへらと笑う殿に、少しばかり殺意が湧きました。
仁左衛門殿は、まぁまぁ、と私の肩を叩き、
「怨霊殿が言うに、この書物を解読するには蕃山先生は勿論、京の学者達にも助けて貰わないといけません」
確かに。私自身、内容に興味が無いと言えば嘘になる。――だが?
「この岡山の城には伝説の妖怪が天守に居るとか。その妖怪の持ってた秘宝というのはどうでしょう?」
「……その実態は、戦国の頃の切支丹である何者かが伝説を隠れ蓑に、これら書物を隠したと?」
仁左衛門殿がコクリと頷く。
右近太夫様と殿は顔を見合わせ、成程、と手を叩いた。
「それなら我が池田家に累は及ばぬ」
「うむ。信長公は京で南蛮人と会見しており、切支丹を禁じていなかった。その頃の書物と思われる、と言い張れば誰も否定出来ぬ」
そして、御二人がやけにいい顔して私の方に向いた。
「宰相殿」
「嫌です」
「いやいや、まだ何も言うておらぬが?」
「どうせ、辻褄の合う伝説を作って広めろ、と言うのでしょう? 儒者は怪力乱神を語っていけないのです。師から破門されてしまいます」
「“怨霊”と友達付き合いしてる者の言う台詞ではなかろう、それは?」
言い合いする私達を、仁左衛門殿は微笑ましい顔で「仲の良き上下関係ですな」と呟いた。節穴ですか、貴殿の目は??
――数年後。
江戸の子供達の間で、ある話が流行り出す。
岡山の城にて若き頃の新免武蔵殿が妖怪『長壁姫』と戦い、城の家宝である名刀『郷義弘』を取り戻したというものだ。
「いやいや、オイラの聞いた話だと、城の天守に巣食っていた妖怪達を武蔵様が斬り払い、奥に進むと力を失くしてシクシクと泣く刑部明神さまが居たとか」
「ああ、あたしもそれ聞いた! 岡山の城を建てる際、そこにあった社が遷されたんだけど、きちんと作法通りにしなかったから明神様だけそこに残されて、力を失くしちゃったんだって。で、悪い妖怪達が城を乗っ取ろうと……」
「うんうん。で、たまたまそこに現れた武蔵様がバッタバッタと妖怪達を……」
「カッコいいよね~、武蔵様!!」
「ねぇ~。それで助けられた刑部明神様が、褒美に名刀を与えたんだって~」
「後、『この城に伝わる秘伝の文書がある、干支が二回りほどしたら城主が取りに来るが良かろう』って言ったんだって。最近、それを古老から聞いた城主様が天守に登って調べたら、何だか凄い文書を見付けたって噂だよ!」
「刑部明神様の秘宝、どんな宝物なんだろう??」
「いやいや、文書だって言ってるじゃん!!」
キャッキャッと賑やかな子供達の話を聞き、皆から怨霊と呼ばれる男は、
「いや、妖怪話に仕立て上げちゃえ、と唆したのは俺だけど……ヒッキー妖怪、長壁姫と武蔵様の戦いって、確か明治頃に作られた話だったような?? これも歴史の復元力??」
と、小首を傾げていた。




