第七章 5 ヒッキー妖怪を知ってますか?(その1)
熊沢蕃山サイド 寛永16年(1639年) 12月某日 深夜 岡山城
1
密室で殿と来年以降の打ち合わせしている時、天井から黒装束の男が降って来た。殿の背後に控えていた小姓が慌てて身構えるが、殿が右手を挙げてそれを制す。
「確か、尾張公の忍びだったか。宰相殿に会いに来たのか? それにしては、余が居る時に姿を見せる理由が判らぬが……」
「怨霊殿の託宣を伝えに」
音も無く着地し、伏して控えた黒装束の男――仁左衛門殿が、言葉少なく呟く。
殿は目を瞑り、一拍、間を置いてから小姓に「下がれ」と命じた。小姓が怪訝な顔で不承不承出て行く。
「人払いはしたぞ?」
「畏れ入ります。赤穂池田家の調査をお許し頂きたく、参上した次第でございます」
赤穂??
我が殿は池田輝政候の嫡孫だが、赤穂の右近大夫様(池田輝興)は輝政候の六男、つまり叔父に当たる方だ。
「右近大夫様に何かあるのですか、仁左衛門殿?」
私の問いかけに、判りませぬ、と呟いた。
「判らぬ?」
「怨霊殿が言うに、五代将軍の頃の赤穂は浅野家が入ってるそうです。つまり、赤穂池田家は改易になる可能性があると」
改易??
その言葉に殿の眉間に皺が寄り、目に殺気が灯った。
「忍び……言って良い言葉と悪い言葉があるぞ」
「承知の上です。ですが、勝手に調査して問題が見付かった場合、西国将軍と呼ばれし方の血を引く藩主殿が拙者の口を封じないと思えませんので」
「……」
殺気が消え、殿の顔に薄く笑みが浮かぶ。ああ、面白がってるな、殿。
殿は学問に秀でており、臣下に学問を強制する事は無いが――自らの意思で学ぶ事が大事と考えている――知的な会話を好む面がある。代官も知らない作物や馬の品種で百姓や浪人と専門的な話をしたことすらある程だ。
今は駆け引きを楽しんでおられる。
「……つまり何か問題があった場合、幕府は勿論、尾張公にも知らせず余に教えてくれるという意味か?」
「事態の隠蔽に尾張の殿のお力が必要と藩主様が思われた場合、報告せざる得ないでしょう。が、まず熊沢先生に報告し、その判断を仰ぐべし――と、言われています」
「ふむ。――先生はどう思われる?」
殿が私の方に視線を向ける。やれやれ。怨霊殿との友情を信じるか、藩を守る為に冷静な判断をするか、私も試されてる訳か。
「天候異変から作物の収穫量が激減してる今、民が飢えず、一揆を起こさないのは殿が私の持って来た芋の価値を認めて下さったからです。その芋について教えて下さった怨霊殿の言葉は、耳にしても汚れる事は無いと思われます」
「ふむ」
「勿論、盲目的に信じて言葉に振り回されるのは問題ですが、殿ならばきちんと自分の頭で判断される事がお出来になるでしょう」
「……良かろう。あの又五郎の一件のようなゴタゴタはもう御免だしな。――忍び、調査を許可する。但し、先生と一緒に赤穂に潜入せよ」
仁左衛門殿が、ハハッ、と平伏し……、
「えッ!? えッ?? 私も赤穂に行くんですか??」
「鬼が出るか蛇が出るか。――まあ、先生なら何が出ても上手いこと鎮めてくれるだろう? 何せ先生は島原まで切支丹退治に行った御仁だし」
殿がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「……それ、もう忘れたい、若かりし頃の暴走なんですがね」
「ああ、そういうの、『黒歴史』って言うそうですよ? 怨霊殿が言ってました」
仁左衛門殿が顔を上げて言うと、殿が「ほお」と呟いた。
「己の生き様に於いて黒く塗り潰したい部分という意か。言い得て妙だな」
「もう、好きなだけ笑って下さい。――仁左衛門殿。赤穂に何か異変があったと仮定し、我等が動く事でそれを上手く鎮められたら、怨霊殿は池田家に一つ貸しを作る事になります。それについては何か言ってませんでしたか?」
はて……。そう呟き、仁左衛門殿は首を傾げ暫し考えた後、ポンと両手を合わせた。
「ああ、言ってました」
わざと勿体付けたな、仁左衛門殿。
「何と?」
「日ノ本と朝鮮国の境を明確に決め、後世に禍根が残らないようにして欲しい――と言ってました。数百年後、小島を巡って諍いが起きるとか何とか……」
「小島? 我等に頼むという事は……竹島、松島ですか??」
殿と顔を見合わせる。
「そういう問題は幕府と通信使が話し合うもので、我等には……あッ!?」
「殿?」
「先生、我等池田家は大権現様より特別に大船を造ることを許可されている。おそらくはそれを使って倭寇などの取り締まりをやれという事だろう。しかし、あんな離れ小島、そこまでする価値があるのか??」
ふむ。大船で取り締まりか。
「……漁師達に訊いてみないと判断出来ませんが、彼等にとっては価値があるかも知れません。戦で例えるなら漁師達にとって港が本陣であり、船が付けられる小島は……」
「ん? ……ああ、砦か」
「それに、島原では伊豆殿が蘭船に要請して大筒を撃たせてます。海の戦は門外漢ですので断言出来ませんが、船同士で大筒を撃ち合うような戦が起きた場合、小島の存在は山崎ノ合戦に於ける天王山と同じかと……」
「……」
殿は両腕を組んで暫し瞑目し、考えがまとまったのか、ウムと強く頷いた。
「判った。……いや、赤穂池田に何があるか判らんが、幕府に口実を与えるようなものだったら隠蔽するのを条件に、幕府に大船での警備を進言しよう。頑張ってくれよ」
「ハハッ」
私と仁左衛門殿は同じ拍子で殿に平伏した。




