第七章 2 警備保障事始め
左甚五郎サイド 寛永16年(1639年) 12月某日 深夜 紀州和歌山城
「……土間の……栗?? 何だそれは、巫女さん??」
「ろ~まん、こんくりぃと。栗ではないわ、名人。――南蛮の都で古くから使われてた、人の手で作る岩だそうじゃ。建築に使われてたらしい」
岩? 建物の基礎にでもするのか??
目の前に座り、飄々と茶を啜ってる子供の巫女さん。あの怨霊の小僧の書いた紹介状によると、風魔残党の長であるらしい。……幼女が長って、色んな意味で大丈夫か、風魔?
紀州の殿様に御家老さん、それから田宮様に三輪様など側近数名、そして沢庵和尚においらで怨霊から教わった地震い対策の報告をしてる時に、この幼女、天井から降って来やがった。
白刃を突き付けられながらも、平然とした顔で書状を出し、
「島原の怨霊のお告げじゃ」
と宣ったのだ。
額に手を当てた殿様が疲れた声で、刀を収めろ、と命じる。
「久し振りだな、風魔小太郎。根来衆が警備してた筈だが、どうした?」
「誰も妾に気付かなかったぞ。まだまだじゃな」
「……はぁ」
殿様は深く溜息を吐き、書状をこれに、と言い、それに目を通して今に至る。
「――で、その『こんくりぃと』なるものの材料は?」
「水と火山灰、それから石灰だそうじゃ。……石灰は、窯で焼いてからとか何とか言っておったな。だから、『燃える石』があった方いい、と」
「燃える石?」
「石炭というらしい。木で作る炭より効率がいいものだそうだ。木炭だと、伐採し過ぎれば山から木が無くなって禿山だらけになるじゃろう? そうなれば土砂崩れや地滑り、水害が発生しやすくなる。適度の間伐は必要だがのぉ」
「かんばつ??」
「鬱蒼とした森では、お日様の光が地面まで届かない場所があるじゃろう? 日が差さないという事は、そこだけ木や草の生育が悪くなる。つまり、根を張らないという事じゃ。根を張らなければ……」
「そこから崩れやすくなる、か。……怨霊め、そういう知識は早く教えろよなぁ」
殿様が苦笑いし、御家老さんに今の話を藩政に応用出来るか検討するよう命じた。
ふむ……。
しかし、その燃える石や石灰が無きゃあ、話が始まらない訳だろう? 石灰は漆喰で使うから知ってるが……。燃える石なんてどこにあるんだ??
「熊野川の方の山にあった気がする、と怨霊は言っておった。奴は九州や蝦夷地の山を狙ってるらしいがのぉ。――そうそう、石灰は田畑に撒けば肥料になるとも言っておったな。土を良くするらしい」
それを聞いた御家老が、何じゃとぉ、と叫んで立ち上がる。
和尚が右手を挙げて、まあまあ、と制す。
「落ち着け、御家老殿。――その『こんくりぃと』とやら、要するに岩だ、と言うたな? それを建物に使うという事は……ふむ、火事対策か。名人が『斜交い』でやったように試しが必要じゃろう。『こんくりぃと』を作る比率を探り、また石灰は田畑に撒いてどの程度の効果が見込めるか探る……。ちと量が必要じゃな」
「石灰は伊吹山辺りから採れた気がすると言っておったぞ? 日本武尊の白鳥伝説を連想させるから憶えてたとか何とか……」
「伊吹山……あそこは彦根藩、井伊領だったな。尾張の兄上を通して話をしてみるか」
「うむ。怨霊が言うに京を学問と芸事の都、大坂を商いの都、紀州を鍛冶や大工など職の都とするなら、尾張は東と西を結ぶ流通の都にしたらどうだ、という事だ」
竜……鶴??
皆が首を傾げる。
巫女さんは懐から折り畳んだ紙を取り出し、
「お主等、今、変な当て字を思い浮かべたじゃろ? ――え~とじゃな……関ケ原の地で遥か昔、天下を二分する戦いがあったそうじゃ。壬申ノ乱と言うらしい。そして40年近く前、矢張り天下を二分する戦が起きた。これは偶然じゃない、と言うておった」
和尚が、ふむ、と頷く。
「壬申の乱……天智帝の子であらせられる大友皇子と、天智天皇の弟であらせられる大海人皇子が戦った戦だったか」
「さすがは沢庵和尚。怨霊は、大海人皇子はただの弟ではなく、異母弟……天智天皇が大化ノ改新で滅ぼした蘇我氏の系譜に属するかも、と恐ろしい事を言うておったがな。それはともかく、あの辺りは日ノ本に於いて東と西が二度もぶつかった地。つまり、裏を返せば東と西を繋ぐという要衝という事じゃ」
「……」
殿様が顎に手を当て考え込む。そして小姓に、地図を持て、と命じた。
慌てて届けられた行基地図らしきものが畳に広げられる。
「怨霊の狙いは何だ、風魔小太郎?」
「ここを基点に東へ、西へと物を運ぶ。物が動くという事は銭が動くという事。即ち、その地に銭が落ちて藩に税が入るという事になる。戦国の頃、信長公がやったように関を廃するのは難しいかも知れぬが、道を整備するのは出来るんじゃないか、との事じゃ」
「道?」
「うむ。おそらく迫ってる飢饉で飢え死にする者を少しでも減らす為、食える物を運ぶのを想定しているのじゃろう。だが、何を運ぶにしても大八車がガタガタ揺れては到着するまでにこぼしまくって、着いたら半分になっておるじゃろう……」
「それは判らんでもないが、道を整備と言ってもなぁ……」
三輪殿が顎に手を当て考え込む。どうやったって、ありゃあ揺れるもんだしなぁ。
巫女さんはニヤリと笑い、大きめで厚めの紙を所望した。
「紙??」
皆が首を傾げる中、届けられた紙を山折り谷折りに何回も折った。そして端を持って扇子のように広げ……、
「名人」
「ん?」
スパンッ!!
……頭を叩かれた。
小気味よい音が響き、皆が慌てて立ち上がる。幾人かは刀の柄に手を伸ばしてる。
目を白黒させるおいらに、巫女さんは「痛かったか、名人?」と尋ねた。
「いや……大して痛くなかったが、それは一体??」
「張り扇というらしい。これで叩くと派手な音はするが、痛みはそれ程でもない。ま、一種の悪戯じゃな」
沢庵和尚がその張り扇を受け取り、しげしげと眺める。
「よいな、これ。寺でも使うかな」
警策代わりに?
……修行の場が、お笑いの場になりそうだな。
「鉄を折り畳むのは大変だろうが、幾枚かの鉄をこんな感じに重ねて、大八車の車軸に仕込んだら何とかなるんじゃないか――と怨霊のお告げだ」
「ほう、成程」
皆が和尚の周りに集まり、順番に張り扇を手に取って自分の腕を叩いてる。
興味を持ったのか、殿様も近寄って張り扇を手に取り、後ろに控えてた御家老さんの頭をスパンと叩いた。
「と、殿ッ!?」
「いやぁ、すまんすまん。――よし、鍛冶職人に試作させてみよう」
――数年後。
尾張を基点に紀州、京、大坂、岡山へ物を運ぶ商売が流行ってるのを天草四郎は耳にする。しかも運ぶ際の用心棒を巫女姿の少女達がやってると……。
「張り扇から板バネって……いいのかなぁ」
苦笑いする四郎に黒装束の男が肩を竦めてみせる。
「確かに揺れは小さくなりましたし、いいんじゃないですか? あの扇を最初に考えた者には感状を送りましょう」
「確か、昭和の芸人じゃなかったかな?」
「げいにん?」
「この時代風に言うと、河原者かな? 舞台の上で派手な仕草とかして観てる人を笑わせるの。――で、風魔の女の子達が用心棒って、風魔って名前出してやってるの??」
「いえ。怨霊殿が勧めた吉原でやってる商売の吉凶判断する店が、相談受けた際のおまけとしてやってるそうです。評判は上々とか」
「ああ、アフターサービスってやつか。……ってか、マッ〇ンゼーだけじゃなくセ〇ムにまで手を広げる気かよ、ロリ巫女さま」
頭を抱える四郎を、黒装束の男は不思議そうに眺めていた。
石灰は肥料ではなく、あくまでも土地の改良にある程度使えるってだけみたいですね。撒きすぎると逆に駄目っぽいです。ただ、それに気付くまで結構な時間がかかったようで。
江戸時代末期に「安い肥料」って事で大流行したそうです。
主人公は「苦土石灰」って言葉を何となく覚えてただけです。
主人公の言葉をあっさり信じず、まず試してみよう、と沢庵さんが言ってくれたお蔭で、皆の信用を失わずにすみそうです。




