第七章 1 「男でござる」
鴻池善右衛門サイド 寛永16年(1639年) 11月 大坂堂島
11月に入り、老いたこの体には寒さが染みる季節になった。
囲炉裏の火に手を当てながら、目の前に畏まる黒装束の男の話を聞く。
「……芝居の本を書ける人間を紹介しろ、か。まったく、あの怨霊はん、今度は何を思い付いたんや。どんな話なん?」
「色々と見せ場はあるそうで、概略はここに」
差し出された紙の束に目を通す。
ほお。南北朝期が舞台か……。
吹けば飛ぶような小藩だが、美しき妻と手を取り合い民を導いてる優しき藩主が幕府より饗応役を任されるところから話は始まる。
饗応役の指導をする足利家の家宰、高師直は女好きの傲慢な人物で、この美しき妻を手に入れようと藩主を虐め……、
「堪忍袋の緒が切れた藩主が刀を抜き、高師直を斬り付ける。重要な儀式を血で汚したと、藩主は幕府より切腹を命じられる。領地より慌てて駆け付けた家老に、藩主は師直を斬り付けた刀を渡し、自分の思いを無言で伝えて死ぬ。亡き殿の遺恨を果たすべく、家臣達が艱難辛苦を乗り越え怨敵の首を挙げる、か……」
「全編を演じると何日もかかる、壮大な話だそうです」
「天野屋……」
「はッ?」
「わて、この役演りたい! この天野屋利兵衛って役、演りたい!!」
「御隠居??」
浪士達の頭である家老の器量に惚れ込み、武器の手配で協力する商人。武器密売のかどで奉行所に捕まり拷問を受けるも、『天野屋利兵衛、男でござる!』と叫び、討ち入りが成功したと連絡が入るまで頑として喋らなかった……。
そうよ、商人は一度交わした約束は絶対に守る。そして、その約束についてペラペラと喋ったりはしないのだ。最近の若い奴は、それが判っておらん。
「…御隠居?」
「ああ、すまんな。ちいとばかし興奮してしもうたわ。――怨霊はんは何と?」
「芝居にして、とにかく流行らせて欲しいと……。そっち方面には暗いので、御隠居様にすべてお任せする、と」
ふむ。
あの怨霊はんの事や、多分、裏に何かあるのやろうが……。
思わず、笑みがこぼれる。
「任せい。曽我兄弟の敵討ちと比べても遜色ない、伝説になるような舞台を仕立ててやるよって。――さて、誰に本を書かせるかのぉ……」
そうや。平山はんとこの餓鬼が、商売に興味を示さず連歌や俳諧にのめり込んでたな。あの餓鬼に書かせてみるか?
――数年後。
怨霊こと天草四郎は、大坂で『いろは忠臣蔵』なる舞台が大ヒットしてる噂を仁左衛門から聞かされる。
「え? 初日の天野屋利兵衛……鴻池の御隠居が演ったの??」
「ええ。拷問されながらも『天野屋利兵衛、男でござるッ!!』と叫んでキッと相手を睨み付ける……。迫力ある演技に観てたお客さん達は思わず総立ちになって、万雷の拍手を送ったとか」
「スタンディングオベーションかよ……」
「何です、それ? 御隠居が出たのは一日だけですが、商人達の間で『天野屋利兵衛を演るのは大坂商人として最大の誉れ』とか広まってまして、どうしたら出して貰えるか、問い合わせが殺到してるそうです。それでやむなく、来年以降は大坂に住まう庶民達による入れ札で決めると……」
「……わお。きっと数百年後の教科書には、『人気投票の側面が強かったが、これが現代的選挙制度の萌芽であった』とか書かれるんだろうな……。あ、それで脚本は結局誰に書かせたの?」
「平山とかいう商人の息子が家業ほったらかしで、連歌やら何やらに現を抜かしてるとかで……父親は息子を勘当して、店を番頭に継がせようか悩んでたらしいのですが、御隠居が『だったら、これをやってみぃ。成功したら、商人やらずに書き物だけで食っていけるように、わてが骨を折ってやる』と言いまして、二年がかりで完成させたそうです」
「平山? 平山ねえ……。そんな作家、この時代に居たかな? 平山……何て言うの?」
「ものを書く時は、確か連歌の師匠の『西翁』の一字を貰って……西の鶴、西鶴って名乗っていますね」
「ぶッ!?」
飲みかけていた水をピュ~と噴水のごとく吹き出す天草四郎。「――出て来るの早えよ、西鶴ぅ~!! 好色もの、どうすんだよ!? 十代でアレ書いたら、さすがに捕まるぞ……」
――畳の上で頭を抱えて踞る怨霊って、怨霊の代表格である平将門公や菅公が見たら、それこそ怒って祟り殺すんじゃないか?
黒装束の男はそんな事を思い、笑いそうになるのを必死に噛み殺していた。
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