第六章 7
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怨霊殿の講義後、道場で忠弥さんと熊谷さん、連也の武闘派が浪人達をイジメ――失礼、修行をつけ――る事となり、残りの私達は怨霊殿の寝起きしてる部屋に向かった。
「キー君の領地にある沼が、毎年、梅雨の時期になると水が溢れだして酷い事になるとかで相談されてたんですよ。でも、周りに土盛りするぐらいしか思い付かなくて……」
「成程。それで信玄公の堤を思い出した訳ですか」
腑に落ちたのか、柳沢さんがウムウムと何度も頷く。「――ってか、吉良家の若様を『キー君』って……」
部屋の障子を開けながら、怨霊殿が吉良の若さまに顔を向ける。
「キー君、やっぱり俺も『若様』って呼んだ方がいい?」
「やめてくれ。鳥肌が立つ」
「……だそうです」
怨霊殿が苦笑いして肩を竦めてみせ……
「先生! やっと来た~」
中から飛び出して来た子供達に抱き付かれた。
「お? 来てたのか、お前等??」
「うん! 先生に出された『近くの地図を作って、火事が起きたらどこに逃げるか大人と相談しよう』って宿題やったよ! 長屋の皆が感心して、いっぱい写し作って皆の部屋にも貼ったの。もし火事が起きて家族と離れ離れになったら、この印ついてる場所に集まろうって!!」
「私ね、私ね、傘に貼る油紙の面積を計算したらお父さんと商人のおじさんに褒められたの! 今まで、紙を切る段階で結構捨ててた部分がありそうだ、って!!」
「僕はね、僕はね、立札に書いてある文章読めるようになったよ! お父さんとお母さんが凄い褒めてくれたよ、先生!」
「そうか、そうか、皆、凄いぞ」
怨霊殿が子供達の頭を撫でる。
「今日は何を教えてくれるの、先生?」
「ごめんな、これから大人達と打ち合わせしなきゃならないんだ。……ん? 新くんは??」
「新くんならそこに居るよ」
少女が部屋の中を指差す。奥の文机で小さな男の子がカリカリと何か書き物をしている。集中してるのか、こちらに気付きもしない。
「新くん、何してるの?」
「あ、怨霊先生! この前教えてもらったえん……しゅうり……つ?? あれ、面白い!! どんな大きさの円もほぼ同じ数が出て来るの!! これを使えば逆に円周や面積を簡単に計算出来るよ!!」
まだ幼い男の子がこちらに向き、怨霊殿に太陽のような笑みを浮かべた。
「え? マジにもう円周率を理解したの?? 本当にこの子、天才かも……」
唖然としている怨霊殿に、どういう意味です、と田沼さんが問う。
「算術の歴史に新しい道を切り開く……と言えばいいかな? 剣術の歴史で例えるなら、新陰流を創始した上泉伊勢守みたいな存在になりますよ、この子」
「そ、それほどの才を??」
田沼さんが目を丸くして怨霊殿に抱き着く男の子を見詰める。
怨霊殿は男の子の頭を撫で、
「新くん、三角形にも同じような理屈があるの。勿論、角度によって数値が変わっちゃうんだけど……。それを使えば測量が出来る」
「そく……りょう??」
「うん。つまり、正確な地図が作れるの。ほら……」
怨霊殿はしゃがみ込んで、文机に広げてあった紙に何やら書き込んだ。「――ここの線と両端の角度が決まれば三角形の高さが決まるでしょ?」
「お? おお……」
「これを、こんな感じに……繰り返していけば、一帯を三角形で埋め尽くせる」
「すげえッ!? この理屈……縦に応用すれば使えば山とか建物の高さも測れるんじゃない、先生?? あ、でも、これやるには三角形の角度と高さの関係を表にまとめないと駄目か」
男の子が再び文机に向かい、夢中になって計算を始める。私には男の子が何を言ってるかさっぱりだが、とにかく凄いものらしい。
怨霊殿は男の子を残して子供達を帰らせ、皆で車座に座った。因みに男の子は怨霊殿の膝の上に座ってる。
「あのね、新くん。そこに座ってるキー君の田舎に大きな沼があるんだって。で、大雨が降るとその沼から水が溢れだして、近所のお百姓さん達が困ってるの。何とかしたいって相談されたんだけど、土盛りして堤を造るのが確実じゃないかって話になってね」
「……??」
「向かいに座ってる柳沢さん……サワさんが、信玄公の霞堤を見たことあるんだって。それを取り入れてみようって話になったんだけど、それには正確な測量が必要らしい。で、新くんに助けて貰いたいんだけど……どうかな?」
「いいよ♪」
男の子があっさりと頷く。本当に理解したのか、ちょっと怪しい。
柳沢さんもそう思ったのか、少し苦笑いを浮かべ、
「霞堤は要するに、鶴翼ノ陣なんですよ」
「鶴翼? 信玄公が得意にしてた陣形ですね」
と、正雪先生。
「はい。左右の土手に、川の流れとは逆向きになるよう八の字の切れ目を入れます。つまり、水を包み込むような陣構えです。これを幾段かする事で、切れ目はまるで砦や城の虎口のようになり、川から溢れた水はここを逆向きに流れます。結果的にそれは……」
「水の勢いを殺すことに??」
「そういう事です。更に付け足すと、この時の水は上流から肥沃な土を押し流してます。それがこの陣を敷いたところで溜まる訳ですから、この土を田畑に使えば……」
「次の年、豊作が見込める!?」
吉良の若様が嬉しそうに両手をポンと叩いた。「――いい事尽くめじゃないか!!」
「いや、一つだけ問題があります。一時的とはいえ、ここに水が溜まる訳ですから……」
「予想以上の水が来たら、やっぱり溢れちゃうね」
男の子が怨霊殿の膝の上で首を振り振り言う。
正雪先生は、ふむ、と言って紙を広げ、
「三段構え……一ノ陣は沼の縁を土盛り、二ノ陣はそれに幾重もの鶴翼を付ける。で、三ノ陣は更にその外側に十尺以上の土盛り……土手を築く。そして、溜まった水を近くの川に流すように水路……城で言うなら退き口を造る。陣の規模など細かい点は、現地で測量してから。……こんなところですかね?」
と、簡単な図を描いた。
怨霊殿もそれを見て頷き、
「だね。俺としては、ネット小説で知ったローマン・コンクリートを試したいけど……」
「ろま……子? 誰です、それ??」
「いや、人の名前じゃなくて、南蛮の古い遺跡に使われてる人の手で作られた岩。火山灰を材料にしてて、軽く千年以上、砕けずに形を保ってるの」
千年以上?? 南蛮にはそんな技術まであるのか??
目を白黒させる私達に怨霊殿は優し気に微笑み、
「ごめん。混乱させたか? ま、材料とか集めて実験しないと配合率とか判らんし、これはロリ巫女様に依頼するって事で、今日は解散にしようか」
「ちょっと待って下さい」
その言葉に皆が腰を浮かしかけたので、私は右手を挙げて慌てて止めた。
「どうしたの、半兵衛さん?」
「いえ……あの、柳沢さん?」
「?」
柳沢さんが私を見て首を傾げる。
「貴殿……幕府の密偵、間者ではありませんか?」
「……」
「えええええええーッッ!!」
柳沢さんが顔をしかめ、皆が目を真ん丸に開く。あれ? もしかして……私以外、誰も気付いてなかった??
「何の事でしょう? ……と、とぼけても無駄でしょうね。江戸柳生家の御次男には」
「私の事を知ってるのですか? 会った記憶はございませんが」
「お城で春日殿と色々とお話しされた事があったでしょう? 壁に耳あり障子に目あり、ですよ」
成程。あの時の会話を侍女の誰かが盗み聞きして幕閣に知らせたか。で、彼が送り込まれて来たと……。
柳沢さんが座り直し、皆も怪訝な顔してもう一度座った。
「拙者、甲斐源氏の傍流であり父祖は信玄公に仕えていました。これは本当です。そして、他の武田の旧臣達と同様に大権現様に拾われ、大坂ノ陣にも行きました。そこで功を上げて、拙者はある方に仕える事になったのです」
「ある方、とは?」
私が呟くと、柳沢さんは正雪先生に優しい目を向け、
「……駿河大納言、徳川忠長卿」
「ッ!?」
ここでその名が出るか……。
先生は眉間に皺を寄せ、次の言葉を待っている。水戸家や吉良家の若、それに田沼さんなど先生の出生を知らない者もここには居る。事と次第によっては……。
私はソッと刀の柄に手を伸ばした。
柳沢さんが一瞬だったが私に向かって微かに頷き、正雪先生に視線を戻す。
「見極めよ、と依頼されましたが……確かに目元に面影を感じますが、世の中には似た人が三人は居ると言われておりますし――そう答えておきます。それで構いませんよね?」
「さて、私には何の事やら」
正雪先生が涼しげな笑みを浮かべる。
「フフッ、誰に訊かれてもそう答えて下され」
柳沢さんも微笑み、腰を浮かせた。「――さて、そろそろ拙者は……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。びっくりしすぎて頭が付いて行けてない」
左手で頭をガリガリ掻きながら、怨霊殿が右手を挙げる。
まず十郎兵衛さんの方に向き、
「この状況、十郎兵衛爺ちゃんの仕込み?」
「いやいや、私も知りませんでしたぞ」
目を丸くした十郎兵衛さんが首を左右に振る。
「……ふむ。じゃあ、サワさん。今、浪人じゃないの?」
「ええ。三ノ丸の奥広敷番頭を拝命しております」
「奥……ピロシキ……パン、ゴジラ??」
首を傾げる怨霊殿に、水戸の若様と吉良の若様が揃って右手を左右に振った。
「違う違う」
「何だよ、ゴジラって? 三ノ丸の入り口を警備してる連中の頭って意味だよ。大名が登城した際、家臣達はそこから先は入れない決まりなんだ。そこに残って殿の帰りを待ってなきゃならん」
ゴジラじゃなくハチ公だったか――と、怨霊殿が肩を竦め、
「要するに、その待ってる連中が悪さしないように見張ってるのがお仕事?」
と、柳沢さんに尋ねた。
「ええ。まあ、門番の上級職とでも思って貰えれば」
「ここを通りたければ我を倒していくがいい、ってやつか。――じゃあ、俺達と一緒にキー君の領地に行くのは無理だよね??」
「『ここを通りたくば……』ですか。いいですね、その台詞。今度、沢庵和尚にでも使ってみようかな? ――行くのはちょっと難しいですね。私もそろそろ身を固めたいので、真面目に仕事を務めたいのですよ」
「……」
ふむ、と言って怨霊殿が両腕を組む。
「どうしました?」
「いえ。……何か困った事が起きたら相談に乗ってくれる? サワさんとは長い付き合いになりそうな気がするし」
「ええ、貴殿の持つ南蛮の知識は拙者も興味ありますし、構わないですよ。――では、今日はこれで」




