第六章 5
水戸光国サイド 寛永16年(1639年) 同日 深夜 張孔堂
一緒に聞き耳を立てていた甚七が、眉間に皺を作って困った表情を浮かべる。
「……若、オイラは嫌ですよ? あの空気の中、ノコノコ出て行くの」
「……俺だって嫌だよ。でもなぁ……」
襖を一寸だけ開け、そっと中を覗き込んでる訳だが……砂糖を吐きたくなるほどの甘い空気が中を満たしている。長年連れ添った夫婦か、お前等?
――ってか、あれ? 男同士……だよな、コイツ等??
「上総さまは自分が動けないので、代わりに大老の土井様にあの者の器を見定めて貰おうと考えてるようですが」
「……その為には、騙してでもコイツを土井の爺さんの前に連れて行かないとならん」
土井の爺さんは中風を患い、大老と言っても名誉職で今は養生の日々を過ごしている。上様が将軍に就く際、亡き台徳院様(二代将軍秀忠)が「将軍職と共に大炊頭を譲る」とおっしゃった程の名臣だが、病には勝てなかったらしい。
さて、どうすっかな……。
頭をグルグルと悩ましていると、背後に何者かの気配を感じた。またお友さんか、と慌てて振り返ろうとしたが、その前にトンと背中を押される。
「えッ!?」
「あ、アンタはもしやッ!?」
俺と甚七が襖を倒して転げるように中に飛び込む。一瞬だが白い影――幼い巫女――を見たような……。でも、すぐに姿を消してしまった。まぼろし??
「何者ッ!?」
「痛ッ!? ……な、何事?? って、光さんと甚君??」
素早く振り返って短刀を抜いて身構える正雪。で、膝から頭を振り下ろされたか、頭に手を当てて顔をしかめる怨霊が俺達を睨む。
「もしかして……覗いてました??」
「すまん。ちょっと話したい事があったんだが、声をかける機をなかなか掴めなくてな」
俺達が正座して頭を下げると、正雪が渋々と刀を鞘に収める。
「あまりいい趣味とは言えませんよ、水戸の若?」
「悪かったよ。勘弁してくれ」
俺が謝ると、二人が顔を見合わせて溜息を吐き「何の用?」と言った。
ふむ。どっから話すか……。
「天草四郎、お主は島原の恨みを晴らさんが為に動いてるのか? つまり、徳川に祟りを為さんとしてるのか? ある人物よりそれを見極めてくれ、と依頼されてお主を調べている。甚七もその方の子飼いの忍びよ」
びっくりしたのか怨霊が目を見開き、甚七を見詰める。
「甚くん、ちゃんと忍びやってたんだ……」
「一応、伊賀者ですから」
甚七が苦笑いする。一応って何だよ、一応って。
怨霊は胡座をかいて座り直すと頭をガリガリと掻いた。
「その『ある人物』とは会わせて……くれないよね?」
「ちと事情あって無理だな」
なんせ諏訪のお城に『只今絶賛、幽閉中!』だからな。
怨霊は俺をジッと見詰め、
「……島原の恨みがまったく無いとは俺も言わない。でもそれは、圧政を敷いた松倉寺沢両家に対する怒り。どうせ死ぬなら奴等も道連れにしてやる――その一念で、俺達は一揆を起こした……いや、起こさざる得なかった、かな?」
「『起こさざる』??」
どういう意味だ??
「今にして思えばだけど、一揆を起こす方向に皆の考えが誘導されてた気がするんだ。ま、証拠は無いし、『遊び人の光さん』が気にするような話じゃないよ。……そういう訳で幕府に対して恨みは無いから安心して」
考えが誘導……何者かに情報工作をされてた??
もう少し詳しく聞きたかったが、怨霊は首を左右に振ってそれ以上話す気は無さそうだった。ふむ。
「なら、先程話してた『ちゅうしんぐら』とは何だ?」
「キー君はいい奴だが、貧乏を知ってるだけに銭にシビアっていうか……がめついところがある。晩年、それが仇になって殺されるかも知れないって話」
「殺され……って、おいッ!?」
思わず腰を浮かせて立ち上がろうとした俺を、怨霊が押しとどめる。
「大丈夫。死亡フラグはきちっと折っておくから。それに、まだ赤穂藩に浅野家来てないようだし何とかなるだろう」
「死亡……ふら? 祝詞か何かか??」
「それは布留部。『一二三四五六七八九十、布留部、由良由良止、布留部』。物部氏系の文書の『旧事本紀』にある神咒、『布留の言』だよ。ってか、切支丹一揆の総大将だった男に神道ネタ振るなよ、光さん」
コイツ、神道の知識まであるのか。
俺は膝を一歩進め、なぁ怨霊、と話し掛けた。
「俺は兄上を差し置いて水戸家を継ぐことに罪悪感がある。兄上は決して凡庸ではない。水戸家を継ぐ才覚は充分ある。それなのに周りは俺を離してくれん。俺はどうしたらいい?」
「……はぁ」
「……はぁ」
怨霊と正雪は顔を見合わせ、再び溜息を吐いた。
「それを天下の大罪人である俺に訊きますか、水戸家の御曹司? ってか、お兄さんは何て言ってるの??」
「『自分は元服してすでに領地も貰ってる。だから水戸家の事はお前に任せた!』って笑ってるよ。でも、戦国の世ならいざ知らず、長兄が家を継ぐのは権現様が定めし法であり、またそれが長幼の序、自然の理ってもんだろう? 弟が兄を差し置いて継ぐなんて自然に反している」
「自然の理ねえ……伯夷と叔斉の兄弟か、アンタ等?」
はくい?
「史記にあるんだよ。兄弟が互いに王位を譲り合って、最後は二人して山に入って世捨て人になっちまう。――なあ、光さん? はっきり言っていいか??」
うん?
怨霊がグワッと目を見開き、俺を睨み付ける。そしてズリズリと近付いて来て、
「このバカチンがッ!! 自分は腐った蜜柑とでも言いたいのか!? アンタが水戸家を継いだら藩全体が腐っちまうのか?? まずはその幻想をブチ壊すッ!!」
「お、おぉ……痛、痛い痛い」
両手の握り拳で俺の頭を挟んでグリグリしてきた。
「水戸家は御三家の一つ。それも隠された使命がある筈だ。石高は尾張紀州に比べて低いが、アンタ一人の我が儘で無くしていい程、安っぽい存在じゃねえ!!」
「か、隠された使命? ……って、痛い痛い。勘弁してくれ」
「大体、そんなに兄貴に申し訳ねえって思うなら、『自分は水戸藩を預かっただけ』と考えればいいじゃないか。水戸藩を発展させて、兄貴の子に継がせろよ。『人』という字は人と人が支え合って出来ているって、金〇先生は言ってたぞ!」
「ッ!?」
兄上の子に継がせる……。
そうか、そうすれば血筋は正統に戻せる。で、俺に子が出来たら逆に兄上の養子にしてもらってその所領を継がせれば――兄と弟、本来のあるべき形になる。
ってか、グリグリ痛いわッ!!
必死の思いで怨霊の手を振り払い、俺は畳に両手を突いて荒く息を吐いた。
「はあ……はあ……。お、お前の助言、有り難く参考にさせてもらう。……ってか、こめかみがズキズキするぞ」
うぅ……頭が割れそうだ。
正雪が苦笑いしながら肩を竦め、
「若様、貧乏人は今日の糧を得るだけでも必死なんです。きっと水戸藩の領内にもそんな貧乏人が沢山居ると思います。若様、家を継ぐ継がないとウジウジ悩んでる時、そんな民の顔が一人でも浮かびましたか?」
確かに。江戸の町をほっつき歩いてるだけで、俺は水戸の領内を何があるか調べてもいなかった。……まあ、行くにも許可が必要なんだが。
「色々と勉強が必要なんだな、俺は。それが判っただけでも来た甲斐があったよ。――さっき口にしてた水戸家の隠された使命ってのは何だ?」
答えたのは怨霊だった。
「それは……。なぁ、光さん。もし仮に、京の天子様が幕府追討を宣言したら、光さんはどうする?」
「幕府追討? そんな動きあるのか??」
「ねえよ。仮に、の話だよ」
「ふむ。勿論、この身をもってお止めするが、最悪、後鳥羽上皇のごとく隠岐に……」
「それじゃあ駄目なんだよ。勿論、他藩の動向など戦況分析が必須だが……二つに一つなら水戸家は天子様に付け。そうしなきゃ……」
「しなきゃ?」
俺の問いに甚七が呟く。
「……仮に徳川が敗れた場合、その血筋は絶えることになりますね」
「ッ!?」
そうだ。何故、思い浮かばなかった。
「それが隠された使命?」
「あくまで推測だがな。光さんの親父さんに訊きに行っても、知らん、って門前払いされるのがオチだろう、こんな話」
確かに事実だとしても表に出来ない話だ。それに、下手に将軍家に知られたら「どうせ敵方に付くんだろう?」と信頼度が急降下して地面を抉りかねない。
俺が水戸家を正式に継承したら、はっきりするんだろうが……待てよ。
「怨霊。俺に依頼した人物には会わせてやれんが、一人、会って欲しい人物が居る。その人なら水戸家の隠された使命、本当かどうか判るかも知れん」
「誰?」
「土井の爺さまだ。――大老、土井大炊頭。上様の治世に於いて裏で様々な絵図を描いてきた爺さまだよ。駿河大納言忠長卿の自害も爺さまの仕掛けと聞いている」
「……ッ!?」
「……」
何故か正雪が目を見開いて驚愕の表情を浮かべ、怨霊が心配そうにその横顔を見詰めていた。
日間ランキング26位?
……これは数日遅れのクリスマスプレゼントか?(苦笑)
皆さん、有難うございます。




