第六章 3
由比正雪サイド 寛永16年(1639年) 八月某日 夕刻 張孔堂
半兵衛さんに散々しぼられた水戸の若様と伊賀忍びの少年は、夕刻まで持たずぶっ倒れた。苦笑いした忠弥さんが二人を一室に放り込み、一仕事終えたかのようにパンパンと両手を叩く。
「……良いな、皆の衆? 水戸の若君がコテンパンに叩きのめされた、なんて事は起きてない。起きてないのだ。余計な事を喋ったら……判ってるな??」
「しょ、承知ッ!」
地面に座ってた浪人連中が反射的に頭を下げる。ああ、浪人の悲哀。
――
「で、キー君は何の用で来たの?」
四郎様が寝起きしている一室に吉良の若様に私、半兵衛さん、忠弥さん、連也くん、十郎兵衛さん、そして熊谷さんで入り、車座に座った。
四郎様と吉良の若様が向き合う。
「う~ん……。怨霊の兄ちゃんは吉良家がどういう家か、どこまで知ってる?」
「元は足利将軍家に繋がる超名門、でも応仁ノ乱以降は落ちぶれて、キー君の御先祖さまが大権現様に拾われて今に至るって事ぐらい?」
落ちぶれ……。はっきり言いますね、四郎様。
吉良の若様も苦笑いして頭を掻く。
「応仁ノ乱が起きる前は、それこそ有力大名も吉良家の当主に会ったら最敬礼したって話だが、今では五千石にも満たない貧乏所帯。そのくせ古式に則った作法を人さまに教える立場だから、格式だけは必要でね。じゃないと舐められる訳よ」
「だから、自分の小遣いぐらいは、と吉原で女達に和歌教えて稼いでるのか……」
「そう言う事。で、こっからが本題」
「?」
「兄ちゃんがくれた芋、領地にも送ったんだよ。栽培方法書いた手紙付きで。『江戸では飢饉が来るって噂が飛び交ってる。今からこれを植えて、備えるように』って」
何だかんだ言いながら、いい領主様になりそうなのよね、この若様。
私達が感心していると、吉良の若様は懐から書状を取り出した。
「それは?」
「実家から返事が来てね。栽培を始めたらしく、『これで飢えずに済む、娘を女郎に売らなくて済む』って百姓達の感謝の声が凄いらしい。で、だ。実家から『お前もこれを機に、領地のことを少し考えてみないか?』と宿題を出された」
「……宿題?」
小首を傾げる四郎様の前に書状が広げられた。簡略化されて描かれた吉良家の領地の地図で、一部分に大きな丸印がある。そして書状の隅には、
一、鎧ケ淵対策の事。
二、名産品を思案する事。
と書かれていた。
「……ここに鎧ヶ淵って沼地あるんだが、大雨が降る度に水が流れ込んで辺り一帯がヒデェ状態になる。何とかしなきゃならん、と昔から代々の吉良家当主も考えてはいるんだが、なんせ台所は火の車、先立つものが無くてなぁ」
貧乏を隠さない御曹司サマってのも珍しい。
「高家も大変なんですね~。でも、お金の相談なら他に当たって下さい」
私がニッコリ笑って言うと、若様は「いやいや」と右手を左右に振った。
「さすがにそこまで厚かましくねえよ。どうせ、この天候だ。田畑なんか耕してもどうにもならん。だったら、いつか起きるであろう水害対策を今やってもいいだろう。銭の代わりに芋を支給してな」
「つまり?」
「お前さん達に協力して欲しいのは、計画の策定だ。正直、専門家を雇う銭も無いんだよ」
「もしかして……無料で?」
「無料で、だ」
あぁ、ちゃっかりしてる。でも、これくらい面の皮が厚くなきゃ高家の御曹司なんてやってられないんだろう。
治水工事に関しては浪人達に経験者が居るかも知れない。甲斐出身の者なら、信玄公が築いたとされる霞堤を見た事あるだろうし。
色々と考えをまとめながら四郎様に視線を向けると、顎に手を当てて地図を見詰めながらブツブツと何か呟いていた。ちょっとコワい。
「……そうか、地元では吉良上野介は名君だったな……」
「四郎様?」
「……確か功績の一つに、領民を指揮して一日で堤を築いたって……」
「四郎様??」
肩を掴んで揺すると、目をパチクリとさせた。
「え? ああ……ごめん。雪ちゃん、堤防作りの経験ある人、浪人の間に居る?」
「甲斐出身の方なら、霞堤を見たことあると思いますよ」
私はそう言ってから、四郎様に顔を近付け小声で、
「――もしかして、四郎様の知る歴史に??」
と呟いた。
四郎様が私を見詰め、コクリと頷く。そして、
「キー君。その宿題、今日明日中に実家に返事出さなきゃ駄目?」
と言った。
「いや。さすがに十年も二十年もって訳にはいかんが、一応、二年かそこら考える時間を貰ってある」
「……なら、全面協力するから二つ、約束してくれない?」
「二つ? 何だか怖いな。俺に何させる気だよ?? 女でも紹介すればいいのか??」
ニヤニヤしながら何を言ってるんでしょう、この方?
四郎様が苦笑いを浮かべながら私に視線を向け、ビクン、と肩を震わせる。
「……お、女はいいです。一つ目は、出来た堤に『黄金堤』と名付けて欲しいの。水害が無くなって秋には稲穂がたわわに実り、辺り一帯が黄金色に輝くようにと……」
「こがね……つつみ……」
何度か口の中で転がすように呟くと、吉良の若様が笑みを浮かべた。「――いい名だな、気に入ったよ。秋が黄金色なら、桜を堤防に沿って植えて、春は桜の花びらの舞う光景にするか」
「いいねぇ。そこで醍醐ならぬ吉良の花見とか言って、百姓達と一緒にバカ騒ぎする?」
「だな。で、桜の花びらが舞い散る堤に、主催者たる俺が女と一緒に現れ……あ! 馬に乗って颯爽と現れたらどうだろう? 赤い馬なら花霞の中でも色が映えそうだ」
関係無いけど、赤猫とか赤馬は隠語で放火を意味する。この二人は知らないみたいだが。
私は盛り上がってる二人を放っとき、熊谷さんに顔を向けた。
「熊谷さんは“前世”の家老時代、治水工事の指揮はされましたか?」
「小さいものなら幾つか……。でも、これを行うなら測量をきちんとやった正確な図面が欲しいですね」
熊谷さんが顎に手を当てて、書状に描かれた簡易な地図を見詰めた。
測量か。出来る浪人居るかな?
田畑の面積を見積もるのに、つまり検地の必要から測量は昔から行われてきた。それに戦国の軍師は築城術が必須学問だったし、私も張孔堂を主宰してる建前上、その手の資料は持ってる。『九章算術』の写しとか。
ただ、困ったことに四郎様から算術を教わってる子供達の方が計算が早く、正確だったりするのだ。もう、私の立場が無いぐらいに。……いや、困る事じゃないけど。
まだ吉良の若様と盛り上がってる四郎様の袖を掴み、四郎様、と声をかける。
「ん? 雪ちゃんもキー君の裸踊り見たい??」
「見たくありません、そんなの」
何の話をしてるんですか、何のッ!?
そんなの、と言われた吉良の若様が苦笑いを浮かべる。
私は息を整え、
「まったく……。四郎様が教えてる子供達に、測量が出来る者はおりませんか?」
「測量? いや、さすがに居ないかな? 四則演算は皆、出来るようになったから、今、面積や体積について教えてるところだし……待てよ、あの子なら……」
「あの子?」
「まだ四つなんだけど、物凄く頭の回転が早い子が居るの。お父さんに連れられて江戸に来たって言ってたかな? だから友達が居ないのか、庭で俺が子供達と算術を絡めながら遊んでいたら、それを少し離れたところでボーと眺めててね。気になったから近寄って『一緒に遊ぶ?』って訊いたら、嬉しそうに頷いたんだ。その時、何気なく地面を見て驚いた」
「驚いた??」
「彼が書いたらしき数字が書いてあったんだが、それ俺が子供達に出してた問題の答えなんだよ。全問正解だった」
「はッ? で、でも四つなんですよね??」
「うん。まだ四つなのに全問正解。多分、あの子は俺なんか足元にも及ばない算術の天才だと思う。名前は確か……内山……新助くん、だったかな? あの子だったら、三角測量も理解出来るかも知れない」
熊谷さん達も驚いてる。
十郎兵衛さんは穏やかな笑顔で連也くんに視線を向け、
「連也殿といい、まったく、『栴檀は双葉より芳し』とは真ですな。我々、年寄りの立場がありゃしない。そう思わぬか、忠弥殿?」
「俺はまだ若いッ! 同じ年寄りに括るな、爺さん!!」
「……測量はそれでいいとして、甲斐出身の者……ああ、あの若者、多分、甲斐に縁あるのではないかな?」
「聞けよ、爺さん!!」
あ、忠弥さん、ちょっと泣き入ってる。
四郎様は、ふむ、と両腕を組んで小首を傾げた。
「十郎兵衛の爺ちゃん、心当たりあるの??」
「いや、本人に尋ねた事はありませぬが、その者の名字が甲斐の地名だった気がしましてな」
「……キー君入れて、明日、顔合わせしてみようか?」
吉良の若様が、俺は構わないぜ、と微笑んだ。
「黄金堤はその方向で行くとして、名産品の方はどうだ? いい案あるか?」
「この地図だと海に面してるな……塩は作ってないのか?」
と忠弥さん。
「あ、塩は……」
「塩は駄目だろう。瀬戸で作ってる塩には、お日様が西から昇るでもしない限り勝てやしねえよ」
襖がスパンと開き、欠伸をしながら光さんと甚くんが入って来た。
「腹減った。何か食い物ないか?」
「……動物ですか、水戸の若様」
甚くんが左手の甲で若様の体をポンと叩く。
やれやれ、と半兵衛さんが立ち上がり、
「何か探してきます。お二人はここで待ってて下さい」
そう言って微苦笑を浮かべ、部屋から出て行った。空いた場所に二人が座る。
「瀬戸? ああ、瀬戸内海で作ってる塩って事か。そう言えば赤穂も瀬戸内海に面してたっけ……。そんなに市場シェアを押さえてるの?」
「しじょ……何です、四郎様??」
「ごめん、瀬戸の塩ってそんなに広く取引されてるの??」
四郎様の疑問に答えたのは吉良の若様だった。
「ウチも作ってない訳じゃないんだ。ただ、領民達が細々と自分達の必要とする分を作ってる感じ。平安の頃からの藻焼きってやつだな。大量の薪が必要だし、外に売り出す為に大量生産しようもんならウチの領内が禿山だらけになる。となると塩田を整備しないとならん訳だけど、必然的に熟練の職人も多く雇わなければならない訳で……。無い袖は振れんよ」
「ああ、『汐汲み三年、撒き十年』だっけ。聞いたことあるよ。瀬戸の塩は?」
「塩田だな。あの辺は昔から塩作りが行われてきたから、いい塩田があるんだろうよ。それか効率のいい作り方でも思い付いたか」
「効率のいい……入り浜式かな。あれ? でも、赤穂の塩って入り浜式で作ってるんじゃあ……もしかして、赤穂って浅野家じゃない??」
「浅野? いや、赤穂は池田家だぞ。さっきからやけに赤穂を気にしてるな。どうしたんだ??」
皆がキョトンとする。
もしかして、四郎様の知る歴史では赤穂は浅野家なのかしら?
「そうか……刃傷やったのは三代目……浅野はこれから来るのか……」
またもや四郎様がブツブツと呟く。
「四郎様?」
「あ、ごめん。……え~と、キー君。二つ目の約束。キー君が将来、大名に儀式作法を教える立場になったら、絶対に『二回目』の奴とは組まないで。必ず守るって約束してくれるなら、塩を大量に作る方法を教えてあげる。塩と砂糖の大量生産は知識チートもののお約束だから」
「ち、ちいと?? 意味判らんが、その手の儀式は大名にとって生きてるうちに一回担当するかどうかだ。二回受け持つなんて考えづらいぞ」
「普通、そうなんだけど……ある儀式が組まれて、幕府が『今回だけは毛ほどの瑕疵も許されない!』と前のめりになってたら、経験者にやらせる可能性ない?」
「例えば?」
「将軍家の身内に……例えば御母堂に朝廷から位を貰う為の勅使饗応の儀式とか??」
「ッ!?」
四郎様の言葉に吉良の若と水戸の若様が顔を見合わせる。
「それなら……ありえそうか?」
「うむ。絶対に失敗できない儀式がそこにある。ならば一度やってる経験者で――確かにそう考えるかも知れぬ」
が、地方の大名は中央の事情に疎いもの。そこに「一度やってるから」と驕りが足されたら……とんでもない失敗をやるかも。
「話の流れによっては、『きちんと教えなかった吉良殿にも問題がある』とか言われる可能性もある。だから二回目の奴とは絶対に組まないで欲しいの。一回目の奴の手助けに回るとか、最悪、流行り病になったとか言って屋敷に閉じこもって」
「そこまでしなきゃ駄目なのか?」
「駄目。その大名が失敗して幕府から処罰を受けた場合、さっきも言ったけど話の流れによってはキー君までとばっちりが来る。その大名の家臣達が幕府に文句言えない分、キー君を恨むとか」
「恨み買うのを怖がって、高家なんぞやってられないぜ?」
「とばっちりが殺される事でも??」
「殺されッ!? おいッ??」
さすがに皆が驚いた。
殺されるって……。
一体、吉良の若様に何が起きるって言うの??
現代の赤穂の塩、実は昔ながらのやり方をオーストラリアで再現して作り、日本に輸入したもの……と知って吃驚したのは俺だけじゃない筈。




