第五章 8
由比正雪サイド 寛永16年(1639年) 同日 江戸城大奥
時は少し遡り、まだ夕暮れになる前――
春日殿は私が浪人達の中に居ると聞いて難しい顔をした。
「今の幕閣は浪人達を無用の長物と見ている。下手したら弾圧しかねないぞ? 頼むからそれに巻き込まれないでくれ。もし、お主が幕府によって刑死したとしたら……冥土で“あの方”に何度謝っても謝り足りぬ」
「はい。気を付けまする」
伏して了承の言葉を述べる。私を浪人達の間に放り込んだのは、そこでニヤニヤしてるオッサンなんですけど――と言ったら怒られるかしら、やっぱり?
四郎様の教えてくれた知識の一つに『末期養子』というものがある。藩主が急死した際、事前に幕府に届けを出してる嫡子が居ないとその藩は取り潰しとなる。これを「今際の際に藩主が縁戚の男子を養子にした」として、強引に藩を存続させるのだ。
勿論、幕府の使者が藩主の意思を確認するのが条件になるが、四郎様いわく、
「例えば藩主が流行り病だと言って、『御使者に病を移しては大逆になる』とか理由つけて屏風とかで遮り直接は会わせない。側近の者が布団に近寄って耳を傾ける仕草をして『殿はこう述べております』と言う訳。要するに、そこで寝てる藩主が死体でも出来るの」
聞いた時は、そんな無茶苦茶な、と思った。その気になれば、逆臣が傀儡を藩主に立てる事も可能ではないか?
「うん、だから今の幕府は認めてないんだよ。でも、史実の雪ちゃんが反乱を計画した事で、幕閣も『このまま藩を潰し続けてちゃヤバイかも』と気付く。で、取り潰しの緩和策として末期養子を認める案が浮かんで来るんだ」
この『末期養子』案はすでに尾張公、紀州公に伝えてある。今の段階で幕閣に言っても聞きはしないだろうが、お二人なら折を見て上手い事やってくれるだろう。
春日殿が伏している私に声を掛ける。
「……そう言えば、まだ其方の名前を聞いてなかったな。教えてくれぬか?」
「雪、です」
顔を起こして春日殿をジッと見詰める。
私の名を聞き、春日殿がはらはらと涙をこぼした。
「雪……富士の高嶺に雪は降りける……いや、雲かすみ、眺め眺めて富士の嶺は、ただ大空に積もる雪かな、か。良き名じゃ。――雪殿、其方から父を奪ったせめての罪滅ぼしに、妾に何かさせてくれぬか?」
富士の高嶺に――多分、山部赤人の田子の浦ゆの歌。でも、二番目のは??
「あの、その『雲かすみ……』の和歌は誰の??」
「うん? 烏丸殿の歌じゃが……もしかして、お主、自分の名の意味、知らぬのか??」
「はい。母曰く、父が好きだった、としか」
「変若水じゃよ」
おち……みず??
「天より降りし雨や雪が土に染み込み、泉として地表に出て川となり、それは海に流れる。そして海の水は温められて天に昇る――巡り巡っての流転。これは判るな?」
はぁ。
何だろう、この方も四郎様と同じ難しい事を人に教えたがる方なのかも。
「竹取物語に於いて、月に去ったかぐや姫は餞別として不老不死を為す月の秘薬を帝に残していく。帝は武士に命じてこれを日ノ本で一番高い山に封印する。即ち……」
「富士?」
お友さんが小首を傾げ呟く。
「うむ。不死が富士になったとも、武士が富士の語源になったとも言われておる。それでだ、問題の月の秘薬じゃが……月読命が持つという秘薬じゃ」
「もしかして、月の満ち欠けの繰り返しを不老……若返りに結び付けて??」
「そう言う事だろうな。故に雪深い奥州は月山にて月読を祀る月山神社があり、その近くの湯殿山では、空海上人の故事に習い即身仏となった僧が居るとか」
「……高野山の奥ノ院にて、お上人様は今も生きていると言われてますね」
お友さんが感心したような声で呟く。
そういえば、元日の朝、一番最初に井戸から汲む水を邪気を払う若水と呼ぶっけ。
春日様がクスリと笑った。
「お主達、難しく考えておるな?」
「えッ?」
「湯殿山ではその結界内で見聞きした事を『語るなかれ、聞くなかれ』と掟としておる。何故か判るか?」
「……??」
「結界内に滝がある。それが手懸かりじゃ」
お友さんと二人、顔を見合わすがまったく判らない。
が、天樹院様には判ったらしい。プッと吹き出すと、慌てて口に手を当て、必死に笑いを噛み殺している。
「成程。『それ』がそこかしこにあるこの大奥で語るのは……少し生々しいな」
「さすが天樹院様。判りましたか? そこの二人はまだまだ『女』として修行が足りぬようじゃ」
んん??
春日様と天樹院様のやり取りで紀州公も判ったらしい。
「フッ。そういう意味か。不老不死とは、この身一人で為すのではなく血の継承……子孫繁栄をもって、か。――いや、待て。ならば月読は女か?」
「何を今更。女は月の満ち欠けを全身で感じておりますよ、紀州公。――話を戻しましょう。今、紀州公が口にされた昔話があります。磐長媛と木乃花咲耶媛という姉妹の女神の話です。姉の磐長媛は『容貌が醜い』と実家に返され、美しかった妹が嫁ぎますが、孕んだ子を不義の子と疑われ、『この子が不義の子なら幸なく、無事に産まれないでしょう』と産屋に火を放って子を産みました」
疑われて火を放つ……。
昔、富士が噴火したことの暗示だろうけど――。
「もしかして“父”は、将軍位を奪う気だと疑われた事をそれに重ねて……?」
「妾にはそう思える。それに雪は大地を白く染め上げる。――いつか死を賜るのを覚悟してるが、生まれ変わったら真っ白な状態で……いや、子が出来たら……未来を生きる我が子には、そんな因縁に縛られてほしくない。そんな心根だったのではないのかのぉ? 冥途に行ったら聞いてみるとしよう」
春日殿がフォッフォッ、と笑った。
……そうか、“父”はそんな心境だったのか。私は初めて“父”を身近に感じたような気がした。
勿論、本当のところはそれこそ冥途に行って訊きでもしない限り判らないだろう。でも、今の私には充分だ。
紀州公が肩を竦めて苦笑いする。
「いやぁ、聞き入ってしまった。博学だったんだな、春日殿」
「妾は公家の教育も受けた女ですよ、紀州様。――すまぬな、この程度の事しか教えてやれなくて」
春日殿が私に向かって優しい目を向ける。
「いえ。有難うございました。初めて“父”の存在を身近に感じました」
「雪殿、お主の事は上様には勿論、幕閣にも伏せておく。徳川に縛られず、市井の者として民の中で生きるが良い」
「はい」
「ただし……お主の素性に気付いた者は、お主を利用しようとするだろう。そうなれば、幕府はお主を叛意ある者として処罰するのは必定。それだけは気を付けよ」
「お言葉ありがたく」
そうならない為に、幕府の方に変わって貰おうと色々と裏で画策してます。――とは言えないかしらね、やっぱり。
「ならば、もう行きなされ。人払いはしましたが、大奥は女達の妄執が渦巻く場所。誰が聞き耳を立てているか判ったものではありません」
その言葉にお友さんが苦笑いを浮かべる。
「そんな魑魅魍魎の巣に私を入れようとしたのですか……」
「あら、お友、其方の父は魑魅魍魎など歯牙にもかけない魔王のごとき御方ではないですか。その薫陶を受けたお前が負ける筈がないと思っておりましたよ」
ケラケラと笑う春日殿。それに対して紀州公が、おいおい、と肩を竦める。
「怖すぎるぞ、女同士の会話。男が女に寄せる夢や希望が粉微塵に砕けそうだ」
「そうですよ、叔父上。女は怖いものなのです。叔父上も充分にお気を付け下され」
天樹院様がクスリと微笑む。
春日殿を除く我等は、一様に何か苦いものを飲んだかのような表情になって見合い、頷いた。同じ感想を持ったのは間違いなさそうだ。
――幕閣連中を震え上がらせた貴女が一番怖い。
と……。
天草四郎サイド 寛永16年(1639年) 同日 深夜 会津藩屋敷
内庭には多くの人間が集まっていた。
篝火がバチバチと爆ぜ、皆、酒杯を傾けてゲラゲラと笑っている。
縁側には酒に濁った目をした屋敷の主らしき男が座り、矢張り酒杯を傾けていた。側には妖しい笑みを浮かべた女が二人、まとわりつくように引っ付いている。
そして……。
庭には三人の男が首だけ出して埋められていた。堀親子か?
酔った大勢の中から槍を持った男が立ち上がり、酒杯を一気に呷るとそれを地面に投げ捨てた。そして演武のつもりなのか、ふらついた足取りで槍を振り回している。穂先が堀親子の眼前を走る度に、皆がやんや、やんや、と歓声を上げた。
次は犬でもけしかけるつもりなのか、近くには大型犬を抱えてニヤニヤ笑っている男も居る。
――殷の紂王気取りかよ、悪趣味な。
時折り槍の穂先が堀親子の顔をかすめ、中央の堀主水らしき男の右目が潰れて真っ赤な鮮血が飛び散った。
「グッ!」
――もういい。
蟹のごとく横歩きで『空中』に張られた縄の上を慎重に進んでた俺は歩みを止め、手すり代わりに掴んでたもう一本の縄から右手を離して上空に挙げた。それを合図に闇を塗り固めたような黒い小柄な兵士が一人、飛燕のごとき速度で走り、篝火を斬り倒す。
ズザッ! ザンッ!
「何奴ッ!?」
屋敷の主が叫ぶが、篝火が倒されると同時に倉の屋根に立った三人の黒い兵士が次々と火矢を放った。庭に集まり酒宴を繰り広げていた連中がパニックを起こす。
俺は空中でニヤリと笑い、意識して低い声を出した。
「島原切支丹一揆の首魁……天草四郎の怨霊でございます」
「なッ!? あ、天草四郎……」
呆然とする屋敷の主。コイツが加藤式部小輔明成か。
因みに今俺が着込んでるのは、首の周りにヒラヒラの付いた島原で着てたアレだ。
「そこに埋められたる御三方にお訊ねしたき儀あり、推参仕りました。御三方の命は今や風前の灯火。これだけの責め苦を味わされ、それでも大人しく成仏するつもりでございましょうや? そこに馬鹿面して立つ式部小輔殿は失敗に終わりましたが、鎌倉東慶寺に兵を送った鬼畜でございますぞ」
「なッ!? まさか……」
埋められてる為、俺の方に向けない堀主水が驚愕の声を出す。幾ら馬鹿殿でも東慶寺に手を出すとは思わなかったのだろう。
「……もう一度お訊きします。我が誘いに応え魔道に堕ち、怨霊と成りてそこの馬鹿殿を祟り殺さんと欲しますか? それとも仏典の捨身飼虎の逸話よろしく、己ればかりか一族の命、すべてをその馬鹿殿に捧げまするか??」
「殿ーッ! 本当に……本当に、東慶寺に兵を送ったのですかッ!? あの尼寺は大権現様の……」
「ええいッ、五月蝿いッ! 五月蝿いッ!! 貴様はいつもいつも、余のやろうとすることを一から十まで否定しおって。余は会津四十万石の藩主ぞ!!」
血走った眼で馬鹿殿が酒杯を投げ捨てる。杯は草履の置かれた敷石に当たり、ガチャリ、と割れた。そして荒い息を吐きながら立ち上がって、小姓が捧げ持つ刀を掴むとスラリと抜き、
「お、降りてこい、天草四郎!! 余が地獄に送り返してやるッ!!」
馬鹿殿がふらついた足取りで庭に降りて来て、白刃を滅茶苦茶に振り回す。
「……フッ、何が会津四十万石よ。会津の本当の主は、この御方よ」
挙げてた右手をスッと馬鹿殿に向けて下ろす。同時に倉の影から黒い甲冑を纏った大柄の男が現れた。男は手にしてた十文字の槍を水車のごとく振り回すと、呆然としている家臣達の首を三つ、一気に斬り飛ばした。
「な、何奴ッ!?」
「……葦名……盛氏」
血飛沫が飛び散り、庭の白砂が真っ赤に染まる。
――嫌がってた割にはノリノリだな、忠さん。
更に一人が胸を刺し貫かれ、それを見て我に返った家臣達が悲鳴を挙げて逃げ出そうとした。
「逃がさぬ。民を泣かし、会津を汚した奴ばら、皆、我の居る地獄に来るがいい!!」
本当は、忠さんの後ろに鬼火も浮かべたかったんだが、油が勿体無いと却下された。怨霊が勿体無いとか言うなよ、って話だが、火事起こしたら水野のお頭達が来ちゃって収拾が付かなくなるしね。
葦名盛氏の怨霊こと忠さんと、田沼さん達三人の兵士がパニックになってる家臣達を斬り捨ててる間に、小柄な兵士――勿論、連也――が堀親子三人を救出する。
さて、後は……
「天草四郎……今日こそ貴様を……」
え?
俺が立つ縄の向こうに忍び装束をまとった女が逆手に刀を構え、殺気に溢れた瞳で立っていた。
変若水云々はこじつけです(苦笑)。滝がどうのこうのは……漫画『陰〇師』を読んだ方ならお判りになるかと……。




