第五章 5
天草四郎サイド 寛永16年(1639年) 同日 東慶寺表門
深編笠の武士が一気に間合いを詰め、俺に向かって抜き打ちの一閃を放った。
美しい弧を描く白銀の光が、俺の喉笛目掛けて走る。
「兄上ッ!」
横に居た半兵衛さんが素早く刀を出して、ぎりぎりのところでそれを防いだ。
鋼と鋼の噛み合う音が響き、ジャリッ、と二人が地面を踏み締める。
「……まだ俺を兄と呼んでくれるのか、お友?」
「兄が廃嫡の身の上なら、私はすでに柳生家の系譜上、死んだ身です。似たもの兄妹、と心の中では自負しておりますが?」
半兵衛さんがニコリと微笑むと、深編笠の武士――柳生十兵衛殿――は弾けたように大笑いした。
「フハハ、言えてるな」
十兵衛殿が刀を鞘に納め、深編笠をグイッと持ち上げる。日に焼けた肌に顎下にまばらに生えた無精髭、そしてトレードマークである眼帯代わりに付けられた刀の鍔……。
開いた眼でニヤリと、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべる。
「今日はお前に用があって来た、お友」
「私に……ですか?」
半兵衛さんがキョトンとした顔で刀を鞘に納めた。
別木さんが俺の耳に口を寄せる。
――なんか、我等を無視して話が進んでおりますぞ、怨霊殿?
――だね。俺も連也と一緒に、雪ちゃんの護衛として寺の中に居れば良かった。
半兵衛さんに用があって来たってことは、俺に刃を振り上げたのは「行き掛けの駄賃」って事になる。マジ勘弁して下さい、十兵衛殿。
「お友、春日の婆さんがそろそろ危ない」
「ッ!? お局さまが……」
「それで、婆さんがお前に会いたがっている。寝言でお前の名を呼び、すまぬ、すまぬ、と繰り返すそうだ」
「……」
「その気があるなら顔を出してやれ」
「……考えておきます」
「それから、親父殿も死病に取り憑かれている。まだ動けるから今すぐどうこうは無かろうが……俺の見たところ、もって後五年だな」
「ッ!? 承知しました……」
「俺からは『会え』とも『会うな』とも言わん。お前の好きにしろ、お友」
十兵衛殿は言うだけ言ったら、体の向きを変えて立ち去ろうとした。
「待って下さい、十兵衛殿。何故、俺は斬らないで去ろうとするのです?」
「……今、お前を斬るにはまずお友を斬らないとならん。いくら俺でも女を……妹を斬るのはさすがにな」
背を向けたまま苦笑気味に言う十兵衛殿の言葉に、半兵衛さんが肩を竦める。
「……私が斬られる前提の話ですか」
「逆にお前が俺を斬るか? 兄妹、そして尾張の秘蔵っ子……柳生の一族が敵味方に分かれて斬り合いをする。それも面白いかも知れんな」
右手を挙げて軽く振り、十兵衛殿は笑いながら去っていった。
「どうするの、半兵衛さん?」
「死に際の者が願う最期の懺悔、無視するのはちょっと心が痛みますね」
「でも、春日局って大奥総取締り役でしょう? 床に伏せてるとしても、やっぱり江戸城の中なんじゃ……」
「ええ。その可能性は高いです。さて、どうしましょうか……」
半兵衛さんが遠い目で空を見上げる。その向こうにある江戸城を思い浮かべているのか、それとも想い出の中の家光を見ているのか、俺にも判らなかった。
――
俺達は当初の作戦通り会津加藤家の雑兵共を縛り上げ、近くの河原に晒し者にした。
『この者達、ある大名家の家中の者と自称し、尼寺の女達を拐おうとした盗賊なり。これを見過ごすは人道にもとると思い、縛り上げて晒し者にする。
もし、この者達に見覚えがある者居たら、畏れずお上に申し出て欲しい。きっと嘉生な褒美の言葉を頂ける事だろう』
と、墨痕淋漓に書いた立て札を側に差してあるので、今頃、大騒ぎになってる事だろう。因みに書いたのは雪ちゃん。千姫様も感心するほどの達筆だった。
「そうですか。春日局さまが病に……」
十兵衛殿からの伝言に、千姫様を始め皆が驚きの顔をした。年齢から考えれば不思議でも何でもないが、どうも春日局には『殺しても死なない』化け物じみたイメージがあるらしい。
明智光秀の重臣であった斉藤利光の娘、福。本能寺ノ変で人生が狂った女が何の因果か、将軍家光の乳母になった。ま、家光が将軍になったのは結果論とも言えなくもない。言えなくは無いのだが……。
家光の為に江戸城を秘密裏に出て、駿府の家康のところに赴き直談判。
家光が将軍がなるや大奥の改革を断行。お陰で幕閣もその存在を無視出来ないサイレント・マジョリティの大奥が出来上がる。(八代将軍や十四代を誰にするかで揉めた時、大奥の意見は重要なものになった。)
はたまた京に行って時の天皇に会見して、お土産に北条政子と同じ従二位という位と『春日局』という名を貰って来たり……。
何と言うか、下手な政治家より政治家としての才能を発揮した女だ。柳生但馬守、松平伊豆守と並んで『家光政権の鼎の三人』と評されるのもむべなるかな。
そんな女が死にそう?
殺しても死なねえよ、あの婆さんは――と俺でも思う。
千姫様が、ふむ、と小首を傾げる。
「半兵衛……いや、柳生の娘、お友でしたか。会いに行きたいのなら今回の礼に妾が一肌脱ぎましょう」
「?」
「どっちにしろ、今回の件の抗議に登城する予定でした。妾の侍女という形なら問題ないでしょう。その胸に積もり積もったものをあの『ばばぁ』にぶつけてやりなさい」
「……」
半兵衛さんが目を何度か瞬かせ、俺の方に視線を向ける。いや、ここで俺を見られても困るんだが。
「いいんじゃないの? あ、どうせならついでに雪ちゃんも一緒に行ってみたら?」
俺の言葉に雪ちゃんが、えっ、とキョトンとなった。
「私も……ですか?」
「もし運命が違ってたら、優しい両親に蝶よ花よと可愛がられて自分が住むとこだったかも知れない場所。一度見てきても罰は当たらないと思うよ?」
ふむ、と千姫様がニヤリと悪そうな笑みを浮かべた。
「よかろう。何だったらお主も行くか、怨霊殿? 女装して」
「マジ勘弁してください、千姫さま」
俺が思いっきり頭を下げると、ようやく皆の緊張も解けたのか、声をあげて笑い出した。




