序 4
柳生十兵衛サイド 寛永15年6月 江戸
親父殿の手紙で久し振りに江戸に来たが……相変わらず埃っぽい町だな。
俺は溜息を吐いて深編笠を被り直し、木挽町の柳生屋敷に向かった。
「――やっぱり敷居が高いな」
鬱蒼とした佇まいを見せる表門を暫く見詰めていたが、溜息を吐いて裏口へ回る。廃嫡された身だからな、俺は。どうにも入りづれえ。
裏口から入り、庭を回ると池の前で木刀を振ってる若い男が居た。弟の又十郎だ。相変わらずバカ正直な太刀筋だ。
「バカ正直だけど暗さは無い――お主らしい剣だな、又十郎」
「え?」
又十郎が振り向く。何だ、全然気が付いてなかったのかコイツ?
編笠を上にずらして顔を見せると、又十郎が嬉しそうな表情を浮かべた。
「兄上! いつ、江戸に?」
「今着いたばかりよ。親父殿に手紙で呼び出された」
「父上の手紙……ですか?」
又十郎が顔をしかめる。「――また何か企んでるんですか、父上は……」
俺も肩を竦めてみせる。「――親父殿から悪巧みを取ったら、ただのジジイだろ」
「――聞こえてるぞ、十兵衛! 又十郎!」
ゲッ。
おそるおそる声のした縁側の方を見ると、病で幾分痩せた親父殿が伊豆様に肩を借りて立っていた。
「こ、これは親父殿。お呼びにより十兵衛、参上仕りました。手紙ではよく判らなかったのですが何用でござろう? 末期の水を御所望なら樽で用意致しますが」
「そんなに儂を殺したいのか、貴様は?」
厳しい表情をする親父殿。横に立ってる伊豆様は苦笑いを浮かべてる。
松平伊豆守信綱――九歳の時より上様に仕え、現在、切れ者の老中として上様より最も頼りにされてる人物だ。通称、智慧伊豆。
親父殿はよく伊豆様と組んで何やら胡散臭い打ち合わせをしているが、それは抜きにしても俺とこの人は何故か妙にウマが合う。何と言うか、戦場で自分の背中を預けられるのはこの男って気がするのである。
まあ、伊豆様が刀を持ったところは見た事無いのだが……その隙の無い立ち居振る舞いからして、かなりの腕前ではないかと俺は睨んでる。
「伊豆様、島原での戦勝、おめでとうございます」
「お前に言われると何だか背中が痒くなるぞ、十兵衛」
伊豆様が苦笑を浮かべたまま肩を竦める。
「十兵衛、儂の部屋まで来い。――又十郎は道場で助九郎に揉んでもらってこい」
親父殿の言葉に又十郎が、うげっ、と絞め殺される寸前の動物みたいな声を出した。何と言うか、まあ……頑張れ。
屋敷の奥、親父殿の寝間にまで連れて行かれた。
疲れたのか、大きく息を吐いた親父殿が敷きっぱなしになってる布団の上に座り込む。
「伊豆殿、適当に座ってくれ。――十兵衛、貴様も座れ。足は崩していい」
腰を下ろした伊豆様の横に、腰から刀を外してから座る。刀は左脇に置いた。
親父殿が再び息を吐く。
「……十兵衛、貴様は武蔵に会った事があるか?」
武蔵? あの二天一流の新免武蔵様のことか?
「いえ、残念ながら……。一度、お会いしたいとは思っておるのですが縁がありませぬな」
「島原で小笠原家の陣に居たそうだ。相変わらず鬼人のごとき体力で羨ましい限りよ」
親父殿が嘆息する。
話の続きを引き取ったのは伊豆様だった。
「……総攻撃の日、一揆軍首領である天草四郎の首を西国大名の手で挙げられると後々面倒になると思った俺は、中根殿より借りた甲賀衆のうち五人に『四郎を殺して死体を爆薬で吹き飛ばせ』と密命を与えた。が……五人は帰ってこなかった」
「帰って……こなかった?」
百姓達の寄せ集めである一揆軍に、甲賀衆に勝てる奴が居るとは思えないが……。
それに天草四郎の首は、細川家の何某とやらが挙げたのではなかったか??
俺の疑問に伊豆様は答えず、今度は親父殿が口を開いた。
「京に居る“草”からの報告では、先月、京に武蔵が姿を見せたらしい。鞍馬で公家らしき老人と会ったとか。おそらく大納言の烏丸殿だろう。それから位の高そうな武家が数人居たらしい。……武蔵の方は、総髪の若者とまだ20は越えてなさそうな少年、それから怪我をしてるのか杖をついた中年の男と仙人みたいな老人を連れていたという」
「俺と但馬殿は、その総髪の若者は榎坂の小僧だろう、と見ている」
榎坂? ああ、最近、親父殿と伊豆様が気にしている軍学道場の……。
「では、少年と怪我人に老人というのは道場の関係者ですか??」
俺の問い掛けに、伊豆様は微かに首を左右に振って上へ――天井に視線を向けた。そこに居る何者かを睨むかのように。
「あの島原の戦場を生きて脱出出来たとしたら……まだ二十歳に満たない少年、年の頃は合う。そして老人は、少年の教師役であり乱に於いては軍師でもあった――」
「森……宗意軒でしょうな」
親父殿が重々しく呟く。「――元小西家の浪人であり、太閤の唐入りにも参加したという話だから、生きていれば相当な年齢の筈」
まさか……生きていると?
顔をしかめる俺に、親父殿はゆっくりと首を左右に振った。
「判らん。判らんからお前を呼んだのだ。怪我人の素性も不明だしな。――十兵衛、その者達が何者なのか探れ。もし、徳川に仇なす怨霊ならば……斬れッ!」
冴え冴えと、まるで凍りついた月の光のような冷たい眼してやがる。病で片足を棺桶に突っ込んでるせいか、魔性めいてきたな親父殿。
「……」
俺は頭を掻いて自嘲的な笑みを浮かべた。「――病で体が衰えても、徳川の為に……ですか? 荷物が多いと死ぬのも大変でござるな」
「なに?」
親父殿が顔をしかめる。
「拙者は武蔵殿の生き方、好きですよ。孤剣を携え、屍山血河の修羅の世界をただ飄々と彷徨う。死ぬのは戦いに負けた時、折れた刀を墓標代わりにバタリと大地に倒れ伏して……。拙者もそんな風に生きて、そんな風に……死にたい」
「貴様はそうだろうな……」
親父殿が大きく溜息を吐き、だから廃嫡したのだ、と言った。
伊豆様も、確かに、と言ってニヤリと笑う。
「まあ、十兵衛が裃着て畏まってるなんて想像出来ないしな。だがな、幕府という大きな組織の規律を保つには“鬼”が必要なんだ。罪科あるなら例え幼子でも切腹させる……情ではなく理で判断する存在が。俺は但馬殿の生き方を尊敬してるよ、十兵衛」
フッ。
拙者がガキなだけですか、そうですか……。
頭を掻き、俺は自嘲的な笑みを浮かべた。
ここまでが序章となります。