第五章 3
金井半兵衛サイド 寛永16年(1639年) 五月某日(数日後) 昼 東慶寺近く
怨霊殿と先生は、自信たっぷりに加藤家の奴等が来ると言っていたが……。
「まさか、本当に来るとはね」
足軽の兵を引き連れ、蛇の目紋を掲げた指揮官らしき男が下種な笑みを浮かべて目の前の街道を行く。
「……隊列は揃ってないし、顔に真剣さの欠片も無い。まるで江戸の町でよく見る傾奇者のようですな」
隣に居る浪人の一人がニヤリと、怨霊殿がよく言う『悪党の笑み』を浮かべた。
「水野殿と幡随院殿の一党は心を入れ替えましたよ? 貴方だって、何日か前に一緒に酒飲んでたじゃありませんか??」
「ああ、意外と面白い奴等ですよね、あの連中」
他の浪人連中も、確かに、と笑う。あの目立つ格好も、話を聞いてみれば「カッコいいだろ?」と単純な理由でまとってるだけだった。子供か?
忠弥さんの奥方様にその話をしたところ、
「……男なんて、幾つになっても根っこの部分は子供なんですよ」
と、薄く笑っていたが……忠弥さん、昔、何かしたんだろうか?
「そう言えば半兵衛先生、知っておられますか? 水戸家の御曹司が傾いておるそうですよ。元服したばかりのくせに、吉原に入り浸っておるとか」
「水戸の御曹司が?」
もしかして……光国様だろうか??
まだ、あどけない頃に何度か木挽町の柳生屋敷に遊びに来た事があり、私も顔を見た記憶があるが……あの子が傾奇者に??
父上は昔、言っておられた。
――水戸家は、徳川にとって逆柱よ。大権現様よりの密命だ。
最初、意味が判らなかった。
日光は東照宮、陽明門にある魔除けの逆柱は勿論、私も聞いている。陰極まれば陽、陽極まれば陰。即ち、満つれば欠けるという意で、敢えて一本だけ逆さにして『まだ未完成』を暗示していると……。しかし、それと水戸家がどう結び付くのか判らなかった。
が、西国を放浪している頃、関ヶ原の無念をまだ忘れず心の奥底に隠してるだけの者達が予想以上に多い事に気付き、その時、天啓のごとく判った。
次に関ヶ原のような大戦があった時、徳川の血族で一致団結してしまうと仮に敗れた際、徳川の血は絶えてしまうだろう。それを避けるには……敢えて、血族同士で敵味方に分かれるしかない。
考えてみれば珍しい話ではない。関ケ原に於いての真田家がそうだし、我が柳生家も五郎右衛門叔父上(柳生宗章)が小早川家に仕えていた。
そんな修羅の道を進まなくてはいけないのに、傾奇者になるなんて……。
「どうされました、半兵衛先生?」
「いえ。どいつもこいつも、まったく……と思っただけです。――さて、仕掛けますよ、皆さん?」
「ハッ!!」
連中が東慶寺の門前で立ち止まったのを確認し、私達は動き出した。
通りすがりを装いつつ、さも珍しいものを見たかのように足を止める。
「……おい、見てみろ。妙な取り合わせだぞ。女寺と名高い鎌倉東慶寺の門前に完全武装の男達が居る」
「あれじゃないか? 逃げた女房が縁切り寺に駆け込む前に捕まえようと……」
「だからって、普通、戦支度で来るか? 俺が女だったら……そんな男、ゴメンだぜ」
「お前が女だったらって……想像したくもないな」
浪人達がゲラゲラと笑い出す。何だろうなぁ、この慣れてる感は?
当然、向こうに聞こえるように言ってる訳だから、兵士の一団達は茹で上がった蛸のように真っ赤になり、こちらを睨みつけてくる。
と、通りの向こうから錫杖を持った行者姿の廓然坊こと別木さんが現れた。
「これこれ、お前達、静謐をもって旨とする東慶寺の門前で何を騒いでおる? ここは大権現様もお認めになった由緒高き女寺ぞ」
「これはお坊様。へぇ、その由緒高きお寺さんの前に、戦支度で押しかけた一団がおりますんでね。何処の家中の馬鹿共だ、と見物してる訳でして」
何処も何も、蛇ノ目紋を掲げてるんだが……。
別木さんは、ふむ、と汚いものを見るかのように兵士の一団を眺めた。
「確かに戦支度をしておるが……こうとも考えられぞ? あれは実は女達で、追っ掛けて来る馬鹿亭主の目を逃れる為、雑兵の格好をしているとか」
神妙な顔で聞いていた浪人達がゲラゲラと笑い出した。
「な、成程、それは思い浮かばなった……」
「いや、こう言っては何だが……あんな野卑で臭そうな……もし本当に女なら、俺は『とっとと別れた方がアンタの為だって』と旦那を説得するな」
「うむ。指揮官らしき姿の者など、こう言っては何だが……蛸が人に化けたような御面相で、思わず『妖怪退散ッ!』と叫びたくなるな。夜道で会ったら間違いなく逃げるぞ、俺は」
胸張って言う事ではないです。
別木さんも悪乗りしてるなぁ。
「き、貴様等ーッ。黙って聞いていれば言いたい放題、人を小馬鹿にしおって。喧嘩を売っておるのかッ!?」
あ、流石にキレたか。
指揮官らしき者が、のしのしと大股でこちらにやって来る。
「おおッ、妖怪退散!!」
「誰が妖怪じゃッ!! 我等は会津加藤家の……」
「待たれいッ!!」
別木さんが錫杖で地面を突いて、シャンッ、と音を響かせた。
「今、主の名を口にしようとしてたが、その主殿は東慶寺がどういう寺か、ちゃんと理解なさっておられるのか? 畏れ多くも東照大権現さまが天樹院千姫様にお許しを与えなさった縁切寺。その開山は鎌倉幕府第八代執権、北条時宗殿の御正室である覚山尼さまと伝わっておる。そんな由緒高き女寺を兵で囲むとは、戦国の世に南都の大仏を焼いた松永弾正に勝るとも劣らぬ極悪非道よ。――良いのか? 今ならお主達がただの間抜けという事で済むが、主の名を口にするなら拙僧も放っておけぬ。寺社奉行のところに駆け込むが、本当に良いのだな??」
「う、うう……」
指揮官の顔が真っ赤からどす黒いものに変わる。
さて。
「――御坊、狐狸妖怪の類に人の世の理を説いても、理解出来るとは思えませぬ。ここは一つ、有難いお経を唱えた方が、連中もその功徳で成仏出来るのでは?」
「う~む……。四郎殿は、こういう時は『あほんだら経』を唱えよ、と言っていたが……そんな経、聞いたことも無くての……」
「それはもしや、雨宝陀羅尼経の事では? まあ、この連中なら『あほんだら経』とやらでも効き目ありそうですが」
――なかなか言いますな、半兵衛さん。
別木さんが、そんな感じの表情でニタリと笑う。ええ、何せ父は腹黒を絵に描いたような人ですし、兄は「俺より強い奴に会いに行く」が信条な放浪男でしたからね。
「もう勘弁ならん! 寺に隠れてる堀の女共への見せしめも兼ねて、貴様等全員、血祭りに上げてやる。――お前達、殺れ!!」
あ、キレた。
指揮官の一喝に、金魚の糞だった雑兵共も刀を抜いた。構えもへったくれもない、無茶苦茶な持ち方だ。ああ、見てて危なっかしい。
「おお、蛸入道が怒ったぞ。それ、逃げろ!!」
浪人の一人が笑いながら言い、私達は蜘蛛の子を散らすように逃げた。
「皆さん、作戦通りに」
「承知!」
丸橋忠弥サイド 寛永16年(1639年) 同日 東慶寺裏手
一応、念の為に裏門も警戒してたのだが……。
「まさか、本当にこっちにも来るとはな」
隣に居る怨霊が頭をガリガリと掻いた。
「さて、どうするよ、怨霊? 表門は半兵衛と別木の野郎に任せるとして、この罰当たりな連中、殺っちまうか??」
「何で、そんな嬉しそうな顔で物騒なことを……。勿論、女の園に不法侵入しようとする変態共には、可及的速やかにお帰り願うんですよ」
「どうやって?」
「それは勿論……」
と、怨霊はスーと息を吸い込み、
「お巡り、じゃなかった……お役人さ~ん! 尼寺に忍び込もうとしている変態共が居ますぜ!! 見て下さいよ、あの猿顔、ありゃあ、まだ真っ昼間だと言うのに『女とヤる』事しか考えてない面ですぜ」
「ッ!?」
突如、放たれた怨霊の大声に、俺を含めた浪人達が一瞬、呆気に取られた。
役人なんか呼んでいない。作戦としては、塀を乗り越えるのに気を取られてる奴等を、後ろから忍び寄って叩きのめし、縛り上げて河原にでも晒し者にする予定だったのだ。
……何、考えてるんだ、コイツ?
「お、おい、怨霊??」
「どうせ皆さん、日頃の鬱憤が溜まっているのでしょう? 相手は尼寺に忍び込んで女を攫おうとしてる悪党連中……叩きのめしたって、文句言われるどころか逆に『よくやった!』と周りの人から褒めてもらえますよ、きっと」
「……ッ!?」
キョトンとしていた浪人達も意味が判ったのか、ニヤリと危ない笑みを浮かべる。
怨霊の声にびっくりして周囲を見回してた奴等が俺等を見付け、大股でこちらにやって来た。目を吊り上げ、顔は真っ赤――相当、怒ってるな。
「我等は女攫いの盗賊ではない! 主の命に従い……」
「猿の主って誰だ? 桃太郎か??」
浪人の一人がそう言って、ケラケラと笑った。
「そう言われれば……向こうの奴の顔は犬に似ている気が……」
「雉が居ないぞ?」
「飛んで行ったんじゃねえ? 自分達のやっている事の馬鹿さ加減に気付いて」
「雉だけに『気付』いてか。ちょっと苦しいな。山田くん、座布団取り上げなさい」
「山田くんって誰っすか、怨霊の先生??」
肩を震わせて皆が笑う。それに比例して、連中の怒りは急上昇した。
「き、貴様等……。言わせておけば、浪人の分際で我等を愚弄する気かッ!?」
「愚弄じゃないって。ちょっとからかってるだけだ」
それを『愚弄』と言うんじゃないか?
ケラケラ笑ってた浪人の一人が、いきなり真面目な顔になって両腕を組んだ。
「でもさぁ、忠弥先生。あの桃太郎のお話って、視点を変えれば……離れ小島でひっそりと暮らす鬼達を、桃太郎が宝物目当てに乗り込んで殺して回った話……とも取れますよね?」
「お前等、お伽噺を夢も希望も無い話に改悪するなよ……。で?」
その話の着地点はどこだよ?
「いえね、先生……。鬼にも自衛する権利はあるよなって」
と、浪人は喋りながら殴りかかって来た雑兵の利き腕を掴み、そのまま地面に叩きつけてしまった。雑兵が泡を吹いて気絶する。
「き、貴様等……。構わん! コイツ等を斬り捨てぇぇいッ!」
猿顔の指揮官が刀を抜き、そう叫んだ。
しょうがねえ。やるか。
俺は寺で借りた六尺棒を構え、左の人差し指を上に向けて「来いよ」とばかりにチョン、チョン、と振った。
「おお、なんかカッコいい、忠さん。『北斗の拳』のケンシロウみたいだ」
「……お前は後ろに下がってろ、怨霊」
ケンシロウって誰だよ?




