表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/89

第四章 7


 熊沢蕃山サイド 寛永16年(1639年) 三月 天草四郎への手紙




 御無沙汰しております、四郎殿。

 雲霧殿より聞きましたよ。江戸に着いて早々、厄介者と評判だった傾奇者の大将格、水野十郎左衛門と幡随院長兵衛の二人を手懐けたとか? 流石です。

 連中を火事場に放り込んで、火消しと泥棒退治をやらせるとは……上手い手だと思います。中江先生に話したら、

「その手があったか!」

 と、大笑いしておりましたよ。

 でも、四郎殿。命を懸けるのはお互い、島原でもう充分でしょう? あまり危険な真似はなさらぬよう、友として忠告させて頂きます。

 我等、もう若くは無いのですから。


 さて、今回、筆を取ったのは四郎殿に一つ御教授頂きたい事がありまして。

 現在、先生は『性理会通』を読まれておるのですが、太乙神たいいつしんと呼ばれる神が心に引っ掛かっておるようなのです。伊勢の宮も関わるらしいのですが、自分、不勉強ゆえ、どういう神なのかよく判らなくて。(文献には小難しく書いてあり、ちと自分には……)

 四郎殿、太乙神について何か御存知なら是非とも宜しくお願い致しまする。




 天草四郎サイド 寛永16年(1639年) 3月 張孔堂




 夜中、天井から降って来た黒装束の人物――大盗賊『雲霧』こと仁左衛門さん――が差し出した手紙を灯明で読んだ。

 で、

「――仁左衛門さん。重さんに、こう伝えてくれませんか? 『俺が知るかい!? このすっとこどっこいめ!! おととい来やがれッ!!』と」

「……怨霊殿も立派な江戸っ子になったようで」

 仁左衛門さんが口元の布をずらして苦笑してる。

「太乙……?」

 手紙を読んだ雪ちゃん達が小首を傾げた。因みに今、ここに居るのは雪ちゃんに連也、それから半兵衛さんに十郎兵衛の爺ちゃん、そして俺と仁左衛門さんの計六人である。忠さんに廓然坊のオッサン組は、遊びに来た水野のお頭をリーダーとする傾奇者連中と道場で酒を酌み交わしている。そのせいで、さっきからうるさくてしょうがない。

「四郎兄ちゃんは、その中江先生が読んでる何とかって本、読んだことあるの?」

「さすがに無いな。どんな本なのかも想像出来んよ。おそらく陽明全集の中の一冊だと思うが……。雪ちゃんは知ってる?」

 連也の問いに首を傾げて呟く。

 雪ちゃんも肩を竦め、さあ、と言った。あれ? この子も一応、陽明学者って設定の筈だったんだが……。

 悩んでたら亀の甲より年の劫、十郎兵衛の爺ちゃんが推理を組み立ててくれた。

「儒者が、神を論ずる――おそらく易経についての解説書か何かじゃないですかのぉ?」

 易経?

「易に伊勢で太乙……ああ、伊雑宮御田植祭の団扇か」

 ポンと手を叩く。

「何です、それ?」

 と半兵衛さん。

「お祭りで巨大な団扇が掲げられるんだけど、確かそこに『太乙』って書いてあるって聞いた記憶がある。それから『封神演義』に太乙真人って仙人が出て来たかな? 闘神哪吒なた太子の生みの親だね。で、易だと太極の事で……」

「ちょ、ちょっと待ってください。……すいません、覚えきれません。返書を書いて頂けますか?」

 仁左衛門さんがさすがに慌てだした。

 心得た、とばかりに雪ちゃんが文机に向かい筆を手に取る。「――四郎様、さあッ!」

「さあ、って何? さあ、って??」

 少女時代の某卓球選手ですか?

「え~と、それじゃあねえ……」




 熊沢蕃山サイド 寛永16年(1639年) 3月 私塾 藤樹書院




 朝起きたら枕元に手紙と黒っぽい固形物が置かれていた。黒っぽいものは四郎殿が探していた『ジャガイモ』というもので、簡単な育て方と食べ方が書かれた紙も一緒に置かれていた。おそらく、尾張の忍びである仁左衛門殿が夜中に置いて行ったのであろう。

 早く読みたかったが、取り敢えず朝の支度を済まし、神々への供物である水と塩を換えて礼拝をする。

 ふぅ……。

 一通り終わってから手紙を開いた。



『――重さんへ。


 太乙、おそらく易でいうところの混沌である太極のことじゃないかと思います。つまり森羅万象、すべての始まりです。それを『神』として定義するなら『太乙神』となり、星々で言うなら天帝の星、即ち北極星です。ここら辺は陰陽道の範囲なんで、俺もよくは知りませんが、日本神話で天帝に相応するものを求めるなら天御中主大神、もしくは京の天子さまの御先祖である天照大神となるのかな? ……ここで伊勢との繋がりが浮かび上がってくるんじゃないですかね?

 子が親を敬い、先祖を大切にする。儒学ではそれを『孝』と言いましたっけ? ならば、自然の恩恵を受けて生きている我々人間は、その自然の始まりである太乙を敬うべき。多分、中江先生はそう考えたんだと思いますよ。ほら、『水を飲むときは源を思え』ってやつですよ。


 あ、それから入手出来たジャガイモの種芋を送ります。そちらもそろそろ飢饉の気配が漂ってきてる頃合いでしょう。試しに育ててみて下さい。


 追伸。俺はまだ若ぇよ!』



 フフッ。性格が明るくなったようだな、四郎殿。

 島原ノ乱の首魁、天草四郎時貞――その実態は、今から数百年後の世から転げ落ちて来た優しき若者だった。

 彼の居た世は、南蛮など多くの国々を巻き込んだ未曾有の大戦おおいくさがあって、日ノ本も民が全滅寸前まで追い込まれたらしい。それ故に、彼は弱き者達の無残な死に対して涙を流し、本気で怒った。そして絶望的な――彼の知ってる史実でも、裏切った絵師一人を残して全員死んだらしい――戦いに、敢えて身を投じた。


 ――皆と一緒に死にたかったんですよ。


 京までの移動中、彼はそう言って寂しそうに笑った。攻め手の指揮官だった私としては、あの泡沫うたかたの夢のごとく、今にも消えてしまいそうな痛々しい笑みに何も言えなかった。

 が、最後の一文を見る限り、年相応の若者らしさを取り戻しつつあるようだ。

「……成程。水を飲むときは源を思え、か」

「おや、どうしました? 熊沢さん」

 いつの間にやら姿を見せた中江先生が、私の前で小首を傾げている。

 中江与右衛門――庭に藤の木があることから、近隣の者達から『藤樹先生』と慕われている。初めて会った時の印象は、まるで凪ぎの穏やかな海のような人だった。しかし、その瞳の奥に強い意思の光を感じた時、私はこの方こそ人生の師だと直感した。

 近江の片田舎にこれほどの賢者が隠棲しているとは……。私が江戸でやってきた前半生など、本当に小さな世界だったのだな。

 先生に向かって会釈する。

「お早うございます、先生。旧友より手紙が届きまして……。『水を飲むときは源を思え』と忠告を受けました」

「ああ、貴方が前に語ってくれた原城の御仁ですか」

 先生にはすべてを話してある。師に対して隠し事を持つのは、何か違うと感じたからだ。すべてを話した上で、弟子にしてほしい、と頼み込んだのである。

「飲水思源……北周の詩人、癒信の『徴調曲』から生まれた言葉ですね。よく知っておられる。私も一度会って語り合いたいものです」

 先生は、病身の御母堂に孝を尽くす為に死罪覚悟の脱藩までやってのけた御方。その御母堂を置いて江戸に赴くなど無理だろう。それに先生御自身、赤貧に甘んじてるせいか、最近、嫌な咳をする時がある。

 ……あ、そうか。

「先生、この『ジャガイモ』というものを育ててみたいのですが、お庭の一角をお借りして宜しいでしょうか?」

 黒っぽい固形物と育て方、食べ方を書いた手紙を先生に渡す。

「ふむ……成程。確かに今年の天候は何か変です。もしかしたら、と、私も飢饉の兆候を感じておりました。本格化する前に植えてみましょう」

「有難うございます、先生」

 私が礼を言うと、先生は「いえいえ」と手を振った。

「礼を言うのは私の方ですよ、熊沢さん。飢饉は悲惨です。子供や老人の口減らしに娘の身売り、そして一揆となればどれだけの人間が死ぬことになるか……。少しでもそれを食い止める事業に私の庭が役に立つとなれば、これほど痛快な事はありません」

 クスクスと笑い、先生は庭に目を向けた。

 藤の樹は日の光を好む。先生が組んだ竹の棚に絡み付くように蔓が伸び、朝の水滴をまとってキラキラと輝いている。後数ヵ月もすれば、きっと薄紫の美しい花が咲き乱れるに違いない。

「江戸で走り回っていた頃は、自然を美しいと感じる余裕などありませんでした。きっとそれが、『心を曇らせる』始まりだったのかも知れません」

「私がそれに気付いたのは、脱藩して京に隠れ住んでた時です。人とは、何かを得るには何かを失わなければいけないのかも知れませんね。――で、熊沢さん、池田候からの招請は考えてくれましたか?」

 そう、兄上を通じて何故か岡山の池田候が私に藩政を建て直して欲しい、と言って来たのだ。一度は断ったのだが、兄上は行け、と何度も手紙を送ってきてる。

「私の学問はまだ完成してません。なのに実践の場に出て構わないものでしょうか?」

「いやいや、そう易々と完成されては孔子さまが化けて出てきちゃいますよ。私だって、まだまだです。きっと、自分の学問が完成したかどうかなんて死に際になってみないと判らないと思いますよ」

「そんなものですか?」

「そんなものです。それに書物だけでは駄目です。実態が伴わないと。指月の説話は熊沢さんも御存知でしょう」

 月を見よ、と師が指を天に向けた時、貴方は指にばかり注目するのですか? ――確か、仏典に書かれた話だったと記憶している。

 そうか、先生も行けと仰られるのか。

「……判りました。行ってみます。このジャガイモを増やしたら」

 ええ、増やしてからですね――と先生が微笑む。

「それに、ちょっと気になる事があるんですよ」

「気になる事、ですか?」

「近江の片隅から世を眺めてる身として……数百年後の世から転げ落ちてきた方は、本当にその御仁だけでしょうか?」

「まさか……まだ居ると?」

「一人だけ、と決め付ける理由もまたありませんよ。古くは、文献に書かれている聖徳太子の逸話など落ち着いて読むと違和感を感じますし、第40代天武帝は天文を読み遁甲の法を心得ていたと言われています。自ら式占盤ちょくせんばんを使って、卦を立てていたとね。そして、古代の関ケ原とも言うべき壬申ノ乱に於ける、あの鮮やかな勝利です」

「え、ええ……」

「それから、平安の大陰陽師安倍晴明は『生活続命ノしょうかつぞくみょうのほう』という、死した者を蘇らせる異能を発揮し、その子孫である安倍泰親あべのやすちかは『指すの御子』と謳われる程の占いの名人でした」

「……」

「戦国期、第六天魔王と恐れられた織田信長公は駿河の太守今川義元殿を桶狭間にて撃破したことが天下布武の始まりです。ですが、尾張の兵が弱兵と言われていたのは熊沢さんも聞いた事がおありでしょう? あの戦いで『撃って出る』とどうして決断出来たのか? もしかしたら、その裏には何者かの助言があったのでは?? いや、ひょっとすると信長公御自身が……」

「そんな……まさか……」

 四郎殿と同じく違う世から転げ落ちて来た者がまだ居るとしたら、その情報を掴むにはどこぞの藩に潜り込んでその情報網を使わせてもらうのが手っ取り早い。

 先生が振り返り、静かな――それでいて少しだけ寂しそうな――瞳を私に向けた。


「根拠はありません。でも……私達が紡いでる歴史は、本当に私達のものなんでしょうかね?」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ