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第四章 6


 青山播磨サイド 寛永16年(1639年) 一月 火事場




 焦げ臭い匂いが鼻につく。

 目の前で燃え盛る長屋は火の粉を散らし、音を立てて柱が焼け落ちた。煙を吸い込まないように口元に布を巻いているが、この熱さだけはどうにもならなかった。

 逃げ惑う人達に、聞けぇ、と叫ぶ。

「俺もお前等も、どうせ命以外失う物のない貧乏人だ! 着の身着のままでいい。大事な家族の手を握って、燃える物の無い開けた場所――川辺に出ろ! そこがいっぱいなら吉原の大門まで行け! 張孔堂の奴等が吉原の名主達を口説いてくれた。飯の炊き出しをやってくれている」

 俺の言葉を聞いて我先にと駆け出す馬鹿の尻を蹴り上げ、まだ燃えてない周囲の建物をそこらで拾った鉈で破壊して道を広げる。

 人の波がそこを通って川のある方角に向かうが、子供が一人弾き出され、転んで泥だらけになった。痛みか、恐怖か、子供は立ち上れずそのまま母親を求めて泣き出した。

「泣くな、小僧! お前のおっかさんはどこだ?」

 火の粉を浴びて悲鳴を上げる体を抑えつけ、子供を抱き上げる。

「おいッ! この坊主の母親を誰か知らないかッ!?」

「す、すみません、お武家様! 私の子です!」

 人の波を掻き分けるようにやって来た太りじしの中年女が、俺に向かってペコペコと頭を下げる。子供を渡すと、ヒシッと抱き締めた。

「早く行け! ……あ、女、この辺りに浪人と姉妹が住んでた筈だが知らぬか? 病んだ父親と幼い妹を助ける為、姉は吉原に身を売ったのだが……」

「もしかして、おふじちゃんとお菊ちゃんの姉妹の事ですか? ……あッ!? そう言えば、お菊ちゃん……お菊ちゃんの姿、見てません!? お菊ちゃんッ!?」

 子供を抱き締めたまま、おろおろと慌てだす母親の肩を押さえる。

「落ち着け! お前はその子を抱いて早く安全な場所に行け! 妹は俺が何とかする!」

「は、はいッ!」

 母子を人の列に戻し、俺は井戸の水を被った。頭をガンと殴られたような感覚と冷気が全身を走る。

 この燃え落ちる寸前の長屋のどこかに、彼女の妹が……。

 もう、とっくに逃げてるかも知れない。

 でも……。

「お藤、お前の妹だけは絶対に……俺の命に代えても絶対に守ってやるッ!」

 俺は雄叫びを上げ、轟轟と熱風と巻き上げる炎の中に突っ込んだ。




 ――




 喉が焼けるように熱い。

 被った水など何の役にも立たなかった。髪の先や、裾の一部がチリチリと燃える。

 燃え落ちる柱を鉈で払い、長屋の部屋を一つ一つ確かめる。

「まだ残ってる者は居るかぁーッ!?」

 燃え盛る音と渦巻く風の音がうるさくて、人の声らしきものは聞こえない。

 俺はまた一軒、戸を叩き壊した。障子は燃え落ち、古畳がメラメラと火を吹いている。

 その奥で……。

「……さん! お父さん! いやだよぉ!」

「は……やく……逃げなさい……おきく……」

「いやだぁ、お父さんも一緒じゃなきゃ嫌だぁ……」

 倒れ伏している父親に取り縋って、えぐえぐと泣き叫ぶ少女。父親の腹には火に包まれた柱が突き刺さってた。おそらくそれで畳に縫い付けられてる状態なのだろう。

「お藤の父親と妹だな!?」

 ドスドスと畳を踏み締めて二人に近付く。

 妹の方は泣きじゃくって会話にならなかったが、父親は目をゆっくりと俺に向けた。

 やつれてこけた頬、落ちくぼんで焦点が合ってない目、煙を吸って咳込んだのか、唇の端には血を吐いた跡があった。――死相だ。

「あなた……さまは?」

「お藤に惚れた男で青山播磨と申す。貧乏旗本だが、家宝の高麗皿を売ってでもアイツを身請けし、妻にしようと誓った男でござるよ」

「なら……あなたは……義理の……息子になる……訳ですな? ……この子の事も……頼め……ますか? ゴフッ! ゴフッ!」

 父親が血の塊を吐く。

「お父さん!? やだ、死んじゃ嫌だよぉ」

「お菊……こんなお父さんで……ごめんな……幸せに……なってくれ……」

 ブルブルと震える右手が泣く少女の頭に向かって伸び、途中でバタリと落ちた。

 少女がワーワーと泣き叫ぶ。


 ――御遺児、お預かり致す。


 上の娘を吉原に身売りさせ、そして今、下の娘を置いて死ななければならない。

 さぞや無念であろう。

 俺は、いずれは「岳父殿」と呼ぶことになったであろう御仁の瞳を閉じさせ、父の遺体に取り縋って泣き続ける少女の体を抱き上げた。背中に火の粉が飛ぶ。

「いやだぁ! お父さんと一緒にここで死ぬのぉ!!」

「馬鹿を申すな! お主が死んでは誰が御父上の墓前を弔うのだ!? 幼くても武家の娘なら、御父上の死を無駄にするな!!」

 頬を引っ叩き、強く言い聞かす。

「だって……だって……」

「お前は独りぼっちじゃない。俺が守ってやる!」

 しゃくり上げる少女をもう一度抱き締め、俺は燃え落ちる寸前の長屋から飛び出した。




 由井正雪サイド 寛永16年(1639年) 二月 川の土手




 あの火事から一月ほど過ぎた。

 目の前に土手では傾奇者達が体力作りの訓練をしている。

 観客というか、野次馬というか、それを遠巻きに見ている町娘達が時折り黄色い声を挙げ、傾奇者達がその度に手を振って応えてる光景は、もう苦笑するしかない。

「町の嫌われ者が偉くなったもんだ」

「連中の姿絵が飛ぶように売れてるそうですぞ」

「水野の親分さんを筆頭に、皆、顔だけはいいからね」

「ちなみに売り上げ一位になった奴は、吉原で飾られる全員分の姿絵で、一か月限定で真ん中になるらしいです。ついでに一晩、只で飲み食い出来るとか。因みに仕掛け人は本郷の八百屋の主だそうで」

「……AKB商法かよ」

 四郎様と十郎兵衛殿が顔を見合わせ笑っている。えびす商法って何だろう?

 先月の火事は、百以上の武家、そして千五百以上の町家を焼いて、何とか消し止められた。二千人近くの人間が焼け出された計算だが、奇跡的に死者数はその一割以下。何と二百人以下らしい。――らしい、と言うのは、火事場で盗みを働いてるところ水野殿に見咎められ、斬り捨てられた奴も居るからだ。火を大きくしようと、まだ燃えてない長屋に付け火をして町奴に袋叩きにされた大工も居たらしい。

 それを聞いて四郎様は、意味判らん、と溜め息を吐いていた。


 ――ウブっすねえ、怨霊さま。燃えれば建て直しの為に銭が動くンすよ。銭が動くって事は、つまり、仕事の無え職人達も仕事にありつけるって訳ですよ。


 苦笑いをして、そう指摘する幡髄院長兵衛。四郎様は、

「火事と喧嘩は江戸の華って、そういう意味も含んでたのかよ」

 と呆れ返っていた。

 今回、旗本奴と町奴は自主的に消火活動に動いた形になっている。幕府としては、これを報奨すべきか、独断専行として叱るべきかで意見が割れたらしい。そこで四郎様に知恵を付けられた水野十郎左衛門が、火事場の混乱に乗じて悪事を働く奴等が多い事を幕閣に報告、報奨を要らぬからこれを斬り捨てる許可をくれ、と直談判した。つまり、戦場で華々しく死ぬことを夢見てた傾奇者達を糾合して、消火活動と盗賊退治を行う専門の機関を立ち上げたのである。

「おお、来てたのか、張孔堂!」

 私達に気付いた水野十郎左衛門が笑みを浮かべてやって来る。いつもの剣呑な雰囲気は影を潜め、陽気な笑みだ。

「これはこれは、火付盗賊改メ方の初代お頭、水野様ではないですか」

「やめろ、お前等におべっか言われると鳥肌が立つ」

「……何気に酷ぇな、アンタ」

 お互いに肩を竦めて笑い合う。

 幕府としても死んで困らぬ傾奇者なので、話はあっさり通った。ただし、調子に乗って町衆に迷惑行為をしたら即捕縛の条件付きである。捕まった後は、適当な未解決事件の犯人として鈴ヶ森か小塚ッ原に直行だろう。

 水野殿が訓練に励む傾奇者達を見詰める。指揮を執っているのは副官に就いた加賀爪甲斐。町民達より、


 ♪夜更けに通るは何者か、加賀爪甲斐か泥棒か


 

 と謡われた男である。

「見てくれよ、怨霊。平穏な日常の中、武士はどう生きるべきか、俺達は答えを出す事が出来なかった。だからイラつき、すべてを叩き壊したい衝動に駆られていた」

「破滅したいのなら、とっとと腹を切れよ。傾奇者」

 水野殿が肩を竦め、まったくだ、と笑う。

「でもな、怨霊。お前の言った通り火事場は戦場だった。俺達が望んで、夢にまで見た戦場だったんだよ。見ろよ、コイツ等の顔を。目の色が皆、輝いてるだろう? か弱き者の為に命を懸ける。それが出来るのは俺等だけだって事に喜びを感じてるんだよ。お前が天下のお尋ね者だろうと、俺はお前に感謝するぜ。ありがとな、怨霊」

「勘弁してくれ。背中が痒くなってくる」

 四郎様が橋に視線を逸らせて、苦笑いを浮かべる。照れてるようだ。

 ん? 橋をとてとてと七つぐらいの女の子が走ってくる。その後ろには、達磨みたいな顔した幡随院長兵衛と吉良の若様が居た。

「あおやまさま~! おにぎり持って来ました~!!」

 舌ったらずの可愛い声を響かせ、女の子が土手を降りて行く。

「あの子は?」

 四郎様の問いに答えたのは、私達の側にやって来た幡随院長兵衛だった。

「青山の旦那が燃え盛る長屋から助け出した少女で、名はお菊と言いやす。病気だった父親があの火事で焼け死に、姉も死んで、可哀相にあの齢で天涯孤独になっちまった。で、旦那が引き取り、養ってるんで」

「姉も火事で?」

「いや、吉原であの禿に殺された遊女……彼女の妹なんですよ」

 それは……可哀相に。

 痛ましい目で見る私達に吉良の若様が、大丈夫だよ、と言った。

「自分を助け出した青山の旦那にああやって懐いてるし、旦那も正式に引き取りたいと仰せだ。何とかやっていけんだろう」

 丸太に二人仲良く並んで座り、おにぎりを食べている。微笑ましいな。――冷やかす周りの傾奇者達を青山殿が蹴りを入れて黙らせているけど。

「そう言えば、怨霊の兄ちゃんよ。何日か前にあの禿の嬢ちゃん、俺に和歌を訊きに来た事があってな。これって何か関係あるのかね?」

 吉良の若様の言葉に四郎様が小首を傾げる。

「どんな和歌?」

 ……今更だけど、四郎様って旗本御家人だろうと高家の若様だろうと、気さくに言葉を交わす。相手もそれが嬉しいみたいでどんどん仲良くなってる。

「風って言葉が入った和歌を教えてくれって言うから『嵐吹く 三室の山のもみじ葉は 竜田の川の錦なりけり』ってのを教えたんだが……」

 ふむ。

 四郎様はピンと来てないようだが、百人一首にある能因法師の歌で、遊女が馴染みの男に送る歌としてはちょっと微妙だ。

「そしたら、男から返ってきた歌が『みかきもり 衛士の炊く火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思え』でよ。妙なやり取りしてるな、コイツ等? ――って奇妙に思ったんだよ」

「……判らん」

 四郎様がお手上げの仕草をする。が、私は判った。おそらく……、

「符丁ですよ」

「符丁?」

「最初のは『風』、そして返って来たのが『火』。つまり、あの禿の少女は『次の風の強い日に行動を起こす』と送り、仲間達は『ならば、こちらも火付けの準備をしとく』って、やり取りしてたんですよ」

 最早、確かめようが無いが、間違いないと思う。

 四郎様が苦笑いする。

「やれやれ。――水野のお頭、それから幡随院のオッサン。アンタ等の向かう戦場は、まつりごとの裏の争いで忍びまで絡む……魑魅魍魎の跋扈するところのようですぜ」

「なに、望むところよ。鬼退治は桃太郎の頃より武士の本懐と決まっておる」

 カラカラと笑い、水野殿は訓練中の傾奇者共に視線を向けた。

「ほれ、向こうに居る長兵衛の仲間は唐犬権兵衛と言うらしいじゃないか。長兵衛は猿みたいな面だし、後、雉が居れば完璧だ」

「おい、コラッ! 誰がアンタのお供だよ!?」

 真っ赤になって、それこそ猿のごとくキーキーと怒る幡髄院長兵衛に皆が大笑いする。

「大丈夫ですよ、長兵衛さん。その昔、関白になって天下を差配した猿顔の方もおられましたし」

「慰めになってねえぞ、張孔堂!」





お菊ちゃんと青山播磨……勿論、例の怪談の主役二人です。


でも、あの話って全国各地にあって、どこまでが本当か判らないんですよね。


愛情を確かめる為にお菊ちゃんが皿を割り、自分の愛情を信じて貰えなかったことに哀しんだ青山が敢えて己が手で彼女を斬る……って物語もあった気がしますし。


この世界線だと、「yes、ロリータ。NO、タッチ」と変態紳士になった青山播磨に、なかなか自分に手を出さないお菊ちゃんがイラついて、家宝の高麗皿に八つ当たりを……とか?


……なんか、色々と台無しだな(苦笑)。



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