序 3
一目で裏仕事専門と察せられる黒装束の男達だ。構えてるのが直刀だし、忍びか。
「……天草四郎、一つ訊く。切支丹は自害を禁じてるというが本当か?」
胡散臭げな目で忍び達を見てた武蔵様が呟く。
「ええ。この命は神より与えられしもの、故に自害は神の意に背くものである――って考えがあるんですよ」
「神の意に背くか……。成程。ならば貴様の死に場所はここではない」
鞘込めのままの刀を無造作に一閃させ、突っ込んで来た黒装束を弾き飛ばす。
ぐはっ!
壁に激突した男がズルズルと崩れ落ちた。右腕がありえない方向に曲がってる。折れてるな、ありゃあ。
「お主はこのまま処刑されるつもりなのだろうが、それは遠回しな自害と何が違う?」
「……何が言いたいので?」
素早く俺と爺さんを庇う位置に走り込んだ正雪が、黒装束の投げる棒手裏剣を逆手に構えた脇差で叩き落す。
「死に逃げないで下さい、四郎さま」
「なッ?」
自分の眉間に皺が寄ったのが判った。
武蔵がこちらに一瞬目をやり、不敵な笑みを浮かべる。
「図星か、小僧? お主達は松倉の圧政に怒り、俺達も人だ、と奴等に牙を突き立てる為に立ち上がった。死を覚悟の上でな。だが、考えたのは……願ったのはそれだけか?」
何人も部下を武蔵に叩きのめされた黒装束の指揮官らしき男が右手を挙げた。生き残ってる黒装束達が、武蔵から距離を取る。
「小僧、お主達はこう思った筈だ。『誰からも脅かされず、ただ静かに……穏やかに暮らしたいだけなのに……』と」
「ッッ!」
その言葉は……。心臓の鼓動がやけに大きく頭の中で響いた。
この城に入って一日目――大人も子供も、女も男も、誰もが手の空いた時間に俺のところに来て神に祈った。その時に口にしたのが、今、武蔵が口にした言葉だった。
「ならば――ならば天草四郎ッ! お主はその願いを是が非でも叶えるのが使命ではないのかッ! 答えろ、天草四郎ッ!!」
「……ッ」
死に包まれるその瞬間まで、戦って戦って――戦い抜け、そう仰るのか武蔵様?
体に震えが走る。
俺は……。
俺は……俺は……。
縋るような瞳で俺を見詰める正雪。
視界の端で黒装束が棒手裏剣を投げるのが映った。
狙いは――正雪ッ??
「駄目だ! アンタが死んだら歴史が狂って幕府の圧政に歯止めが効かなくなるッ!」
無意識に正雪を抱き締め、体を反転させる。身を竦ませる正雪の髪から漂う匂いを甘いと感じた瞬間、背中に衝撃が来た。
「ぐっ!?」
「四郎さまッ!?」
……カツン、と床に棒手裏剣が落ちる。かすっただけ?
体を捻って背後を見ると、武蔵様が抜き身の刀を持ってニヤリと獰猛な笑みを浮かべていた。まさか……刀を振った風圧で棒手裏剣を叩き落したのか?
正雪の体を掴んで、大丈夫か、と声を掛ける。寛永に来る直前、駅のホームで助けた女子高生と正雪の顔が何故かダブって見えた。
「え、ええ……すみません、守るつもりが逆に守られてしまいましたね」
「いや、そんな事は……??」
手にかすかに当たってる正雪の胸が……柔らかい?? 「――アンタ、もしかして女……なのか??」
「ッ!」
正雪の顔が林檎のように赤くなり、俺の手を乱暴に振り払って胸を両手で隠して俯く。明らかに女の仕種だ。
やばい。ちょっと可愛いと思ってしまった。
「……武蔵様」
「何だ?」
「俺、向こうの世界では女に縁が無かったんですよ。こっちの世界に来たら聖人扱いで拝まれちゃっていたから、女に手を出すって雰囲気じゃなくて……何だかこのまま死ぬのは惜しいかなって気がしてきました」
「何だ小僧、童貞か?」
武蔵様が豪快に笑う。「――我は、この戦に参陣する直前まで吉原に居たぞ。この陣羽織は馴染みの女が我の為に縫うてくれたものよ」
なッ!?
「アンタ、リア充だったのかよ!? アンタの生き方は女っ気の無い男達にとって理想であり、独行道の『恋慕の道、思いよる心なし』は錦の御旗だったんだぞ!!」
「……何の話だ?」
ちきしょう。きょとんとしてやがる。そりゃあ、独行道は死の間際に書き残したものだから今の武蔵様に言っても『何の話だ?』になるのだろうが……何だろう、この騙された気分は?
「お前等、何の話をしている?」
無視されて切れたのか、こめかみに血管を浮かせた黒装束の指揮官が懐中から竹筒を出した。あれはもしや……。
「やばい、爆薬だッ!」
チッ。モブキャラの分際で爆薬出すなんて、正気かよ?
武蔵様が黒装束達を次々と吹っ飛ばしてるが、向こうも指揮官を守る形で防御に徹してる。まずい。
「……これは何の騒ぎでござる?」
どこからともなく声が響き、指揮官の胸から槍の穂先が生えていた。血に染まりつつも銀色に鈍く光る穂先を、指揮官が信じられないものを見たかのような顔で見詰めている。
俺は指揮官の背後に立ち、今の台詞を発した人物に向かって叫んだ。
「重さん! そいつの持つ竹筒を外に。爆薬だッ!!」
「ッ!? 承知!!」
床に倒れて絶命した指揮官の腕を、体中にさらしを巻いた怪我人――重さんが蹴るが最期の執念なのか、それとも死後硬直が始まってるのか、しっかり掴んで離さなかった。
「どけッ!」
他の黒装束達を倒した武蔵様が近寄り、刀を振り下ろして指揮官の腕を肘から両断する。噴き出す鮮血を避けつつ、重さんが外に蹴り出す。
「伏せろッ!」
慌てて正雪の上に覆い被さる。爺さんも俺の横で床に伏せた。
瞬間、凄まじい爆発音が響き俺達の居る掘っ立て小屋を揺らす。
クッ……。
振動が止み、体を起こすと武蔵様と重さんが苦笑いしてこちらを見詰めていた。
「四郎殿、もしかして衆道の気が?」
「人聞きの悪いことを嬉しそうに言わないで下さい、重さん」
この人、これでも『内膳正』って官位持ちなんだけどなぁ。
頭をガリガリ掻く俺の下から顔を紅くした正雪が慌てて這い出て距離を取った。ちょっと名残惜しいものを感じつつ、俺は肩を竦めて立ち上がった。
懐紙で刀の血を拭った武蔵様が俺の前にやって来る。
「生きる気になったか、小僧」
「ええ、開き直りました。こっから脱出の手引き、宜しくお願いします」
武蔵様のゴツイ手が俺の髪をガシガシと掻き混ぜる。一応、撫でてるつもりらしい。って、痛い痛い痛い。
武蔵様の手をのけて爺さんに顔を向ける。
「皆が復活した時、心安らかに生きられるように本気で歴史改変をしてみようと思う。爺さん、付き合ってくれるか?」
「四郎様のお心のままに」
ニコリと微笑み頷く爺さん。
俺は重さんの方に視線を向け、このままここで待機して幕府側の兵士が来たら身分を明かしてくれと頼んだ。
「いや……伊豆殿が来て乱を制圧した以上、最早、生きていたとしても自分の居場所は江戸にありますまい。ならば名を捨て、四郎殿の持つ知識を元に学識を深めて第二の人生を送ってみようかと思います。拙者も連れて行ってくれませぬか?」
後ろに居た正雪がチョンチョンと袖を引っ張る。
「あの、四郎さま。そちらのお方は?」
ああ、言ってなかったか。
俺は重さんの方に左手を向け、
「武蔵様は察しているようですが……こちらは板倉内膳正重昌様。幕府軍の第一次指揮官だった方です」
「はッ!?」
正雪の目が点になった。