第三章 9
由井正雪サイド 同日 夜 箱根 隠れ里屋敷
半刻ほど前。
四郎様と連也くんが温泉に浸かりに行ってる間、私は寝床を整えていた。
「妙に甲斐甲斐しく働くのぉ、雪。まるで奴の御内儀のようじゃ」
壁に寄り掛かって私を見ていた小太郎様が、ククッと笑った。な、何を言ってるんですか、もう。
「――そんな事より天草四郎という人物、小太郎様はどう見ました?」
「うむ。……なかなか興味深い。ちゃんと『観て』みぬと判らぬが、あれは奇貨じゃな。妾が貰って良いか?」
「駄目です――ッえ?」
作業が終わって立ち上がった私に、小太郎様が「それは残念」と笑って右手をスッと伸ばして来た。細く白い指が私の額に当てられ、小太郎様が何やら呟く。
「……急々如律令」
呪ッ!?
ビリッ、と痺れるような感覚が頭の中に響く。
「こ……た……ろう……さ……」
「確かめたいことがあるのでな。悪く思うなよ、雪」
ぼやける視界の中、小太郎様の笑みが魔性めいたものに見え……私は意識を失った。
――
ッ!?
自分で敷いた布団の上で私は目を覚ました。まだふらつく体を起こし、外に面した障子を開ける。
……月の位置から察するに、意識を失ってたのは半刻ぐらいか?
頭を軽く振って呼吸を整える。
小太郎様には霊力とも言うべき奇妙な力がある。それがあるからこそ、一族の古老達が当代の小太郎にと推挙したのだ。本人は「やってることは、ただの庄屋さんよ」と笑っているが、少なくとも私は『占事略決』を読む庄屋さんなど見たこと無い。
だが……
だが……
「ふざけんなよ、あの小娘ぇーッ!」
――
岩場に辿り着くと、四郎様と小太郎様が接吻を交わしてる――ように見えた。足音を消して近付くと、接吻ではなく互いの額を繰っ付けて何やら語り合ってるようだった。
「私を眠らせて何やってるんですか、小太郎様、四郎様?」
声を掛けると四郎様は、ヒッ、と身を縮ませ、小太郎様はニコリと笑みを見せた。
「おお、目が覚めたか雪? お主も脱いで湯に浸かるがよい」
「……」
無言で着物を脱ぎ、私は掛け湯をしてから温泉に足を入れた。そのまま四郎様の隣に腰を下ろす。私を女と意識してるのか、四郎様は顔を真っ赤にしてこちらを見ないように明後日の方向を見ている。……何事にも動ぜぬよう、くの一として修行を積んだ私がちょっぴり嬉しいと感じてしまう。お陰で少し落ち着きを取り戻した。
「――で、私を眠らせて何をやってたんです? 四郎様に襲われ……る訳が無いですね、小太郎様が。襲ってたんですか??」
「眠ってる間に性格が悪くなってるぞ、雪。――怨霊の記憶を少し覗かせて貰った。なかなか面白いぞ。数百年後の世では、湯殿と風呂がごっちゃになってるらしい」
四郎様が小首を傾げている。
「え? 同じものだろう??」
「違います」
私は溜息を吐いて、首を左右に振った。早めに判って良かった。江戸の町でそんな事言ったら、おかしな奴めって役人に連行される。四郎様にはこの時代の常識を覚えて貰わないと駄目ですね。
「違うの?」
「違います。湯気で満たした部屋が『風呂』です。湯殿は……」
私は右手で温泉を示して「――こう、お湯でいっぱいになった場所です」
四郎様の目が真ん丸になった。顎に手を当て、ブツブツと考え込む。
「そっか……この時代の風呂は蒸し風呂だったっけ。温泉は、聖徳太子が有馬の温泉に入りに行った記録があるぐらいだから昔から利用されてたけど……あ、大量のお湯を沸かすには大量の薪が必要だから、上流階級でも毎日は無理なのか。だから蒸し風呂……」
「四郎様?」
「……忍びとしての風魔の存在意義を取り戻したい、確かそう言ったよね?」
四郎様の真剣な瞳が私と小太郎様に注がれる。
「ええ」
「お、おお……何か妙案を思い付いたか?」
「目指すは経営コンサルティング会社……マッキンゼーかな?」
ま……きんざん?? なに??
天草四郎サイド 同日 夜 箱根 隠れ里の温泉
風呂の語源には諸説あるが、その一つに『室』って説がある。岩室とか、氷室の室だ。早い話、そこだけひんやりしているとか、違う空間のイメージだろう。
天然に沸いてる温泉ならともかく、大量の薪を燃やして湯船いっぱいのお湯を沸かすなんて、金持ちでもそうそう出来るもんじゃない。まして庶民は盥での行水がいいとこ。だから、閉め切った一室を大量の蒸気で満たす蒸し風呂が近代に入るまでデフォだった。
お湯に浸かる、いわゆる銭湯が出て来たのは江戸時代も真ん中を過ぎた……終わり近くだった気がする。
連也を始め誰もが『風呂』と『湯』を使い分けてたのはそういう訳で、同じものとして使ってる俺とイマイチ会話が噛み合っていなかった。判ってみれば、いくら俺が歴史オタクでもそんな雑学ネタ知らんよ、って話である。
さすがにのぼせそうだったので温泉から上がり、俺達は屋敷に戻った。
で――
「……で、何を思い付いた怨霊?」
やけに食い付くなぁ、ロリ巫女さま。湯上りの火照った顔で目をキラキラさせているよ。俺はもう寝たいんだけどね。因みに連也は隣の部屋で就寝中です。
「ああ、風呂の語源が『室』ならば……似た読みの『木の洞』とか、空っぽを意味する『虚ろ』も繋がるのかな~と……」
「うむ。無関係ではあるまい。が、『室』は部屋を意味する『しつ』とも読める事から、人の手が入っているか否かで線引きするべきじゃろう。『うかんむり』は屋根、つまり家屋敷を暗示してるからのぉ」
弟子の出した答えを採点する師のごとく、コクコクと頷くロリ巫女様。
が、
「――妾が何を聞きたがっているか判ってて誤魔化すか。この意地悪め」
「いつッ……」
ズリズリとにじり寄って来て、俺の膝の上に乗っかりデコピンをかましてくれました。結構、痛い。ついでにこの姿勢、条令的にやばいです。湯上がりのいい匂いと、襟の合わせからチラチラ覗く緩やかな曲線を描き始めたお胸が……。
――はッ!? ロリは駄目だ。ロリは駄目だ。ロリは駄目だ……。
某アニメの某主人公の台詞に近いものを心の中で唱え、血が集まり出した体の一部を精神力で必死に抑える。
「小太郎様こそ真面目に話をする気あるんですか? まったく……」
雪ちゃんがロリ巫女様の首根っこを掴んで、元の位置まで引っ張り戻した。猫にしつけをしている飼い主のようだ。
俺は雪ちゃんに礼を言って、深呼吸をしてから二人の顔を順に見詰めた。
「戦国の頃の忍びの主な任務は、情報収集に破壊工作、更には暗殺など。これは合ってる?」
「うむ。噂をばら蒔くなど情報を操作するのも含めてくれるなら、のぉ」
「ですね」
二人が顔を見合わせ、コクリと頷く。
「数百年後、つまり俺の生きてた時代にも忍びは居たよ。スパイと言ってね。で、それを束ねる組織を諜報機関と呼んでた」
「え、えす……何だって?」
「名前は覚えなくていいよ。重要なのはこっから先。破壊工作や暗殺など非常手段を抜きにして、情報の収集分析を行う組織は民間にもあったんだ」
「何と? それは誰が雇い主になるのじゃ??」
ロリ巫女様が首を傾げる。
「それなんだけど……戦国が終わって、武から文へと世が変わりつつあるのは二人とも判ってるよね?」
雪ちゃんが頷き、寂しそうに呟く。
「……剣の腕より算盤の正確さが求められる世、ですね?」
「そういう事。本当はそれじゃ不味いんだけどね。――それで、そんな世になれば大きくなるのは……」
「ふむ。算盤を日常茶飯事使ってる商人か?」
ロリ巫女様が呟く。正解です。
「ここで商人になったつもりで想像してみて。ある場所に小太郎様が店を開こうと考えた。さて、儲かるか?」
「それは……その土地に客となる者達がどのくらい居るか? 売り物を安く仕入れるのは可能か? 等々、様々な要素が絡むのでは……ッ!? お主、まさかそれを??」
ロリ巫女様が目を真ん丸に見開く。
「うん。経営について一家言もつようになれば、潰れそうな店に対して『ここを変えろ』って助言することも出来る。――そういう商売、どうかな?」
「う~む……」
両腕を組んで考え込む。
一方、雪ちゃんの方は目をキラキラさせて乗り気のようだった。
「まるで、その大地が吉相か凶相か見定める陰陽師みたいな仕事ですね……。私は面白いと思いますけど、小太郎様?」
「一つ問題がある。商人達にどうやって信用して貰う? 風魔の名を看板に書く訳にはいかぬのだぞ。まだ民は大盗賊『風魔党』の名を忘れておらぬ」
「う~ん……」
一つアイデアがあるにはあるんだが、実際に現場に行ってみないとヒットするかどうか予想出来ないんだよな。
「何を企んでいる、怨霊?」
怪訝な顔をするロリ巫女様。
「明日、朝一番で岩を取りに行こう。畳一畳分ぐらいの広さがあればいいんで」
「岩??」
「岩ならそこらにごろごろしてますよ、四郎様?」
ただの岩じゃ、説得力に欠けるんです。




