第三章 7
遅れてマジすいません。
沢庵サイド 寛永15年(1638年) 十一月某日 紀州城 密議ノ間
拙僧が差し出した怨霊からの書状を読み、紀州様が唸り声を上げる。一枚目は拙僧と名人に自分の正体を明かしたしてしまった事の詫び、そして名人に地震い対策、拙僧には飢饉が起きた際、人々の心が荒まないよう少しでも癒して欲しいと頼んだので力添えを願います、と書かれている。
問題は二枚目だ。怨霊だけが知る幕府崩壊の予言が世界地図と共に記されているのだ。
紀州様が書状から顔を上げ、拙僧の隣で平伏している名人に視線を向ける。
「そうか、そちが東照宮建築で名高い左甚五郎か。眠り猫の見事さは余の耳にも入っておる。面を上げよ」
「へへっ!」
「怨霊からの書状によると、地震いで生じる被害を減らす為の秘策を与えられたようだな? 使えると思うか?」
「……試したい事がありやす」
名人がゆっくりと顔を上げた。よく言えば専門家として自信に満ちた、悪く言うなら『ふてぶてしい面構え』だ。
「何だ? 言うてみよ」
……そして、南竜公とも呼ばれる紀州様は、そういう面構えしている奴が大好きだったりする。
「骨組みで構わないので、普通に建てた家と怨霊の兄ちゃんが言ってた細工を施した家の二つを用意し、お殿様立ち会いのもと、双方の柱を一本ずつブチ抜いていって、崩れるのにどれだけ差があるか試したいのです」
「ほお……。つまり、その為の銭と人手を余に出せ、という事だな?」
紀州様が側に控えていた家老に視線を向ける。「――どうだ?」
「……飢饉対策に結構な額を振り分けてるのですが、殿はやってみたいんですよね?」
「うむ。あの怨霊の言、どこまで信じられるか一つの目安となろう」
「判りました。何とかしましょう」
家老が溜息を吐いて苦笑いする。
紀州様はニコリと微笑み、
「これで一つ片付いたな。――さて、和尚。和尚はあの島原の怨霊をどう見た?」
「普通に考えるなら狂人の類……が、紀州様はそんな普通の答えを求めてはおらぬようですな?」
思わずこちらも苦笑いがこぼれる。まったく、坊主に怨霊について訊きますか。
暫し瞑目し……、
「あの者は口が酸っぱくなるほど、大飢饉が来る、と言っていた。事実、その兆しは見え始めている。その一つを取っても狂人と斬り捨てるのは難しいでしょう」
「うむ。江戸の連中は、飢饉の兆しについて深く考えておらぬようだがな。『今年は何か変だな?』程度のようだ」
但馬を始めとした幕閣連中の顔が頭に浮かぶ。まったく、あの馬鹿ども……。
「そして、その幕府が二百数十年後に……15代目の将軍にて潰れる、と奴は言う」
「うむ。この書状によると、南蛮各国が商売の幅を広げる為、次々と我が国に接触して来るらしい。が、その頃の我が国は長崎出島を通じて明と阿蘭陀国の二国ぐらいとしか貿易をしてない。故に、船も鉄砲も、それ以外もすべてに於いて隔絶したものを持つ南蛮人を見て、我が国の民は叫ぶらしい。『夷狄を追い払え!』と……」
「理解出来ぬ故……ですな。理解出来ぬものを民は妖怪・化生の類として生活の場から追い出しますから」
儒で言う、怪力乱神を語らず、というやつだ。
「南蛮の進んだ技術・文化を見て驚愕していた幕府は、それが夢物語だと判ってるから必死に『無理だ』と説得するが……見ていない朝廷は『追い払え』と言う。このゴタゴタを好機と見た西の者達が、幕府は勅に従わない朝敵である、と決め付け蜂起する――と、書状には書かれている」
「具体的過ぎる。笑い飛ばせませんな」
思わず溜息を吐いてしまう。西の蜂起後の混乱――それは将軍家の首を挙げるまで止まらず、多くの民が塗炭の苦しみを味わうことになろう。
紀州様も、うむ、と頷き、
「幕府が滅ぶ、民に見捨てられてならそれも結構――和尚なら、そう言うかも知れぬが、怨霊曰く、その頃の鉄砲は火縄銃とは比べ物にならない高度な絡繰りらしい。つまり、それだけ多くの命が失われるという事だ。遥か先の世の事、その時代に生きる者達が解決すべきなのだろうが、聞いた以上、徳川の名を持つ者として捨てておけとも言えぬ」
「……成程。それで紀州様は、江戸には怨霊のことは知らせず動くことにした、と?」
「うむ。余を間違っておるかのう、和尚?」
数百年先の世を見据えて治世を行う。これ即ち国家百年ノ計。
が、それ故に為政者は周りに理解されず孤独を味わい、苦しむこととなる。
――これもまた無門の関、か。
「紀州様。このクソ坊主に難しいことを言われても判りませぬ。現世など一睡の夢、二百数十年後など夢のまた夢でございましょう。それでも何か言え、と命ずるなら……」
「うむ。何か言え」
紀州様がニヤリと笑い、横で聞いている名人が「アンタ等、面白い」と腹を抱えてる。
やれやれ。
目を開き、ギロリと睨む。
「喝ッ!!……臣下にあれだけ武に長じた者達を並べておるのに、その主が気合い足らなくてどうするッ⁉ 愚か者が!!」
そんなに大声出したつもりは無いんだが、名人と紀州様が「ウオッ!?」と叫んで腰を抜かし目を真ン丸にしている。因みに家老殿は、目を何度も瞬かせて思考が停止してるようだ。
「……まったく、どなたも修行が足りませぬな」
カラカラと笑うと、体勢を立て直した紀州様が苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「成程。これが噂に聞く『臨済の喝、徳山の棒』か。良い体験をしたわ」
「憑き物が落ちましたかな? ……不必要に力が入り過ぎてれば、そこからポキリと折れまする。紀州様は今を生きる者達だけでなく、これから生まれて来る子供達、孫達の為に少しでも良い世を作ろうとされておるのでしょう? ならば堂々としていなされ。それだけで皆が安心します」
自在に形を変える空の雲のように、思うがまま枝葉を伸ばす樹木のように。
ただただ、心を縛られず堂々と生きていけばいい。
今を生きる者達の為、そしてこれから生まれて来る者達に為に良い世をを作る? 結構な事じゃないか。堂々とやればいい。子供達が笑顔を浮かべられるなら、その契機が怨霊の言だったなど、小さな事よ。
そう言うてやると、名人は「はあ~」と大きく息を吐いて、こめかみを指でコリコリと掻いた。
「沢庵様に言われると、色々と深く考えてたのが馬鹿らしくなってくるな、まったく」
「それが『悟る』という事よ。名人も『大吾』に至っておるのではないか? 何なら印可をやるぞ。拙僧の衣を付けて」
「いらんて。お殿様にでもやってくれ」
「……いやいやいやいや。余もいらんぞ」
紀州様が真顔で右手でブンブンと左右に振った。
「なんか……腹立ちますな、アンタ等」
そう言ってやると二人はケラケラと笑い、家老殿は笑っていいのかオロオロとしていた。
天草四郎サイド 寛永15年(1638年)十二月某日 箱根山中
1
「寒い……死ぬ……」
「極端な。人間、そんな簡単に死にはしませんよ」
前を歩く雪ちゃんは振り返って「しょうがない奴め」って顔をするが、十二月の山に入るなんて自殺志願者か、『雪の進軍』を歌いながら歩くガルパンファンだけだろう。
歴史に名高い箱根の関所を「天草四郎でございます」と言って通る訳にもいかず、雪ちゃんは山越えを提案した。
まあ、しゃあなしだな――深く考えずに賛成した過去の俺よ、敢えて言おう。
「あたしって……ほんと、バカ」
「何を言ってるんですか、何を?」
希望と絶望の差し引きはゼロなのだよ、雪ちゃん。
震えながら歩く俺を連也が生暖かい目で見詰める。
「そんな事より、雪姉ちゃん。ここに四郎兄ちゃんに会わせたい人が居るって言ってたけど……何者なの? こんな山奥に居るのは狼か熊ぐらいだと思うけど??」
狼や熊と対面して俺にどんな会話をしろと?
(俺)「ホロ、可愛かったね」
(狼)「グルルル……」
(俺)「あ、熊さん。巫女のマチちゃんは元気してる?」
(熊)「グウウウ……」
……うん、これほど非生産的な会話も無いな。
すでに太陽は西に傾いており、樹々の間を吹きすさぶ風は切るような冷たさだ。正直、俺はもう方角も怪しくなってる。これはもしかして……孔明の罠?
「そろそろ結界の中に入ったと思うんですが……」
雪ちゃんが小首を傾げる。
結界? 何か嫌な予感……。
シャリーン
シャリーン
んん?
鈴の音??
夕没のオレンジ色の光が樹々を染める中、わらわらと幾つもの人の気配が生じた。逆光になるよう位置を計算してるのか、小さな黒い影が樹々の間に生じているのだ。
「里の者はおろか、猟師や杣人もここまでは入って来ないのじゃがのぉ。お主達は何者ぞ? 返答次第では……」
幼女の声?
「お久し振りです、小太郎様。覚えておられましょうか? 紀州様にお仕えし、現在は江戸の町に“草”として入っている雪でございます」
「……雪じゃと?」
シャリン、シャリンと鈴の音を響かせて黒い影達が近寄って来る。歳の頃は12,3歳の一様に巫女の装束を纏った少女達だった。どうやら腰に鈴が括り付けてあるらしく、夕陽と装束、そして音が相俟って妙に神秘的な光景だった。
小さな巫女さん達の列がしずしずと二つに割れ、真ン中を更に幼い感じのする巫女さんが歩いて出て来る。他の巫女さんが女子中学生ぐらいとしたら、この子は小学校高学年って感じだ。ただし、他の巫女さん達が白衣に緋袴の普通の格好なのに対し、この子は白衣の上に千早を羽織ってる。確かこれって神楽を舞う時に身につけるものじゃなかったっけ? それに頭に前天冠と呼ばれるティアラみたいなものまで付けている。この子がリーダーらしい。
「おお、確かに雪じゃ。一別以来じゃのぉ。元気しておったか?」
ロリババア……だと?
何だ、コイツ等? 俺を萌え死にさせる気か??
雪ちゃんはコクリと頷き、
「何とか無事に過ごしておりまする。ただ、状況が大きく変わろうとしておりますので、一度談合致したいと思いまして、罷り越しました次第で」
「……これ、そのような形式張った口調をせずとも良い。我とお主の仲じゃないか。――で、状況が変化したのはそこな男共のせいか? 何者ぞ??」
仲がどうのこうのの辺りで一瞬、雪ちゃんの頬が紅くなったような気がしたが、きっと夕陽の加減だろう。もう、これ以上属性を増やすのは勘弁してくれ。
「刀の柄に手をやっている方は尾張柳生の御曹司、連也殿。そして……」
俺は雪ちゃんを手で制した。
「四郎さま?」
「雪ちゃんが信頼しているようだし、自分で名乗った方がいいだろう。彼女が信用するかはともかくね。――先年起きた島原切支丹一揆の首魁、天草四郎……その怨霊だ。巫女殿、貴女は名は?」
「ほう、怨霊とは面白い。妾は当代の風魔小太郎。この隠れ里の長をしておる。歓迎しよう、怨霊殿」
「……ッ」
ロリ巫女がニヤリと、見てる方が鳥肌の立つ笑みを浮かべてみせた。直感的に判る。この幼女、生まれながらの捕食者――プレデターだ、と。




