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第三章 6

遅れてすいません。


      2



 商家の金蔵かよ、と言いたくなるような頑丈な扉の前に立つ警護役二人に、よおっ、と手を挙げて挨拶する。この扉が南丸に入ることの出来る唯一の扉だ。

「お久し振りです、水戸家の御曹司」

「御曹司言うな。土産の酒を家老さんに渡してある。後で一杯やってくれ」

 鍵を渡すと、いつもすいません、と左側の警護役が苦笑い気味に礼を言い、右側の警護役が扉の南京錠に鍵を差し込んだ。

 ガチャリ、と鈍い音が響き南京錠が外れる。

「上総さま、今日は機嫌が良いみたいですよ。時折り、笛の音が聞こえます」

 へえ。

 叔父上が持つ笛は野風と呼ばれ、戦国の覇王である織田信長公から太閤秀吉、そして大権現さまへと伝わった名品だ。まさに天下人の笛と言っていい。

 叔父上は大権現さまより勘当処分を賜り、謹慎されていたのだが、何故か形見分けだとこの笛を贈られたらしい。どうして台徳院様(二代将軍秀忠)ではなく叔父上がこの“天下人の笛”を貰ったのか? 叔父上はニコニコと笑うばかりで何も語ってくれない。

 ギシギシと軋みながら扉が開く。

 俺は扉をくぐり、薄暗い廊下に入った。

「帰る時はいつも通り、扉を叩いて声を掛けるよ」

「承知しました」

 再びギシギシと音を立てて扉が閉まる。薄暗い廊下が更に暗くなった気がする。明り取りの窓すべてに木の格子が嵌まっており、その用を為していないのだ。

 ……そう、この南丸全体が一つの牢獄なのである。台徳院様、並びに幕閣一同はそれ程恐れたのだ。この牢の中の人物――叔父上を。

 松平上総介忠輝という男を。

 かすかに聞こえてくる笛の調べに導かれ、廊下を進む。

 叔父上の話を聞き、興味を持ったのは幾つの頃だったか? 俺と兄上の間に変な遠慮が生まれた頃だった気もするし、吉原で酒を飲んで居続けやった晩のような気もする。

 曰く、その気さくな性格は身分問わず多くの者に愛され、果ては南蛮人、更には奥羽の竜にも愛されて娘を与えられたとか……。

 曰く、その豪快なる剣技は戦場の豪傑を思い起こさせ、武将としての器量は兄である台徳院様を遥かに越えるものであったとか……。

「やはり大権現様は敢えて叔父上を勘当したと考えるべきだな……武田家、上杉家の轍を踏まぬ為に……」

 武田家は長男義信殿が父である信玄公を討とうとし廃嫡に、上杉家は謙信公亡き後の後継を巡って御館ノ乱が勃発、両家ともこれを境に勢いを失っている。そして武田家は天目山にて滅亡する……。

 後継者争いを避ける為に敢えて叔父上を勘当し、叔父上もそれを判っているからこそ何も言わず、ただ笑っておられるのだろう。


「――みつだろう? 何、黄昏てるんだ? 来るならとっとと来い」


 物思いに耽っていたら叔父上の能天気な声に呼び戻された。チッ、尊敬し甲斐のない叔父上め。ってか何で気配だけで俺だと判るんですか?

「チハっす、叔父上。どこに居られるんです?」

「諏訪の湖が一望出来る突き当りの小部屋だ。酒は持って来ただろうな?」

「へいへい。俺の分まで飲まないで下さいよ? 叔父上はザルなんですから」

 俺は少し早足で廊下を進んだ。

 突き当りの障子をバサリと開ける。人が五人も入れば満杯になるような狭い一室、そこに叔父上は居た。眺望を考慮してか、無粋な格子が嵌まっているが大きめに作られた窓の横に立ち、左手に野風の笛を持っている。そして側には小姓のごとく黒い影が控えていた。

「叔父……って、何奴ッ!?」

 腰の刀に手をかける。この南丸に侵入者? 刺客か??

 叔父上がこちらに振り返り、ニコリと微笑む。

「遅いよ、あらら……いや、こっちでこれを言っても通じないか。――お前、会ったこと無かったっけ? 伊賀の甚七郎。伊勢朝熊に流されてる時に友達になった」

 伊賀? 忍びか??

 見たところ、まだ俺より年下だ。十を少し過ぎた辺り、武士なら元服前であろう少年は、俺の方へ顔を向けると軽く頭を下げた。敵意は無いらしい。

「しかし、この鉄壁の南丸に潜入するとは……」

「え? 結構、隙だらけッスよ、ここ。上総さまをここから出そうと思えば今すぐでもやれますよ。本人が抜け出す気無いからやんないッスけど」

 忍びの少年がキョトンとする。

 叔父上が苦笑いを浮かべ、俺の腰から酒の入ったふくべを奪い取った。

「関ヶ原から幾星霜、泰平の世に慣れて武士の質も落ちたか。……ククク」

 瓢に直接口を付けてグビリと飲む。「――ん? いい酒だな。江戸の町もこんないい酒作れるようになったか」

「いえ、下りものですから、それ」

 鴻ノ池の清酒である。

 三人で車座になって座ると、どこに持っていたのか忍びの少年が杯を三つ出してきた。それに酒を注いでそれぞれの前に置く。

「――あてが無いのが残念だが、まあ、しゃあなしだな」

「何なら自分がそこの湖で魚でも採ってきますが?」

 伊賀の少年が不穏なことを呟き、杯を取って口を付けた。「――諏訪の湖って何が捕れましたっけ、水戸の若殿?」

「あれ、俺、名乗ったっけ??」

「いえ。でも、ここは伊賀忍者だからってことで流して下さい」

 酒を飲みながら、怖え~な伊賀忍者、と言ってやる。叔父上の顔見知りだ。鯱張った口調はしないでいいだろう。

「意外と気が合いそうだな、お前ら。――それはともかく、甚七。奴はやっぱり『生きていた』か?」

「ええ。上総さまの推測通りッスね。でも、水戸の若殿の前で話しちゃって大丈夫なんですか?」

 ……何の話だ?

 話が掴めずキョトンとしていると、叔父上は「光なら構わんよ」と言って俺の杯に酒を注いでくれた。

「光。先年、九州は島原で起きた切支丹一揆、詳細は聞いているな?」

「ええ、何でも海の上を歩いたとか、天から呼び寄せた鳩に卵を産ませ、その卵の中から切支丹の経文が出してみせたとか……とても人間業とは思えない事をする少年が総大将だったと聞きましたよ。果心居士かよ、と話し半分に聞き流しましたが」

「そんなもん、ただの手妻だ。海の上を歩いたのは、海面のすぐ下に板を固定してたんだろう。満ち潮で波をかぶっている艀と言えば想像出来るか?」

 へッ!?

 伊賀の――面倒臭い、俺も甚七と呼ぼう――甚七がニヤニヤと笑って杯を口に運ぶ。

「へえ~、じゃあ鳩の卵から切支丹の経文が出てきたのはどういう絡繰りで?」

「一羽、前もって餌付けしとけばいい。で、指の隙間にでも豆を挟んで仲間に合図を送る。仲間は建物の裏手かどこか、人目の付かないところで鳩を放す。バサリと飛び上がった鳩は飼い主の掌に美味しい豆を見付けて舞い降り、それを喰らって再び天に飛び立つ」

「ッ?? 空に舞い上がった鳩が豆粒見付けるって……そんなに目ぇ、いいんですか? あの畜生??」

「畜生って……知らなかったのか、光? 鳩は十里先を見通し、素早く動いてるものも判別出来るって話だぞ。――で、鳩が去った後は袖口辺りにでも隠しといた卵を出してみせる。こんなところだろう」

「いやいや、経文は?」

「だから、真っ二つに割った卵の殻を飯粒か何かで貼り付けて元の形にすんだよ。中に経文仕込んだ上でな。それを恰も今、産ませたかのごとく出してみせたんだろう」

 ペテンじゃないッスか!!

 叔父上が苦笑いで俺を見る。

「光……この程度で目くじら立てる奴ほど、いざ目の前で見せられるとあっさり『スゲエ』とか言って信じちまうんだよ。で、手妻師の言う事を何でもかんでも受け入れちまう。気が付いた時は戦場のド真ん中ってことも有り得るぞ。島原の百姓のようにな」

 昔、手妻師と何かあったんですか、叔父上?

「――それはともかく、その手妻師がどうかしたんですか?」

「生きてんだよ」

「はッ?」

「一揆の総大将である天草四郎……奴が生きていやがるんだよ」

 ぶほッ!

 飲んでた酒を吹き出しそうになった。口を押さえて甚七に目を向けると、奴はニヤニヤしながらコクリと頷いた。

「オイラが集めてきた情報を上総さまが分析して、その可能性を指摘したんです。で、改めて調べてみると……小笠原家の軍監として参加した新免武蔵様が、どうも秘密裏に助け出したみたいですね」

 何だってそんな無茶な真似を……。見付かったら武蔵殿はおろか、武蔵殿を保護する細川家まで罪に問われるぞ……。

 叔父上が、だろうな、と呟いて酒を杯に注ぐ。

「だが、今更武蔵殿が武功を挙げたところでどうなる? さすが武蔵よ、と謳われはするかも知れんが徳川家の剣術指南役には絶対になれん。但馬が許さんよ。同じ徳川家剣術指南役だった一刀流の小野殿の末路はお前も聞いてはいるだろう?」

「あぁ……」

 上様も頭が上がらない人間が三人居る。

 一人目は、大奥の総取締をやってる春日の婆さん。

 二人目は、もはや人ではなく神仙か何かですよね? と上様を筆頭に誰もが思ってる東叡山寛永寺の天海僧正。

 そして三人目が、将軍家剣術指南役であり幕府大目付の役職を拝命している柳生但馬守の爺さんだ。――ああ、年齢を理由に最近辞めたんだっけ?

 この但馬の爺さん、剣術使いと言うよりは大権現様の愛弟子って評すべき政治家のようで、必要と思えば平然と悪を為すフシがある、と叔父上は言う。

「坂崎事件、子息である左門殿の死、先程話した小野殿の件、それから島原ノ乱が起きた時に上様にした予言めいた忠告……子息殿と小野殿の件は但馬殿が直接関わった証拠は無いが、何て言うか『大義、親を滅す』という言葉そのままの男って感じがするんだよ、但馬殿って」

 坂崎事件とやらは俺が生まれる前に起きた騒動で、詳しくは知らない。何でも豊家滅亡後、天樹院さま(千姫)の再嫁先を巡ってゴタゴタがあったらしい。

 左門の死はちょっと厄介だ。噂話だが俺が耳にしたのは……、

 

 一 上様と左門は衆道の契りを交わした仲。


 二 上様が京に上洛した際、左門は徒士頭として供奉している。


 三 その後、左門の為に上様が“刑部少輔”の位を用意した。


 四 左門が病になり、柳生の里に帰る。その数年後、病死する。


 この四つである。

 俺としては上様に「アンタが衆道に嵌まってなかなか子作りしなかったから、親父が変に気を使って兄上を水戸家長子として報告出来なかったんじゃねえかーッ!」と説教してやりたいんだが……言わないよ? 俺も一応、空気読めるし。

 話がずれた。問題は刑部少輔って官位だ。親父の但馬守と同じ従五位下なのである。大目付である但馬の睨みに戦々恐々としている外様大名にとっては失笑ものであろう。尻の穴一つで息子に並ばれてやんの、と。

 小野派一刀流の小野殿については、他家の者に勝負を求められて立ち合い、結果的に相手の両腕を砕いたらしい。が、将軍家剣術指南役として簡単に刀を抜くのはどうなんだ、という声が上がり謹慎処分となった。そしてそのまま戻れず、一刀流は指南役の地位から滑り落ちることとなる。

 これも疑問なんだよな……。経緯はどうあれ、勝負だった訳だろう? 勝負なら怪我どころか命を失うのは双方、覚悟の上だろうに。武士なんだから。それを外野がワイワイ言うのは筋が違うと俺は思う。結局、頑なに他流試合をやらない江戸柳生と比べてそう言ってるだけなんじゃないか?

 ……この一件、叔父上は但馬の爺さんの描いた絵図だと考えてるようだが、そうなると発端である小野殿に喧嘩を売った他家の男、コイツが爺さんの手の者って事になる。そこまでするかな?

 島原ノ乱での忠告ってのは、板倉内膳正が江戸から派遣された後、慌てて登城して上様に「惜しい者を失うことになる」と内膳正の戦死を予言したってやつだ。

 当然、上様は詳細を求める。但馬の爺さんは「この一揆はただの一揆ではなく、切支丹による大規模な宗門一揆です」と説き、鎮圧の為に九州の外様大名達を動員しなくてはならないが、内膳正では彼等に位負けする、と指摘した。

「まとめきれない大軍勢は、ただの烏合の衆。攻めは単調となり、日数だけ悪戯に過ぎる事となるでしょう。そして、改めて江戸から指揮官を派遣すれば内膳正の面子を潰す事となります。彼は無謀な突撃をして……死ぬこととなりましょうな」

 事態はまさに但馬の爺さんの言った通りに流れ、さすが柳生、と皆が感心した。しかし、叔父上は違う意見を持ったようだ。

「何故、但馬殿は上様も掴んでなかった一揆軍の情報を持ってる?」

「えッ?」

 叔父上は言う。おそらく但馬殿には、各地に潜入させた“草”達が送ってくる機密情報を分析して上様に報告する裏の任務がある。言わば忍びの総元締め的役割だ。但馬殿の報告が遅れれば、上様も知りようがない……。

「……叔父上、昔、但馬の爺さんと何かあったんですか?」

「俺、と言うより俺の附家老だったオッサンと岳父殿がちょっと、な」

 叔父上が男臭い笑みを浮かべて杯を干した。慣れた仕草ですかさず甚七が空になった杯に酒を注ぐ。

「そう言う訳で、俺以外に天草四郎が生きている事に気付くとしたら、おそらく但馬殿だろう。――そこんとこはどうだった、甚七?」

「まさしく。追っ手は江戸柳生の御長男と甲賀の女でしたよ。伊賀の結界内で睨み合ってたんで、藤堂家に知らせるぞ、と脅したら双方退きましたがね」

 甚七がそう言って、悪戯が成功した子供みたいにククッと笑った。

 江戸柳生の長男って……もしかして十兵衛殿か!? 嘘か誠か、剣術修行にかこつけて上様を蟇肌竹刀で思いっきり引っ叩いたとか噂されていて、なかなか面白そうな男なんだよ。一度会ってみたいと常々思ってたんだ。……って、あれ?

「ちょっと待ってくれ。十兵衛殿が天草四郎を追ってる?? それって例の隠密やってるって噂……あれは本当なのか??」

「さあ? 本当に隠密なのか、それとも今回だけ何か特別な理由があって動いてるのか……そこまでは俺も調べきれてないです。すいません」

 甚七がペコリと頭を下げる。いや、お前は俺の部下じゃないんだから頭下げられても困るんだけど……。

 叔父上はニヤリと笑い、

「俺はこの通り、この城から動く事が出来ない。だから光、俺の代わりに動いてくれないか? 怨霊が現れた事によってこの日ノ本に何が起きるか見定めてくれ」

「叔父上……??」

 酒をゴクリと飲み、叔父上は空になった杯を見詰めて小さな声で呟く。


 ――多分俺は、奴に謝らなければいけないんだろな……。




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