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第三章 4

遅れて申し訳ありません。



 柳生十兵衛サイド 寛永15年(1638年) 同日 伊賀山中




 鋼と鋼の噛み合う澄んだ音が響く。俺の放った袈裟懸けの一撃を、尾張の秘蔵っ子が咄嗟に逆手で抜いた脇差で防いだのだ。

「俺の一撃を止めるか……。まったく、柳生新陰流万歳だ」

 思わず笑みがこぼれる。弟の又十郎より上だぞ、コイツ。

 刀をダラリと右手に下げる無行に切り替えると、連也も脇差を正眼に持ち替えた。そのまま天草四郎の体を背中で押すようにして、後ろに一歩下がる。

「うう……手が痺れてる……。おじさん、今の、本気で殺す気だったでしょう?」

「当たり前だ。尾張の秘蔵っ子相手に気を抜いた一撃なんてしたら、江戸の親父殿と尾張の如雲斎殿、二人して俺を殺しに来るわ」

 ニヤリと笑ってやると、連也も唇の端をかすかに持ち上げ、悪戯が成功した子供のようにペロリと舌を出した。……その後ろで天草四郎が怪訝な顔をしてるが。

「柳生一族って、戦闘種族か何かか? ってか、活人剣の思想はどこ行った??」

 せん……何だって?

 一瞬、気を取られたところに連也の平突きが来る。力強く踏み込んだ上に脇差を持つ右手を思いっきり伸ばし、俺の喉笛目掛けて飛燕のごとき一撃だった。

「チッ!」

 大きく右に飛んで森の中に飛び込む。すぐ側の巨木の枝にあやめが潜んでいるが、それを気にしてる余裕はさすがに無かった。一寸の見切りで躱してたら間違いなく、続け様に放たれる斬り降ろしで左肩を負傷してる。

「……お前こそ、完全に殺るつもりじゃねえか」

「十兵衛おじさん相手に寸止めなんて、俺には無理ッ!」

 連也がゆっくりと森の中に踏み込んでくる。天草四郎の方は小首を傾げ、「今のって……牙突?」と呟いてた。この男の言うことはイマイチ判らん。




 三雲あやめサイド 寛永15年(1638年) 同日 伊賀山中




 太い枝の上で、私は気配を消して潜んでいた。下には怨敵である天草四郎一派が……。

 固く握った手がブルブルと震え、爪が掌に食い込む。

 十兵衛様は、私が奴等に手を下すことを禁じられた。……判ってる。感情に捉われた忍びなど最早忍びと呼べない。

 でも……。

 天草四郎の無防備な背中がすぐそこに……。

 私は……。




 天草四郎サイド 寛永15年(1638年) 同日 伊賀山中




      1



 柳生十兵衛対柳生連也――。

 新春に某局が放映していた長時間時代劇でも見られないであろう、夢の対決だ。思わず釘付けになっていた俺の背中に何かが倒れ込み、雪ちゃんの息を呑む声が聞こえた。

「……ん?」

 首だけ傾けて後ろを見ると、俺の背中に爺さんが自分の背中を擦りつけるようにしてズルズルと崩れ落ちた。

「おい? 爺さんッ!?」

 いつもの孫を見守る好々爺のような穏やかな笑みを浮かべ、爺さんは口の端から血を垂らした。左胸には忍者の使う、確か苦無とかいう武器が突き刺さってる。

「爺さんッ!? おいッ! 死ぬなッ!」

 両膝を突いて抱き締める俺の頭を、爺さんが震える手を伸ばして撫でた。

「し……ろう……さま……」

「喋るな爺さん! ――おい、雪ちゃん! どうしたらいい!?」

「良い……のです……しろう……さま……」

 ゴフッ、と血の塊を吐きながら爺さんが首を左右に振った。

「喋るなって爺さん!」

「……しろう……さま……本来ならば……遠く……はあ、はあ……時を隔てた世に……生きてた貴方様と会えたこと……はあ、はあ……主のお導きに感謝します……」

「爺さん……」

「そ……んな顔を……なさらないで……下され……私は……皆の居る“ぱらいそ”へ……行けるのです……悲しむ……ことでは……ない……」

 血に濡れた爺さんの手が俺の頬を撫でる。

「……四郎……さま……貴方の優しさに……私を含め島原の信徒、皆、救われました……その優しさを……忘れないで……下さい……」

「判った……判ったから爺さん、もう喋るな」

 爺さんの顔色が白く紙のようになってる。死相だ。島原で散々見たぞ、これ。……カサカサした唇が動き、正雪殿、と囁くように爺さんが言う。

「……ここに居ります」

 雪ちゃんが俺の隣に跪く。

「正雪殿……四郎様のこと……お頼み申す。この方が……己の手を汚さぬよう……はあ、はあ……怒りで人を殺めれば……その優しさ故に……己を責め……心を壊し……死のうとなされる筈」

「判りました。四郎様は必ずや私がお守りします」

 爺さんを安心させようと、雪ちゃんがコクリと頷く。

「ありが……とう……あぁ、皆が迎えに……おお、せんと、おーぎゅすたん……行長……さま」

 爺さんの右手が空中に伸ばされ、ばたりと落ちた。

 ギュっと爺さんの体を抱き締め、爆発しそうになる感情を必死に抑える。

 いつの間にかチャンバラをやめた連也と十兵衛様が俺の前に来ていた。

「原城であれだけ虐殺しといて……まだ殺したりないのかよ、幕府は?」

「……」

 十兵衛様が大きく息を吐き、パチリと刀を鞘に納めた。

 爺さんの体を地面に横たえる。懐かしい人に会えたかのように微笑みを浮かべた顔に手をやり、そっと目蓋を閉じさせた。

「四郎兄ちゃん、お爺ちゃん死んじゃったの?」

「ああ」

 連也も刀を納め、両手を合わす。「――切支丹の経文は知らないけど、手を合わすぐらいしてもいいよね」

「ですね」

 と、雪ちゃんも片手で拝む仕草をし、俺は爺さんの胸から苦無を抜いて両手を腹の辺で組ませた。そして十字を切る。

「……天にまします我等が父よ、今、貴方の忠実なる信徒、森宗意軒の魂を御許に送ります。願わくは、彼の者の罪を赦し給うて天の門を開き、その御手に抱かれんことを。アーメン」

 悪いな、爺さん。本当は『おらしょ』の一つも唱えてやりたいが、知らないんだ。適当なでっち上げで悪いが、これで勘弁してくれ。


「――やれやれ、伊賀の土地に甲賀者が入り込んだってだけでもイラつくのに、殺しまでするのかよ。しかも、殺されたのは隠れ切支丹と来たもんだ。これじゃあ、監視だけって訳にもいかないじゃないか」


 唐突に少年の声が響き、森の奥から連也より一つ二つ下らしき少年が姿を見せた。武士とも百姓ともつかない粗末な服装の為、いまいち正体が判らんが……何者だ?

 十兵衛様が少年を睨む。

「藤堂藩の忍びか、小僧?」

「伊賀の血筋ではありますが、忍びではなく飯炊きをさせられてます。まあ、見込みあるとかで何故か連歌を藤堂家の縁戚の方に仕込まれておりますが……。柳生十兵衛様」

 少年はニヤニヤ笑い、十兵衛様の射るような視線を軽く受け流した。

 十兵衛様は、フム、と呟き側の樹木の上を見上げた。

「降りてこい、あやめ。俺はお前に『殺しはするな』と言った筈だよな?」

「……ハッ」

 近くの樹木が震え、枝から黒い影が舞い降りた。十兵衛様の後ろに着地し片膝を付いて控える。顔は伏せているため判らないが、忍び装束にポニーテールとテンプレ的な女忍びの姿だった。

「そこの小僧が喝破した通り、あやめは甲賀でな。天草四郎、お前の始末を命じられて原城に潜入した兄と許嫁が帰って来なかった」

「……成程。復讐ですか?」

 唇を噛む。一揆の最終日、俺達の爆殺を狙って武蔵様に返り討ちされた忍び達の中に身内が居たのだろう。

 あやめと呼ばれた女が顔を上げる。綺麗な顔立ちだが、目の奥に冷たい刃のような光があった。無意識に息を飲んでしまう。

「復讐ではない。我等、甲賀は島原に於いて一揆の首領である天草四郎を暗殺せよ、との命を受けた。貴様が生きている以上、その任務は完遂していない」

「……成程。忍びとしての矜持ですか」

 ふぅ。

 いっそ、殺されてやろうか――表情に出てたのか、雪ちゃんが俺の袖を掴み首を左右に振る。ごめん。

 少年が俺達の方に近付き、興味深げに下から上に見上げるように俺の顔を観察する。

「へえ、島原で死んだ筈の天草四郎ねぇ~。で、『太平記』よろしく怨霊となって幕府を揺るがす陰謀を巡らしてるのかい? 十兵衛様の言葉じゃなきゃ『寝言は寝てからほざけ』って言うところだね。ま、それはともかく……この伊賀の地で甲賀者が手柄を挙げるのは業腹だ。ここは双方、黙って退いてくれませんかね?」

 お前は『暫』の主人公か? あれは確か町人文化の花開いた元禄に作られたシナリオだから、まだちょっと早いぞ。

 頭をガリガリと掻く。

「爺さんの遺体を埋めさせてもらえるなら当方に異存はない。しかし、十兵衛様にはお前さんの言葉を守る義理はないだろう? お前さん含めて全員始末すればいいだけの話だ。そこはどうする??」

「そうだねぇ……。退いてくれないなら藩のお役人呼びますぜってのは? 隠密の噂もある十兵衛様が動いてる以上、この件は極秘でしょう。双方、黙って消えてくれれば幾らオイラが『天草四郎を見た!』と叫んでも、子供の戯言で終わりますよ」

 と言って、少年が懐から黒っぽい棒のようなものを取り出した。長さや太さは……丁度、人の指ぐらいか。

「それは?」

「非常用の笛です。猪や鹿の大群が田畑を荒らしてるとか、不審な輩がうろついてる時に鳴らします。で、鳴らすと……いっぱい人が来ます」

 現代でいうところの非常用サイレンってやつか。不審者より野生動物が先に来るのは山中故か、時代故か不明だが。

 少年が笛を口に咥える。

「――呼びますか、十兵衛様?」

「いや」

 十兵衛様が肩を竦める。

 少年はニヤリと笑い、十兵衛様に向かって笛を投げた。パチリ、と音が響き、真っ二つになった笛が地面に落ちる。居合いで切ったらしい。全然、見えなかった。

「柳生様」

 雪ちゃんが十兵衛様に声をかける。

「髪を総髪にした若い男……貴様が張孔堂の由比正雪か?」

「ええ。我々の目的は沢庵様と列堂様にお話ししてあります。詳しいことはお二人に」

「承知した。――伊賀の小僧、ここはお前に免じて退いておく。名を教えろ」

 少年がコクリと頷き、甚七郎、と言った。

「松尾甚七郎と言います」

「憶えておこう。――天草四郎、由比正雪、そして連也。また会おう」




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