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第三章 3




 柳生十兵衛サイド 寛永15年(1638年) 九月某日 伊賀山中




「……沢庵様と左甚五郎殿が里に?」

「ええ、甲賀衆よりの報告です」

 あやめが神社のおみくじのような薄紙を俺に差し出し、肩に留まった鷹の頭を撫でる。

 薄紙によると、数日前から柳生の里に沢庵和尚と名人左甚五郎殿が滞在しているらしい。そしてそこに怨霊が現れたとか。

「義仙が喧嘩を吹っ掛けたが尾張の秘蔵っ子が止めに入り……か。こりゃあ、早く行かないと義仙が怨霊を斬っちまいそうだな」

「義仙さま……確か、江戸柳生の末弟ですよね? 沢庵さまは但馬さまが帰依なさっておられると聞きましたが、左甚五郎殿と柳生家って関係あるのですか?」

 ああ。

 俺は頭をガリガリ掻いて顔をしかめ、くのいちの肩にとまる鷹に目をやった。

「言いづらいことなら……」

「いや、言いづらいって程じゃ……う~ん、まあ、もう何年も前の事だし、いいかな。昔、親父殿が刺客を送ったことがあるんだよ」

「えッ!?」

 やっぱり驚くよな、普通。――あやめの動きを感じ、鷹が一瞬バサリと翼を広げる。

「日光東照宮の後、寛永寺にも同じ彫刻をって名人が頼まれて……で、偶然なんだが仕事の最中に見ちゃいけないものを見付けてしまったんだ」

「見ちゃいけないもの……ですか?」

「ああ、千代田のお城からの抜け道」

「え、ええーッ!」

 慌ててあやめの口を押える。だから話したくなかったんだよ。

 千代田のお城からの抜け道は一つじゃなく何本もあるらしい。噂はちらほら聞くのだが、はっきり言って俺は見た事ない。しかし、親父は大権現様から何か聞いてるようで、

「――お前に教えたら、その足で上様をからかいに行きそうだからな。絶対に教えん」

 と言われてしまった。どこのいじめっ子だ、俺は?

 幕閣は機密保持の為、名人の始末を親父殿に要請。不穏な空気を察した名人は逃げ出し、親父殿は迷った末に刺客を送る。このいざこざを知った老中の土井様が慌てて名人を保護し、事態の収拾に動いた。

 そして土井様から話を聞いた沢庵様が烈火のごとく親父殿を叱責、名人は秘密を守ることを条件に土井様の身内が治める讃岐でほとぼりを冷ますことになった。

 ……怒られて小さくなる親父殿を見て、笑いそうになったのは内緒だ。

「そんなことが……まったく知りませんでした」

「ああ。義仙も知らない筈だ。沢庵様がペラペラ喋るとも思えん」

「しかし、そうなると……今回の一件も似通った流れになりませんか? 事情を知った沢庵様が天草四郎を懐に入れられる可能性も……」

「どうだろうな? その方が面白いと思われればするかも知れぬし、『仏に逢うたら仏を斬り……』の言葉そのままに、さっさと死ね、と言われるかも知れん」

「え? それってどういう……??」

 あやめが小首を傾げる。まあ、訳判らんだろうなぁ。俺も、沢庵様ならそう言うかなってだけで根拠は無い。悟りの境地は程遠いな。

 ――と、何か感じ取ったのか鷹が翼をはためかせてあやめの肩から離れた。

「え?」

 あやめが慌てて周囲を見回し、俺も周りの気配を探る。

 鷹は俺達の上空を何度か周回し、東の空に飛んで行った。

「……見張られてるようだな」

「甲賀者の私が伊賀の結界内に入ったからかも。すいません、十兵衛様」

 伊賀と甲賀が仲の悪いのは、天正伊賀攻めで甲賀が織田方に味方したことまで遡る。と言っても、当時の甲賀はそれ以外の選択肢が取れなかったのだが、結果として伊賀は焦土と化し、生き残った伊賀者達は伝手を頼って各地に落ち延びた。有名なのは同郷の服部家が大権現様に仕えていた縁で『伊賀同心』になった事だろう。

 伊賀は甲賀を相当恨み――と思いきや、伊賀も甲賀も土豪達の連合である為、一括りに出来ないらしい。有名な『神君伊賀越え』では落ち延びた伊賀者と甲賀者の一部が大権現様を助けているのだ。

「……あ、あれは茶屋四郎次郎殿が大金を配って雇ったとも言われてますね」

「自慢げに言う事じゃないだろう」

 時は流れ、甲賀は豊臣時代に関白秀次公に仕えていたのだが公が切腹、甲賀者をまとめていた多羅尾何某なにがしが改易となってしまう。

 その後、近江が石田三成の治めるところだった縁で関ケ原、大坂ノ陣で甲賀は西軍となる。ここまで来ると甲賀はもう滅亡寸前だな、と思ってしまうのだが、何と伊賀越えで活躍した甲賀者が先に改易になった多羅尾何某で、大権現様があの時の恩返しと彼の者の子を召し抱えてるのだ。

 で、大権現様が江戸に幕府を開いてからは、笹寺事件と大久保事件の余波で伊賀が落ち目となり、逆に甲賀は浮き上がって……あやめが伊豆守様の密命を受けるに至る。

「正直、三代目半蔵殿が愚かだっただけ、と思うのですが……。『本来なら幕府御用は我々伊賀だった筈』と、甲賀を恨まなければ感情を整理出来ないようで……」

「何であれ、とっとと伊賀の結界を出た方が良さそうだな」

 再び山道に戻り歩き出す。伊賀の生き残りが藤堂藩に仕えてる筈。天草四郎が生きているなんて他家に知られるのはマズイ。

 ……マズイのだが、俺とあやめが同時に足を停めた。

 峠の向こうから複数の人の気配が近付いて来たのだ。

 俺達は互いに頷き合い、林の中に入り太い樹の枝の上に飛んだ。




 由比正雪サイド 寛永15年(1638年) 九月某日 伊賀山中




「で、兄ちゃん。こっからは江戸?」

 連也くんが四郎様の袖を引っ張りながら言う。彼としては、大好きな義仙様と沢庵様が中立を約束してくれたのが嬉しかったのだろう。目がキラキラしている。

「ああ、江戸に出て雪ちゃんの道場に食客として住まわせて貰いつつ、浪人達が自棄になって幕府に喧嘩を売らないよう、彼等の生きる道を考えないと……」

 あるのだろうか、そんな道……?

 紀州様の依頼で江戸に“草”として入り込み、幕府の施政を観察すること早数年。


 ――敵は潰す。敵となりかねない者も潰す。


 ――浪人となった者達など、生きていけぬなら勝手に死ね。 


 元和偃武の意味を調べ直せ、と言いたくなるほどの苛政だ。甚五郎殿は大権現様が寅年の生まれだと言っていたが、何たる皮肉。

「飢饉対策の何とか芋は送ってもらうんだっけ? もう見つかったの?」

「紀州の安藤様と尾張の竹腰様が見つかり次第、送ってくれるってよ。手紙に書いてあった」

 連也くんと四郎様の会話が続く。どうでもいいが君達、仲良すぎじゃない?

 因みに手紙を運んでくれてるのは例の尾張の忍び――四郎様が『雲霧仁左衛門』と名付けた人――で、芋も見つかり次第、彼が持ってきてくれるらしい。

 彼の話だと、飢饉の予兆は段々とはっきり見えるようになってきたようで、飢饉対策を掲げる御隠居や三井さんの協力要請を無視して銭儲けを狙い買占めに走る商人がポツポツ出てきたようだ。

「……蔵の中の銭を半分ほど奪って、四郎様の言う『米の先物取引』を始める軍資金にさせて貰ってます。お陰で大坂の町では『雲か霧のごとく現れて千両箱を盗む盗賊』の噂で持ちきりですよ」

 過日、夜半に天井裏から降りてきた際、そう苦笑いしてた。で、その噂を聞いた尾張様と紀州様が大笑いし、『盗賊雲霧仁左衛門』の活動範囲を尾張紀州まで広げろ、と言っておられるとか。黙って聞いていた宗意軒殿は額に手を当てて溜息を吐き、

「……我々切支丹は何で幕府に負けたんでしょうなぁ」

 と、しみじみ呟いたのが印象的だった。


「……殿? 正雪殿??」


 横に並んで歩いてる宗意軒殿が小首を傾げて私を見ている。いけない、いけない。回想に浸っていたようだ。

「どうしました、宗意軒殿?」

「四郎様の語るところによれば、江戸の町は浪人が増えているとか。なのに幕府は救済策を採らず放置していると?」

「ええ、その通りです。今日の飯代にも困窮してる状況ですね。私は、紀州公の援助がありますので何とか生きていけますが……。いつ、商家への焼き討ち、いえ島原のようなことが起きてもおかしくないと思います。町で風紀を乱す乱暴者も徐々に増えてますし」

 そして、その旗頭に私が祭り上げられると四郎様は言う。

 宗意軒殿が顎髭をしごく。

騒擾そうじょうちまたと化してる訳ですな。そんなところに四郎様と自分が赴いたりしたら……乱への流れがより早まりませぬかのぉ? 四郎様は優しすぎる。自分のせいで誰かが死んだとなれば、再び死への誘惑に駆られるかも知れませぬ」

 確かに……。

 四郎様に目を向けると、まだ連也くんとじゃれ合っていた。

「なぁ四郎兄ちゃん、お袋に勝つ為にいい訓練方法ないかな?」

「お前の目標はとことんお袋さんなんだな……。う~ん、パワーリストでも付けるか? でも、あれって俺の居た時代にはもう流行ってなかったし……」

「馬鹿なリス?」

「ちげえよ。手首に重しを付けて木刀の素振りをするんだよ。最初は勢いに引っ張られて木刀の軌道が乱れるが、段々と……」

 手首に重しを付けて木刀を振るぐらいなら、最初から重い木刀を使えばいいと思う。武蔵先生なんて船の櫂を削って木刀代わりに使ってたし。……まあ、そんな真似、先生しかやれないだろうけど。

 と、連也くんが足を止めて四郎様の袖を掴む。

「連也?」

「……」

 私にも判った。道の向こうに編み笠を深く被った武士らしき旅人が姿を見せたのだ。一見、ただの浪人のようだが……まるで隙のない足の配り、薄紙一枚向こうに抜き身の刀身を置かれたようなこの気配、相当の武芸者だ。

 四郎様を守るように私と宗意軒殿が側に近寄る。伊賀の地にてこれ程の剣気を発する武芸者……一瞬、荒木又右衛門殿の名が浮かんだが、かの方は先月、鳥取で急死した筈。

 武芸者が、間合いの一歩外で立ち止まる。

「……ん? お前、もしかして尾張の秘蔵っ子か??」

「ほえ?」

 連也くんが小首を傾げ、四郎様が「まさか……まさかまさかまさか」と呟いた。

 武芸者が編み笠を取る。刀の鍔で片目を覆った、野性的で彫りの深い顔が現れた。ニヤリと人懐っこい笑みをみせる。

「よぉ、久し振りだな、連也」

「……十兵衛おじさんッ!?」

 連也くんは喜色を浮かべ、四郎様は呆然とした表情で「……山田風〇郎先生は神か?」と小声で呟いた。

 風太……誰??




 天草四郎サイド 寛永15年(1638年) 九月某日 伊賀山中




 脱力してOrz状態の俺を、雪ちゃんが怪訝な顔で見詰める。

 柳生十兵衛――隠密説まである江戸初期の天才剣士。史実では本当に隻眼だったか不明だが、俺の目の前に立つこの男は刀の鍔を眼帯代わりにしたニヒルな風貌で、もう……マジかっけぇです。

 日に焼けた肌に顎にはまばらに残った無精ヒゲ、残った眼は生気に溢れた光を放っており、軽く持ち上がった唇の端は不敵に微笑んでる。何て言うか、昔、テレビの再放送で観た『探偵物語』の主人公みたいなオーラだ。

 ……ちきしょう、クレヨンしんちゃんの親父っぽい声なくせに。

 いや、数々の時代小説や映画で主役を張った方に会えるなんて光栄だと思う。時代小説マニアとしては伏して拝みたいぐらいだ。でも、天草四郎(俺)と柳生十兵衛が対峙って……完全に『魔〇転生』じゃねえか。風〇郎先生、神だよアンタ。

「――連也のお連れ殿、名をお聞かせ願いたい」

 錆びを含んだ低い声。言い方は丁寧だが、完全に命令形ですよね?

 俺は溜息を吐き、怨霊ですよ、と言った。

「何?」

「この世に未練を残し、うろうろと彷徨い歩いてる島原の怨霊……。名は、貴方様もとっくに御存知なのでは?」

「……」

 十兵衛様が刀の柄に手をかける。「――切支丹一揆の首魁……天草四郎時貞、か」

 瞬間、雷光のごとき白刃の煌めきが目の前を走った。

 あ……死んだ?






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