第二章 7
由比正雪サイド 寛永15年(1638年)8月某日 奈良 柳生ノ庄
大坂から南都(奈良)に入ると二人の人物が死んだという噂が流れていた。一人は鍵屋の辻の仇討ちで名高い剣豪荒木又右衛門殿、もう一人は鞍馬でお会いした烏丸様で、何でも病死なさったらしい。
四郎様が小首を傾げる。
「荒木又右衛門様はともかく、あの爺さんがねぇ……なんか意外だな、百越えても生きてそうな気がしたけど……」
「う~ん……義仙の兄ちゃんなら何か掴んでると思うぜ。行ってみる?」
連也くんがそう言うので、行ってみよう、ということになり柳生の里に赴くことになった。義仙殿は江戸柳生の末弟で、現在は出家して柳生の里でお坊さんをやってるという。
「柳生の一族は里を守る為に血まみれの戦いを続けてきたから、一族の誰かが出家して敵味方問わず死んでいった者達の菩提を弔わなければならないって但馬様がおっしゃって、義仙兄ちゃんが出家する事になったんだよ」
「義仙……法名?」
「うん。京都大徳寺で出家した時に貰った法名が義仙。幼名は六丸。里に持仏堂があるんだけど、いずれそこをお寺に建て直して住持やるとか言ってた。でもなあ……」
連也くんがそこで言いよどみ、苦笑いを浮かべる。
「でも?」
「義仙兄ちゃんって、自由奔放、豪放磊落、ひねくれ者の三拍子揃った人でね。長兄の十兵衛おじさんとそっくりの性格してるんだよ。で、最初、仏道修行もまじめにはしてなかったんだけど、沢庵さんが『こいつをいっぱしの禅僧に導けるのは、天衣無縫だった一休和尚の教えが染み込んだ大徳寺だけだろう』って、無理矢理放り込んだんだ」
江戸柳生の兄弟って……。
「うちのお袋なんか、但馬様の後を十兵衛おじさんか義仙兄ちゃんが継いだら柳生一族は幕府に追われることになるんじゃないかって親父と一緒に笑ってた」
「…さすがは島左近殿の御息女と言うべきか、但馬様、御子息の教育間違ってませんか、と言うべきか迷うとこね」
「……雪姉ちゃん、意外と言うね」
――
柳生の里に入ると、連也くんは人気者なのか里の人達から次々と声をかけられた。
それに笑顔で応えながら義仙さんが里に居るか尋ねると、畑作業していた老人が持仏堂に居ると教えてくれた。
「客人が来ておられるようですぞ、若」
「客人? じゃあ、俺達が行っちゃ邪魔になるかな?」
「若なら問題ないでしょう。沢庵様と沢庵様のお知り合いらしい宮大工の棟梁ですから」
「沢庵さま!? へえ、珍しいな」
連也くんが喜色を浮かべる。「――でも、大工の棟梁? 誰だろう??」
「さあ? 江戸で有名な方だと言っておられましたよ。猫がどうとかこうとか……」
四郎様と顔を見合わせる。江戸で有名な大工で、猫?
行ってみれば判るだろう、と年長者である宗意軒さんの言葉に従い、里の外れにある持仏堂に連也くんの案内で向かう。
「江戸で有名な宮大工の棟梁……そして猫……まさか……」
こめかみに人差し指を当てた四郎様がブツブツ言ってる。もしかして心当たりがあるのだろうか? 数百年後の世では学問所に通う元服前の子弟身分だったと言ってたが、本当、何でも知っているな、この人。
――何でもは知らないよ、知っていることだけ。
大坂の宿屋で先物という仕組みを覚えさせられた夜、感心半分呆れ半分で「何でも知ってるんですね~」と呟いた私に四郎様はこう言って笑ってみせた。
「いやぁ、この台詞、言ってみたかった」
「四郎様……正雪殿が虫を見るような目で見てますぞ?」
いやいや、私、そんな目してませんよ、宗意軒さん。
でも、と四郎様が言う。
「……雪ちゃんこそあっさり覚えたよね? 商人の素養が無ければキツイと思うんだけど。最悪、説明台詞を丸暗記して貰おうかと考えてたもん、俺」
「あっさりじゃありませんよ……」
知恵熱で頭の中どころか全身がボーとしてる感じがするし。
私は襟元をパタパタやって風を送り込みつつ、溜息を吐いた。……はぁ、水浴びしたい。
「……」
無言で瞬きも忘れたかのように固まる四郎様。視線は……あっ。
「すいません。はしたなかったですね」
一応、さらしを巻いているが……そそくさと襟元を直す。
「い、いえ……こちらこそすみません」
「……」
互いに顔を赤くして俯く二人に、宗意軒さんが微笑ましいものを見るかのようにクスリと笑った。
「……見たかったのですか、四郎様?」
「違うからッ! つい目が行っちゃっただけだからねッ!! さらしを巻いてると判ってても、男だったら無意識に行っちゃうだろうッ!? ……だから、その『しょうがない奴め』って顔やめろ、爺さん!!」
「何でも知っている四郎様も、女は知らなかったと……」
「ぐはッ!」
あ、痛恨の一撃。
四郎様が畳にうずくまってシクシクと泣く。いいんだ、いいんだ、俺なんて……と、ちょっとうざったい。
私は苦笑いを浮かべながら、大丈夫ですよ、と言った。
「四郎様のお歳なら女の柔肌に興味があって当然ですし」
「ぐはッッ!? エロ漫画によくある年上女性から童貞男子にかける御言葉ッ!!」
あ、潰れてしまった。
「おやおや、とどめの一撃だったようですな」
宗意軒さんが楽しそうに、フォッ、フォッ、と笑った。
――
大坂の夜のことを思い出しながら歩いていると、里の外れの奥まったところ……樹々に囲まれた一角に出た。整地された何本もの杭が並んでおり、側に水車小屋の方がまだ上等に見えるボロボロの庵があった。杭は多分……墓標かな?
庵の側に墨染め衣をまとった老僧と若い僧、それから職人らしき風体の老人が立って話し込んでた。
「義仙兄ちゃん~、沢庵さん~」
連也くんが笑顔を浮かべて彼等に駆け寄る。成程、若い方が江戸柳生の末弟、義仙殿に老僧の方があの但馬守様も頭が上がらないと言われる名僧沢庵様か。
「連也じゃないか!? 何だ、家出でもしてきたのか?」
「おお、久し振りじゃな、尾張の生意気小僧。多少は女嫌いは治ったか?」
抱き着いてきた連也くんの頭を沢庵様がワシャワシャと撫でる。
それを優しい表情で見詰めていた義仙殿が打って変わって鋭い眼をこちらに向けてきた。ちなみに職人風の老人は、この展開を面白そうにニヤニヤしている。
「……連也をここまで連れて来てくれたようで感謝する。名前を教えて頂けますかな?」
「私、江戸で……」
名乗ろうとしたら四郎様がスッと右手を伸ばして私を制した。ん?
「正雪殿、沢庵様と言えば将軍家も師礼を取ると言われる傑僧。我等の言葉を信じて貰うには下手に隠すよりすべて明らかに話すべきかと。――沢庵様、義仙様。そしておそらく名人、左甚五郎様。お初に御意を得ます。我が名は天草四郎。島原切支丹一揆に於いて総大将だった者です」
え? 言っちゃうの??




