第二章 6
由比正雪サイド 同日 夕方 大坂港
商人達が協力してくれることを確約してくれた。徹夜で『先物』とかいう仕組みを覚えさせられたのは大変だったが、これで私が謀反の親玉として死ぬ未来から三歩ぐらい遠ざかったと思う。良かった、本当に良かった。
店を出た後、武蔵先生がそろそろ熊本に帰ると言うので港まで見送りに来た。ちなみに仁左衛門さんは、企画立案、武蔵先生と鴻池の御隠居の悪だくみ(?)をやる為の許可を貰いに一旦、尾張に帰った。
夕焼けに染まる空の下、潮の匂いがする風を浴びながら武蔵先生が四郎様の頭をグリグリと撫で回す。
「そんなに寂しそうな顔をするな、小僧」
「武蔵様……」
何だろう、この桜井の別れみたいな場面? これから湊川ですか??
「武蔵様は何故、俺を助けてくれたのですか?」
「フッ……俺はな、一対一の戦いは勿論、関ケ原を始め幾つもの戦場を彷徨い歩いてきた。始めは出世してやろうって気もあった。だがな、或る日、水面に映る自分の顔を見た時、俺は一体何をやっているのだろう、と思った」
「自分の顔を、ですか……」
「まだお主の歳では判らぬよ。獲物を狙い爛々と光る眼、さっきまで戦場に居たかのような薄汚れた着物、そして顔に深く刻まれた皺とボサボサの髪に混じる白髪……。自分はもう若くないと自覚した時、男はどうしたらいいと思う?」
「……」
「自分で自分を嘲ってやるのさ。『バカか、俺は……』ってな。それで最低限の……そう、最低限の矜持だけは守れる。大坂城が燃え、世の中が徐々に定まっていくのを見て、伊織には俺と同じ――戦場をさすらう獣――にならぬよう読み書きを仕込んだ。でも、やはりどこか……虚しかった。俺が戦場で得た心得を誰かに伝えたい。俺が生きた証をこの世に刻みたい、そう考える自分が居た」
武蔵先生が浮かべる笑み。……まさに『自分で自分を嘲う』笑みに鳥肌が立つ。
多分、私を含めて先生の名を知る大半の人が『並ぶ者なしの超人』、『不敗の剣鬼』という言葉そのままの人だと思ってた筈。私なんかより遥か高い境地に至った人だと……。
でも、その境地に至るまでには幾つもの地獄を、そして絶望を味わってきたんだ。
――そんな事、考えもしなかった……。
天草四郎サイド 同日 夕方 大坂港
俺は平成の世でよく読んでいたジャック・ヒギンズの小説を思い出していた。あれに出て来る男達は、戦いに倦み疲れてるのだが、それでも戦いのなかでしか生きられないことを自覚しており、皮肉混じりの――まさに自分で自分を嘲うような――言葉を吐き、死の戦場へ帰っていく……。
武蔵様は俺の頭に置いた手で髪をガシガシと掻き混ぜ、
――お前は、俺が数百年後の世では武を志す者達から憧れと尊敬の存在だと言ってくれた。数百年後の世から来た、という点を信じるかどうかは一先ず置いといて……嬉しかったよ。俺の生きた軌跡は無意味じゃなかったんだな。
熊本に帰り、細川候の庇護を受けながら見込みのありそうな若者に自分の剣技を仕込んでみると言う。
「……なら武蔵様。数百年後の武を志す若者にも貴方様の言葉が届くよう、伝書を書いて下さい。それも訳の分からぬことの書かれたそこいらによく転がってる伝書ではなく、戦場を生き残った者だからこそ教えられるものをお願いします。心構えや考え方、体の動かし方とか……」
「ふむ、伝書か……。小僧の知ってる“俺”は書いたのか?」
「ええ。ブルース・リー……んん、異国の若武者まで訳されたものを入手して、丸暗記するほど読んでましたね」
ブルース・リーが五輪書を愛読してたのは史実だ。史実なんだが……この二人の名を並べると、史実よりあの伝説的カルト漫画を思い出してしまうのは何故だろうか。
武蔵様は肩を竦め、死ぬまでには書いといてやるよ、と笑った。さっきの自嘲的な笑みではなく、渋くてカッコいい笑みだった。
「そうだ、一つ教えろ。お前の本当の名は何だ、怨霊?」
……俺の名?
……天草四郎ではなく??
もう使わなくなって結構な時が経ってしまってるが、平成の世での俺の名……。
武蔵様に少しかがんでもらい、耳元でぼそりと呟く。
「俺の名は……、――と言います」
「ほお、いい名じゃないか、覚えておこう。だからお前も一つ覚えろ」
「?」
「俺が自戒としている言葉だ。――我、神仏を尊び、我、神仏に頼まず」
そ、その言葉はッ!?
武蔵様が笑ったまま俺の頭をワシャワシャと撫で回す。
「お前は神仏に導かれて『この世』に来た。神仏相手に『何故?』と問うのは無駄だ。ならば――生きたいように生き、やりたいようにやれ。この新免武蔵が許してやる」
「あ、ありがたく……」
やべッ。涙が出てきた。
由比正雪サイド 同日夕方 大坂港
四郎様がはらはらと涙をこぼしている。
武蔵先生が名を尋ねられ、四郎様は耳元でそれを呟いた。残念ながら私には聞こえなかったが、武蔵先生が笑って「生きたいように生きろ」と口にした瞬間、四郎様が眼を潤ませたのだ。
宗意軒様は何も言わず、ほほ笑みながら何度も頷いており、尾張柳生の御曹司は状況に付いていけず小首を傾げている。
何故、四郎様が涙をこぼしたのか。私は想像するしか無いが……私はゆっくり近付いて懐紙を差し出した。
「……有難うございます」
懐紙を受け取った四郎様が自分の目元に当てる。
武蔵先生はそれを見届け、
「正雪、此奴を任せたぞ?」
「はい」
「では行け。俺は乗船の手続きに細川藩の蔵屋敷に向かう。――縁あればまた会おう」




