第二章 2
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「……それで十兵衛さま。行き先は京で宜しいのですか?」
あやめの言葉に俺は深編み笠の下でコクリと頷いた。
「他に手掛かりが無いからな。そっから奴の足取りを追う。甲賀衆も動いているのだろう?」
「はい。情報が入り次第、知らせてくれることになってます」
ふむ。……ってか、怨霊の連れになってる張孔堂は江戸に道場を持ってるんだから、ほっといても江戸に帰って来るだろう。そこを待ち構える方が確実じゃないか?
「あやめ、怨霊と行動を共にしている由比って何者だ? どういう背景を持っている?」
「駿河の染物屋の息子という噂です。あの地は富士からの湧き水で染め物が盛んですから。ただ、染物屋の息子が軍学を志すというのも奇妙な話です。どこぞの浪人の子じゃないか、と噂する者も……」
「染物屋か……」
そう言えば、武蔵殿が叩き潰した吉岡一門の生き残りが大坂ノ陣後、剣術を廃業して染物屋になったと小耳に挟んだ事があるな。
……まあ、関係ないだろうが。
あやめは小首を傾げ、
「判っているのは、江戸に出て来てあれよあれよという間に道場を構えるに至った、という事だけです」
「確か、楠流だったな?」
親父殿と伊豆様は、この男に引っ掛かりを覚えて密偵を潜り込ませてるようだが、まだ何も掴めてないらしい。
「はい、楠不伝の弟子だったとか。才を見込まれ娘と夫婦にして道場を継がせた、という話です。……ただ」
「ただ? ただ、どうした??」
「いえ、正雪が道場を継いで以降、その娘が姿を見せたことが無いと話もあります。口さがない者は、娘を誑かして道場を乗っ取り、もう用済みだから殺したんじゃないかと噂してますね」
娘が消えた?
ふむ……。さっぱり判らんな。
「江戸は久方ぶりだからな。張孔堂って、その楠不伝の道場の頃からあんなに大きかったのか? 前に江戸に居た時は、まったく聞いたことが無かったんだが」
「道場が流行り出したのは正雪が当主になってからです。それまでは古老が千早城や湊川を語って聞かせる程度でしたから、十兵衛さまが知らなくて当然です」
「太平記読み、か……」
「ええ。正雪が教えるようになってから武経七書や易なども講義に組み込まれ、通う者が増えました。それから……」
何故かあやめが俯き、頬をかすかに紅くした。
「それから、どうした?」
「その……教える姿が、か、可愛いという男達も……」
「衆道……陰間好きが増えたのか。チッ、どいつもこいつも……」
そっち系の話は、我が柳生家では禁忌なんだよ。――ってか、あやめ、何でそんなに嬉しそうな顔してんだ?
あやめは咳払いをし、
「ご、ごほごほ……。で、でも、伝え聞く楠正成の戦い方って武士と言うより私達忍びのそれに近い気がしますね。遁甲の法というか……」
「忍び……一理あるかもな。一説に、楠正成殿は後醍醐帝に召される前は河内の散所の民の世話役的存在であったと聞いたことがある」
俺の言葉に自信を得たのか、あやめが「そうなんです、そうなんです!」と食い付き気味で話を続ける。
「忍び、というよりもっと広い解釈で『山の民』って考えればいいと思うんです。で、話を駿河に戻しますが、戦国期にあそこを治めていた今川家の家臣団に『由比某』という名があるらしいです。桶狭間以降、衰退の激しい今川家で男達の大半を戦で失い歴史の闇に消えるのですが、消えたのではなく山中に落ちのびたとすれば……」
「その裔が奴だと?」
あくまで想像です、とあやめが微笑む。
「ふうむ……随分、念入りに調査したのだな」
「甲賀衆は今川と悪縁がありますから」
あやめが肩を竦める。
今川……。大権現様にとっては旧主筋だな。
「そういえば、あやめ。今川の大軍師……た、た……た、何とか」
「太原雪斎ですか?」
「そう、その爺さん。由比の号は『正雪』だったか。どちらも軍略家でどちらも『雪』の字が入ってる。偶然か、これ?」
「あッ!?」
……何か起きてる。それもとんでもなく奇妙な事が……。
途中、柳生の里に寄って義仙に会っていくか。
アイツ、坊主の癖に悪知恵働くし。
思わず唇の端に浮かんだ苦笑を誤魔化す為、俺は深編笠を被り直した。




