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久遠の螺旋 ~転生者天草四郎、怨霊となりて江戸の歴史を闇から操ります!~  作者: 冴月小次郎
第二章 ――乙女と剣の家の者と――
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第二章 1



         第二章 ――乙女と剣の家の者と――




 柳生十兵衛サイド 寛永15年(1638年)7月某日 江戸 中根正盛屋敷



          1


 わずか数日前に江戸に来たばかりだというのに、どんな悪いことをしたら再び旅装束で東海道を登る事になるのだろう。溜息を吐いて深編み笠に手をやり、中天を過ぎたばかりの太陽を見上げる。今日中に江戸の朱引きから出られるか?

「十兵衛さま、ちょっと走りづらいのですが……。忍び装束では駄目でしょうか?」

「昼間の街中で“くの一”が全力疾走って……勘弁してくれ」

 後ろを歩く旅装束姿の少女のどうやら本気っぽい言葉に俺は再度、溜息を吐いた。

 どうして、こうなった……。


 ――


 昨日、伊豆様に呼び出されて中根殿の屋敷に向かった。

 病で大目付の任に耐えられなくなった親父殿に代わり、中根殿が大目付に就任するらしい。あの人は甲賀衆と付き合いがあるから親父殿より上手くやるだろう。

「こちらで伊豆様、阿部様と御歓談中でございます。柳生様が来られたら、こちらに案内せよ、と申し付かっております」

「忝い」

「いえ。――殿、柳生様がおいでです」

 使用人が室内に一声掛けてから襖を開けた。

 中庭に面した障子を開けた室内で、四つん這いになった阿部様が寝かせた屏風に筆を走らせており、真向かいに立った伊豆様と中根殿がそれを微笑みながら見詰めている。何だ、この光景?

「おお、来たな、十兵衛。そんなところに突っ立ってないで入れ」

「はあ……」

 中に一歩入ると、使用人が襖を閉めてスタスタと立ち去った。

「何、小首を傾げているんだ、十兵衛? ……阿部殿は書の名人として有名なんだ。知らなかったのか??」

「知りませんよ。で、何て書いてあるんです?」

 近付き、屏風を覗き込むが達筆過ぎて読めない。

「うむ……お前の父ちゃん、でぇべぇそ、と……」

「ブッ!?」

 伊豆様の返しに阿部様が吹き出し、持っていた筆をベチャリと落としてしまった。落ちたところから黒い染みが波紋のように広がる。

「あ……」

「あ~あ、ですね」

 阿部様と中根殿が苦笑し、伊豆様は肩を震わせて大笑いしていた。何か酷くないか、この人?

「柳生殿、ここに書いて貰っていたのは……」

「あ、中根殿。拙者は廃嫡された身。十兵衛、と呼び捨てにして頂いて結構ですよ」

「いやいや、江戸で並ぶ者なしと謳われる天才剣士を呼び捨てには出来ませんよ。では十兵衛殿で。――『故用間有五、有郷間、有内間、有反間、有死間、有生間……』孫子の一節ですよ。まぁ、これでは紙を貼り直して、もう一度、阿部様に書いて頂く事になりそうですが……」

 間者について書かれた章か。

 伊豆様の方に顔を向けると、自分で自分を嘲うような疲れた笑みを浮かべ、コクリと頷いた。つまり、今日はそういう話をするぞ、って事か。

 黒い染みの広がった屏風を中心に、男四人が車座になって座る。

「……会津の騒ぎが思ったより長引きそうだ。あのバカ、高野山に逃げ込んだ堀の男達を引きずり出して欲しい、と五月蝿くてしょうがない。上様も、やむを得まい、と仰せだ。城のある方向に向けて鉄砲を撃ったってのは痛快なんだが、やっぱり、やり過ぎだ。庇う事は出来ない」

 溜息を吐く伊豆様、中根殿も肩を竦め苦笑いする。

「あのバカ殿相手に殴りたいのをずっと我慢してた訳ですから、気持ちは判らんでもないんですがね。――ただ、我々以外にも情報収集に動いてる者達が居る、と甲賀衆が……」

 会津加藤家の家老である堀主水は、元の姓を『多賀井』と言うらしい。大坂ノ陣で敵兵と揉み合ったまま堀に落ちたが、何と水中で相手を斬り伏せ、その首級を掲げて堂々と堀を上がって来たというから凄まじい武勇の持ち主である。

 感激した加藤家の初代は彼に『堀』の姓を名乗らせて軍配を預けた。つまり、今後の加藤家の戦の総指揮官はお前だ、と示した訳だ。

 しかし、二代目とはウマが合わなかった。どんどん溝が広がり……大騒動になった。やっぱり親父が偉大だと、どこも二代目は駄目なんだね。俺みたいに。

 阿部殿が顎に手を当てて口を開く。

「情報収集している奴等……もしかして奥羽の手の者ですか?」

「いや、奥羽の首根っこは押さえてある。それに独眼竜が死んだばかりだ。無茶な真似はせんだろう」

 ニヤニヤしてるけど伊豆様、何したんだよ? 何だか怖いぞ。

「ん? 俺じゃねえよ。仕掛けたのは厩橋の酒井殿だ。あの若造はなかなかの切れ者だよ。ちょっと切れ過ぎなとこが玉に瑕だがな」

「千代田のお城は悪の巣窟ですか……まったく、どいつもこいつも……」

「いやいや、その筆頭は十兵衛殿のお父上ですぞ」

 と阿部殿。そうでした。

 しかし、そうなると情報収集に動いているのは……。

「今、話題の怨霊さまの手配だろうな」

「つまり、怨霊に協力する奴が現れた?」

 阿部殿の問い掛けに中根殿が、そう言えば、と言葉を足す。

「……京の所司代様から文が来てました。京に配置していた草達が鞍馬で火付けを行ったとかで、修験者達の怒りを買ったそうです。『たまたま』鞍馬に居た武蔵が全員斬り捨てたが、非は彼等にある為、武蔵を捕縛するのは難しい……と」

 ん? 武蔵殿は怨霊を伴い、鞍馬で公家と会っていたのでは??

「報告に続きがあったんだよ。怨霊と密会してる者達を引っ張り出す為、狐狩りよろしく小火騒ぎを起こして煙りで燻り出すつもりだと……。最悪の手だと思ったが、報告が江戸に届いた段階ですでに実行しているのは確実だからな。体調を崩してる但馬殿には話せなかった。お前も言うなよ、十兵衛?」

 やれやれ、どいつもこいつも……。

 阿部殿が屏風の黒い染みを指でポンポンと叩く。

「火事と喧嘩は江戸の華――その感覚で考えたんでしょうね。見物人とそれを見込んだ屋台が出かねない程のお祭り騒ぎになるから、建物の中に居る連中も出て来るだろう、と」

「阿部殿、江戸の町の弱点は火だ。空気の乾いた冬場に付け火なんぞされたもんには千代田の城まで燃えかねん。幕閣の一人が火事場見物なんてしないでくれよ」

 苦笑いしながら筆を取った伊豆様が黒い染み近くに×印をつける。

 中根殿が肩を竦め、口を開いた。

「武蔵は京を出て一人、西に向かったそうです。おそらく熊本に帰ったのでしょう」

「う~ん……後手に回ってるな感があるな。やっぱり十兵衛、お前に動いて貰わないと駄目なようだ」

 その生暖かい目で見るの、やめてくれませんかねぇ、伊豆様。

「行きますよ。行きますが……面倒なんで怨霊を見付けたら即斬っちゃっていいですか?」

「お前は血に飢えた殺人鬼か、コラ? 一応、関わってる人間とか奴の目的とか調べてくれると助かるんだがなぁ」

 ああ、そう言えば親父殿も斬る前に『探れ』とか言ってたな。

「調査にはこの者をお使いくだされ」

 ポンポン、と中根殿が両手を叩いた。縁側に小姓でも居たのか、まるで絡繰り仕掛けのごとく障子がスラリと開く。

「……?」

 綺麗に掃き清められた中庭に長い黒髪の少女が一人、膝をついて控えていた。

「名は三雲あやめ。甲賀五十三家の一つ、三雲家の生き残りです」

 ……生き残り?

 伊豆様がコクリと頷く。

「彼女の兄、つまり三雲の家を継ぐ筈だった男は、俺が天草四郎暗殺に送り込んだ五人の頭領だった。そして彼女の許婚は兄の片腕だった」

 それはまた……よくある話だな。

 庭の彼女に目を向けると、意志の強いまっすぐな瞳でこちらを見返してきた。

「忍びは何処で死のうと恨みには思いませぬ。ただ、伊豆守様より承った『天草四郎暗殺』の任務を達成出来ぬは甲賀全体の恥、甲賀の名が地に墜ちまする。どうか、私めに兄達がやり残した任務の続きを御命じ下され……」

「殺る気満々だな」

 伊豆様、ニヤニヤ笑ってるけど字が違うぞ。

 中根殿が苦笑して口を開いた。

「あやめ、前にも言ったが向こうは新免武蔵殿を始め、協力者が多数居るようだ。人を斬ったことも無いお前の腕では隆車に向かう蟷螂の斧、全容を解明できずにお前は死ぬことになるだろう。それこそ甲賀の恥辱と心得よ」

「……ハッ」

 あやめが唇を噛み、顔を伏せる。自分の剣の腕前は承知しているのだろう。

 今度は伊豆様が彼女に話し掛けた。

「あやめとやら……兄と許婚を殺されたお前の無念、俺達は判っているつもりだ。『何処で死のうと恨みに思わぬ』と言ってくれたが、その手のセリフを言う奴に限って仇の顔を見た瞬間、我を忘れて突っ込んで行くんだよ。そして無駄死にする。そういうバカ、俺は何人も見てきた」

「……」

 目尻に涙の粒を溜め、泣くのを必死にこらえるあやめ。

「しかしな、あやめ。これは戦だ。闇の中で行われる、誰にも知られる事の無い戦なんだ。故にこちらも切り札である十兵衛を出す」

「十……兵衛……?? ッ! まさか……剣を取っては江戸で並ぶ者なしといわれた、あの……柳生……十兵衛さま??」

 誰が言ってるのかは不明だが、顔を上げた彼女が妙な事を口走って目を真ん丸に見開いた。何だかあちこち痒くなりそうな視線をこちらに向けて来る。ついでに伊豆様も「お前も何か言え」とばかりの顔してる。

 俺は溜息を吐いて頭をガリガリと掻き、

「拙者、伊豆守様の切り札だったのでござるか? てっきり、悪戯仲間だとばかり……」

「おい、こら」

「――女に目の前で死なれる程、夢見の悪いものはない。あやめとやら。刀を抜くのは拙者、お前は情報を集め分析する。これを誓ってくれ。誓えるなら、必ずや伊豆様が甲賀の恨みを晴らす機会を作ってくれるだろう」

「は、はいッ!」

 喜色を浮かべるあやめ。それに比べて何故か伊豆様は、ジトーとした目で俺を見詰めている。

「……何でござる、伊豆さま?」

「女の涙に弱いのは結構だが……いいふうに言ってるが、実質、面倒ごとは全部俺に投げてるよな、それ?」

「……」

 視線を逸らすと阿部殿や中根殿が大笑いしだした。

「ふむ。江戸一番と名高い天才剣士は女の涙に弱い、と」

「可憐な女子の笑顔を守る為、孤剣を携え独り修羅の道を行く……。カッコいいですが、一万石の跡取りとしては問題ですな。成程。但馬殿が十兵衛殿を廃嫡されたのは、こういう訳ですか」

 いや、俺が廃嫡されたのは、昔、上様を……。

「もう少し若ければ、自分もそういう生き方をしたかったですな」

「おお、阿部殿にも笑顔を守りたい女子がおるので?」

「それは、言わぬが花、というやつですよ中根殿」

 聞いちゃいねえよ、このオッサン達。



 ――



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