第一章 7
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一同を引き連れ庭先に移動し、伏せた灯明皿を回転を与えないように――押し出す感じで――10メートル程先にある松の木目掛けて投げた。
「……?」
3メートル先でポトリと落ちる。皆、俺が何をしたいのか判らんって顔だ。
次に、フリスビーの要領で灯明皿を投げる。回転する皿はギュイ~ンとまっすぐ空中を走り、松の木にぶつかって割れた。
「……えッ??」
雪ちゃんを筆頭に皆が唖然とする。いや、三輪さんは「回ってる独楽が横に移動するのと同じだな」とフムフム頷いている。独楽に揚力は関係無かったと思うが、まあ、いいか。
「こんな感じです」
尾張公や紀州公に灯明皿を渡すと、二人とも興味深げに皿を上やら下から眺めてから同じように松の木目掛けて投げた。
「……これは……」
「忍びの使う十字手裏剣と同じ理屈か」
さあ、十字手裏剣なんて子供の頃に折り紙で作って投げたぐらいだしなぁ。
と、いきなり正雪が尾張公から灯明皿を奪い、庭の奥にある大木目掛けて投擲した。
「正雪ッ!?」
皿がホップして浮き上がり、葉の生い茂った部分にぶつかった。
ガサッッ!
人の気配??
すぐさま紀州公の家臣の一人が走り、飛び降りて来た黒い影を一瞬でぶった斬った。流れるような動作で、次の瞬間には納刀している。これは……抜刀術?
「殿のお顔を見られたかもな。この辺りに潜んでる怪しい奴等はすべて始末した方がいい」
ルパンに出て来る五右衛門みたいな静かな口調で恐ろしい事を言う。
「拙者も付き合おう、田宮殿。――陳老師は殿の護衛、お願いします」
「ふむ、兵庫殿が行くなら俺も行こう。正雪、手伝え」
「私も行くんですか? はぁ……」
柳生様と武蔵様が薄く微笑み、まるで飲みにでも行くかのような軽い足取りで歩き出した。……いや、すでに刀は抜いているんだが。そしてその後ろを溜息を吐いて雪ちゃんが付いて行く。上司のお共で休日のゴルフに向かうサラリーマンがよくこんな顔をしている。
しかし抜刀術の使い手で田宮か。もしかして『魔◯転生』のキャラ、総登場するのだろうか? あ、でもまだ若そうだから田宮流抜刀術の二代目、長勝かも??
「……兄上。何だか焦げ臭いと思いませぬか?」
板倉様と並んで立っていた重さんが顔をしかめながら、周囲を見回して言った。
「うむ。連中、どこぞに火を付けたのかもな。但馬殿は病で臥せっていると聞く。早く成果を出そうと部下達が焦っているのだろう」
随分と余裕ッスね、板倉様。
「……新免武蔵、柳生如雲斎、田宮流抜刀術の二代目。この三人に勝てる奴が居るか?」
「……居ませんね」
思わず苦笑する。確かに、これで薩摩示現流の東郷重位が居れば『子連◯狼』の新章か『修◯の刻』の寛永編でも始まりかねないメンツだ。――いつの間にやら大天狗も姿消してるし。
「それで重昌、お前はこれからどうする?」
板倉様の言葉に重さんが両腕を組んで考え込む。
「そうですね……。自分は最早、死んだ身。『板倉』を名乗る訳にはいきません。名を変え、学問の世界に入って四郎殿より教わった『祭政分離』などの理屈を研究してみたいと思っています。妻や子に会えぬは口惜しいですが、いずれ時が来れば……」
「ふむ。名を変えるか……。板倉の遠縁で跡継ぎの居ない家がある。誰か良き養子を紹介して欲しいと頼まれていたんだが、そこに行ってみるか?」
「板倉の遠縁?」
「うむ。熊沢という家なんだが……」
ブッ。
それとなく二人の話を聞いていた俺は、思わず吹き出した。く、熊沢っすか。
「いかがなされた、怨霊殿?」
「四郎殿?」
二人が小首を傾げる。遠くから悲鳴やら何かをぶった切る、バシュッ、て音がする中で普通に会話するのって……シュールだ。
「す、すいません。――重さん、学問の修行を終えて帰って来たら『蕃山』と号してくれませんか」
「蕃山……草木の生い茂る山。雄大で良い名ですが、もしかして?」
「ええ。熊沢蕃山。後世、『儒服を着た英雄』と呼ばれた大学者の名前です」
具体的には勝海舟がそう呼んでた。
近江聖人と名高い中江藤樹に弟子入りするが、師より「師弟ではなく学友となろう」と愛された器量の持ち主で、学問を修めた後は岡山池田藩に宰相として招かれ、参勤交代で藩主と共に江戸に来た際は面談を希望する者が列を為したという。
流石にその辺りは口にしなかったが、重さんは後世にまで名を残す大学者と聞いて腰が引けてたのに対し、板倉様と尾張公はノリノリだった。
「是非、そう名乗れ重昌。一族から後世にまで名を残す大学者が現れたとなれば、先祖も草葉の陰で喜ぶであろう」
「そうだな。――いっそ、京に学問所を作って学者を多く育てるか。そしてその学者達をあちこちの藩に送り込んで、我々の行おうとしている改革と同じ事を……」
その学問所が出来たら、隅っこにキャプションで『後の京都大学である』とか書かれるんですね。判ります。
「ええのぉ、京を学問と芸能の都とするか。古今伝授を受け継いだ貴き方が御所におられるし、公家の屋敷を漁れば古い書物なんぞ腐るほど出て来る。藤原惺窩の弟子達に協力せぇ、と声をかけてみるか?」
烏丸老まで乗り気だった。
グシャッ!
武蔵様達の攻撃を逃れたのか、着ている物を血で真っ赤に染めた男が二人、寺の屋根から落ちてきた。片方の男は左腕が無くなっている。
ヨロヨロと立ち上がった男達は、俺達に気付くと憎悪に満ちた瞳で睨み付け、こっちに向かって走り出した。
「……」
無言のまま陳老師と弓を持った僧侶が頷き合い、尾張公の前に立った。紀州公の前には三輪さんだ。男達が舌打ちし、俺と烏丸老の方に向けて疾走する。
宗意軒の爺さんが俺を守ろうと前に出るが、何故かそれを制して烏丸老が立った。
「烏丸老?」
「少しは儂にも見せ場をくれ」
腰の飾りとしか思えない細工の施された鞘から刀を抜き放ち、笑みを浮かべる。
弓を構えた僧がキリキリと弦を引き絞り、ちゃんと狙ったのかも怪しいほど無造作に矢を放った。続けてもう一矢、放つ
「……ゥグッ!?」
信じられない事に矢は、片腕が無い男の両腿に突き刺さった。男は転げるように地面にもんどり打って倒れ、三輪さんがその背中に足を乗せて動けないようにした。
「チッ!」
もう一人の男が烏丸老に向かって刀を振り下ろす。「――デヤァッ!」
「……甘いわ」
軽く右に飛んで白刃を躱す。次の瞬間、まるで反復横跳びのように左に飛んで振り下ろされた刃の背に左足を乗せる。
「なッ!?」
男が無意識に刀を引くが、それを利用して烏丸老が男の頭上に飛んだ。
「まさか、はっそ……」
「そや、判官さんの使った鞍馬古流『八艘跳び』や」
慌てて男は後ろに振り返るが、それを待ってたのか背後に降り立った烏丸老が男の眉間に刀を振り下ろした。
ばきっ、と何かのへし折れるような音と共に男が呻き声を上げて地面に崩れ落ちる。
「何や、意外と根性のない奴やなぁ」
烏丸老が右手に持った刀――真ん中辺りから折れてる――をブラブラさせながら呟いた。うん? あれ、刀じゃなくて……銀箔を貼った木刀??
「……久し振りに見せて頂きました。烏丸老の鞍馬古流『八艘跳び』と竹林坊殿の日置流弓術の妙技」
庭の奥から武蔵様達が薄く笑みを浮かべながら戻って来た。
……って、鞍馬古流? 確か、義経が天狗から習った兵法だったっけ。天狗の正体は鞍馬の修験者とも陰陽師の鬼一法眼だとも言われ、義経以外に8人の弟子に伝えた事から別名、京八流とも呼ばれる。
そう言えば、これを使う女の子を主人公にした漫画が昔あったな……。
日置流弓術は応仁の乱の頃、日置弾正という人物が創始した弓術らしい。儀礼的なものを多分に含んだ小笠原流と並んで日本の二大流派の一つとして広まった。大正時代、弓聖と呼ばれた阿波研造は暗闇の中、的の前に線香を置き、そのボンヤリとした明かりだけで一本目は的の中心に、二本目は一本目の矢の末端から裂く形で矢張り的の中心を射抜いたという。――うん、中二病患者が泣いて欲しがる異能としか思えない。
「でも烏丸老、何で木刀なんです?」
「刀なんぞ、とっくに質に入れてもうたわ」
意外に生々しい理由だった。昇殿を許された者は血の穢れに触れてはならぬ為、とかじゃないのかよ。
俺も含め皆が苦笑を浮かべる中、雪ちゃんが倒れている男達にせっせと縄を掛ける。
「で、この者達、どうします?」
「何か……妙に手馴れてませんか、正雪殿? ――ここに京の治安を守る責任者が居るんですから任せればいいのでは??」
宗意軒の爺さんの言葉に板倉様が溜息を吐いた。
「……面倒臭い。このまま埋めちゃったら駄目か?」
「いやいやいやいや……兄上?」
慌てて突っ込む重さんに、冗談だ、と板倉様が言う。
……八割がた本気だった気がするぞ?




