第2話
担任の白川静香は額に右手を添えながら、進路希望調査票に記載してある内容を読み上げた。
すでに高校生活の三分の二を終えた、高校三年生の春。
三月上旬にホームルームにて配布された、進路調査のプリントを提出したその日のうちに職員室まで呼び出しを食らった。
もしや、ここまで具体的に進路について考えている生徒はおまえくらいだ。この調子で頑張れよ。などと褒められるのだろうか。そんなことは絶対にあり得ないとわかっていても、美人女教師に呼び出されて少しも心が踊らない男子高校生はいないはずだ。
「なあ、鏑木。どうして、呼び出されたかわかるか」
「…はあ。まあ、進路についてですよね」
というか、いま目の前で進路希望調査について読み上げたんだからそれしかないだろう。
「そうだ。進路についてだ。だが、なぜ君の進路は進んでいないのか」
ため息交じりに、机に進路希望調査票を放り投げる。
無事、机に着地を成功させたプリント用紙には、こう書かれている——。
第一志望 なし
第二志望 なし
第三志望 なし
夢のない学生と捉えられても仕方ないだろう。何せ、元々夢など持ち合わせていない。
「聞いてんのか」
「…すみません」
「……きみは、…あれだ。成績は悪くない。むしろ良い方だ。それなのに進学する気がないのは正直もったいない」
そう、俺は特に成績が悪いわけではない。ここはこの辺りの地区では一番の進学校だし、その中の学年20位内には入っている。
自分で言うのも何だが、頭は良い。
「成績は悪くない。と、すると。やはり、問題は学費か」
我が家の家計は火の車。確かに、学費を工面するのは難しい。
黙ったことを肯定の意と捉えたのか白川先生の顔が同情の色に変わった。
「大学によっては奨学金とかも用意されている。他にも、学生支援団体からの補助金もあるぞ」
なぜ、こうも教師陣は同じことを言うのだろうか。1年の担任のときも、2年の担任のときも全く同じことを言っていた。
彼らの言っていることを言い換えるとこうだ。将来、返すことができなくなる可能性のある借金をどこかからして大学へ行け。
無論、本当に金銭面で進学が困難である人達もいるだろう。だが、無い袖は振れない。進学すべき優秀な人にこそ融資すべきだ。…それは、俺じゃない。
「なら、先生が学費を負担してくださいよ」
キリリと白川先生の目線が鋭くなった。美人の睨みほど恐ろしいものはない。
つい、腹が立ってきて言ってしまった。しかし、時すでに遅し。あとには引けない。思い切っていけるところまで行ってみるか…。
「いえ、ふざけてないですよ。おおまじめです」
若干、開き直り気味に反論する。
「ほう。こんな舐めたことを言い出してきたのは君くらいだが。一応の釈明くらい聞いてやろう」
「はい。先生と僕が結婚すれば、先生が僕の学費を負担してもさして問題にはならないですよね。僕は就職した後、きちんとお金は返します」
耳元でかすかな風の音が聞こえた。
先生の手には刃物並みに研ぎ澄まされた木刀があった。どうやら、木刀が頬を掠めた音だったようだ。
目が本気と書いて、マジだった。今までの担任教師にはいない冗談の通じない人だったようだ。
「すみませんでした。すぐに書き直してきます」
瞬時に謝罪の言葉を言いながら頭を垂れる。
だが、実際のところ、たかが高校からやり直したところで俺の人生は変わらないだろうな。
いままでのろくでもない人生に思いを馳せながら、どこの志望校を書いておこうかと思案する。
魔法使いの家系に生まれてしまったがゆえに、日々命の危険と隣り合わせの生活を送っている。
世界中で魔法使いの虐殺がはじまった二十一世紀。
当然。魔法使いたちはただ殺されることを黙って待っていたわけではなかった。もちろん、あらゆる抵抗をした。しかし、虐殺自体が国ぐるみで行っていただけに計画的であり加えて、彼らには魔法を抑える強力な『武器』があった。
科学は人類の英知の結晶であり、太古から魔術を追い越さんとばかりに研究が進められてきた。魔法とは相反する存在である。
科学の軍事転用により、魔法を上回るほどの火力を手にした人間たちがその力を魔法使いに向けるのも時間の問題だった。
計画的かつ、統率の取れた虐殺を世界中で敢行されては、さすがに万能に近い力を持つ魔法使いらも抵抗の術をなくした。そして、地下に潜るか人間のもとで息をひそめながら生活していくこととなった。
ただでさえかずの少ない魔法使いが減少し虐殺行為が収まってから、軍と警察は魔法を使っていることを確認できた場合には即時、射殺が義務付けられた。(魔法では止めることのできない銀の弾丸を使ってだ。)街中を歩く兵士の数も増えたし、警察の巡回の回数も倍以上に増えた。
日本で魔女狩り宣言を高らかに掲げたせいで女性の魔法使いは次々と摘発され、殺されていった。
はっきり言って、今のこの国。
いや、この世界は、魔力を持つ者たちにとっては地獄だ。
少しくらい癖のある問題児であった方が、多少おかしな点があっても腫物扱いされ、怪しまれないものだ。
「明日までに書き直して来い」
余りにも冷たすぎる視線と突き付けられた木刀がより恐怖を増大させる。
どこから木刀を出したのか聞こうとも思ったが、殴りかかられたら洒落にならないからやめた。
丁寧に返事をし、踵を返して職員室から出ていこうとしたそのとき、再び声をかけられた。
「そういえば、君は部活には入っていなかったよな?」
——なんとなくだが、嫌な予感がする。
「はい。そうですけど」
「そうか。なら、ちょうどいいだろう」
なにがちょうどいいのかまったくわからないが、この後の展開は大体予想がつく。
「ま、君も友人の一人や二人できれば変わるかもしれないしな。ついてきたまえ」
白川先生は説明もそこそこに立ち上がった。
そもそも、俺が友人を作らないのは自分の身が危険になる可能性があるわけだからだ。無駄に独りよがりな正義感をかざしてくるのも困ったものだ。
反応を示さないことで不満を抗議していたつもりだったが、彼女には全く効果は無いようだ。白川先生は、扉の前でこちらを振り返ると
「おい、早く来い」
と整った顔をこちらに向けながらせかしてきた。彼女はほんとに美人だ。体育教師だから動きやすいようにと赤ジャージをいつも着用している。校内中の男子が彼女の授業をいつも楽しみにしている。もちろん、自分もその一人だ。ただ、熱血なのはいただけない。そのうち、自分の力で立ち上がって生きていけだとか極道なことを生徒に説きだすのだろうか…。
つい、ジャージのチャックを押し上げる胸元に目を向けてしまい、なんだかばつが悪くなり慌てて駆け寄ってしまった。