190話 絶望
戦いの中、ユーリは魔法ではなく直接的な攻撃であればグールに傷を負わせられることに気が付いた。
だが、それでグールの怒りを買うことになってしまい。
彼女は手も足も出せずに傷を負っていく……そんな中、娘を傷つけるなとナタリアはグールの胸へと刃を突き立てたのだが……
それは罠であり、血に伏せたのはナタリアだった……
僕は慌てて彼女の身体を支えると……生暖かい血液の感触が嫌にはっきりと伝わってきた。
そんな血塗れの彼女を見て僕は……幼い時の記憶が蘇っていた。
それは血塗れで身体はぐちゃぐちゃになり、それでも僕を庇ってくれた両親。
たった今助けようしてくれたナタリアと同じ……だ……
呼吸は荒くなってきて、目には涙が溜まる……怖い、嫌だ……ガチガチと歯はなり、それが脳へと響く……
「…………か、はっ……」
声と共にこぽりと言う音が聞こえ、僕は目の前に居る女性を見て頭を振る……しっかりしないと! 僕の怪我は見た目こそ酷いが足だけだ。
だけど、ナタリアは一刻も争う傷なんだ……早くヒールを掛けないとっ!!
その事で頭がいっぱいになっていたからだろう、幸い痛みを忘れることは出来た。
だけど……
『おいおい、折角倒したのに治されちゃ困るだろ? ククク』
グールは僕のしようとしていることに気が付いたのだろう、足へと再び針を刺し始める。
「――っ! 傷つきしものに――」
激しい痛みが甦り、声を奪われそうになりつつも僕は必死で詠唱を紡ぐ……やめてたまるか……
僕が、僕だけが助けられるんだ……
『チッ……やめろって言ってるんだよ』
「光のか――グァ!?」
魔法を唱えているとグールは動きを見せた。
恐らくは僕が詠唱を止めないのに焦ったのだろう突如グールの手は僕の首を掴み締め上げられてしまった。
随分と古風で手荒な方法だ……だけど、これじゃ……
「――っ――――ぁ――」
声が出ない……魔法が……唱えられない……
『なんだネクノ……ぁ? ああ……なるほどそこにあるのか』
息が出来ず薄れる意識の中、グールのもう片方の手は僕の腰辺りを探る。
なにをしているんだ? そう思ったのも束の間、首を絞めていた手は離され僕は必死で息を整える。
まだ、まだ……間に合うんだ!
「けほ……傷つきしものに――」
『おい、見てみろよ』
そんな暇はない! こんな奴に構っている暇なんて……
『おい、無視しないで見てみろよお前の大事な物がここにあるぜ?』
一旦は無視した僕だけど……やけに嬉しそうなな声と大事なものと言う言葉に嫌な予感がし、僕は顔を上げる。
「――ソティル!?」
奴の手にあったのは紛れもない僕の仲間であるソティルの本。
ソティルが危ない!? それに手元に本が無ければ魔法が発動しないんじゃ? そんな予感がし僕は必死に手を伸ばす……だが……
グールは笑い、まるで見せつける様に僕の手の届かない所へと持っていくと……
『終わりだ……世界が滅ぶのを特等席で見せてやるよ』
手から昇って行く真っ黒いなにかがソティルへと広がっていった……それはまるで炎の様で……いや、炎だ。
本が焼ける音が僕の耳に嫌に響く……
「ぁ……? や、やめ――返せ!!」
ソティルが……ソティルが燃やされてしまう、でも手を伸ばしても届かない。
魔法を使っても速さではグールの方が上だ……
「ソティルを……返して……」
『じゃぁ返してやるよ……』
僕の要求通り、あっさりと返されて唖然とした……なにを考えているのか分からない……でも手渡されたソティルに付いた火を消さないと!
僕は火を消そうと必死になる、けど火は叩いても消えない、はたいても消えない……
「――撃ち放て水魔の弓矢、ウォーターショット」
水の魔法を使っても消えず……
「うそ……だ……」
残ったのはわずかな灰と消そうとして負った左腕の火傷だけだ。
呆然とする僕を見て高笑いするのはグールで……僕の手からはソティルが失われ……本の精霊だった彼女はどうなってしまうのだろうか?
もしかして、媒体が無くなったから死んでしまったのだろうか? それも分からない……
ただ、分かるのはこれじゃ、ナタリアの傷が治せないと言うことで……
「……ユーリ……にげ……」
「っ! ナタリア!!」
駄目だ……諦めたら彼女は死んでしまう。
ナタリアは異世界に連れて来てくれただけじゃないんだ……いつも誰かの身を案じ、本当かどうかも分からない未来を見て僕を……フィーを救うために呪いにまでかかってしまった。
この世界での師匠であり、友人であり、仲間……そして、もう一人の母である彼女見捨てる訳にはいかないんだ!!
「我が友の傷を癒せ!!」
ソティル居ない以上、頼みの綱はこれしか無い……一度も成功しなかった魔法。
だけど、これに頼るしかないんだ。
「ヒーリング!!」
唱えるも何も起こらず、それを見たグールは――
『なんだよ、なにも出来ないじゃないか!! ククククク……』
笑う……
でも、そんなのはどうでも良い! 失敗して笑われることなんかどうでも良い!! 今大事なのはこの魔法を意地でも成功させることなんだ!!
「我が友の傷を癒せ! ヒーリング!」
二回目も何も起こらない、三回目も四回目も……何度も何度も唱えは失敗を繰り返す。
そんな中、やっと僕の願いは通じたのだろうか? 僅かながらに手には光が灯り、それを慌てて彼女の傷へと向ける。
だけど……
「なんで? 魔法は成功した! なのに……なのに……」
ヒールとは違い、手を押し当てても傷からは血が止まらない。
傷もふさがる様子が全くない……失敗? でも魔法の式は問題が無いのは分かっている。
なら、傷を癒しているのだろうか? それにしては遅すぎる……
『なんだよ、家族愛で成功ってか? そういうのムカつくんだよ……』
「い、痛ぅ……」
髪を掴まれ、僕の身体は持ち上げられる……折角発動した魔法も患部に触れないんじゃ意味が無い。
「放せ……ナタリアが……」
『もう遅いんだよ、見ろよお前が殺したんだ……ククク』
腕はしっかりと髪を掴んでいる……だけど、髪だけだ……
ナイフがあれば……そう思って僕は辺りに目を向ける。
僕のナイフは無かった……でも、ナタリアの剣は見えてそれに手を伸ばす。
『髪を切って母親の所に行こうってか?』
だけど、もう少しで届きそうだった剣は見えないなにかによって弾き飛ばされ僕の手に届かない場所まで行ってしまった。
『ほら、死ぬぞ? 何処まで耐えるかな?』
「やめ、放して!! ナタリアが……ナタリア!!」
このままでは死んでしまう。
また、あの時の様に失うしかないの?
いやだ……
「――お母さん!!」
僕が叫び手を伸ばす――届くはずのない距離で僕には見ていることしかできない。
はずなのに、僕の後ろで轟音が鳴り響き、体は前へと進む。
『な……!?』
バルドたちが駆けつけてくれたのだろうか? そう思い振り返った先には……
身体を捻り、片腕を失ったグールに足を叩きこむ森族の女性――フィーの姿があった。
「……ふぅ、大丈夫ユーリ? ――ナタリー!?」
「…………」
フィーは僕を気遣うとすぐに彼女の様子に気が付く……
「えっと、その、まず扉の近くに居た人は外に連れってもらったよ? それよりも……」
「フィー……」
「ユーリはすぐにナタリーの傷を治して、ね?」
今までならすぐに頷けたのに……今の僕にはその言葉が胸に刺さり……辛い。
「駄目なんだ……」
「……え?」
「ソティルはもういない……お母さんの傷は治せない……僕の魔法じゃ治せなかった……」
声を振り絞り、彼女に事実を伝える。
身体中が痛い、でもそれ以上に心が痛かった……
僕は一度に大事な人を二人も失った……ヒーリングじゃ何の役にも立てなかった。
そして、黒の本を壊すのに必要な解呪の魔法も失われた……
敗北……たった二文字の簡単な言葉で終わる。
「……そう、じゃぁアイツはおじさんとナタリーの敵なんだね?」
「……え? フィー……?」
それなのに、フィーは剣を構えたままそこから動こうとしない。
「だめだ、フィー……君は逃げて……」
「出来ないよ? おじさんをナタリーを殺されて、ユーリも傷つけた……それにもう、アレは人じゃない魔物だよ」
彼女の言葉は頼もしく、すがりたい。
だけど、そうなったらフィーまで……フィーがいなくなったら、僕はもう……
僕はまだ辛うじて意識のある母の手を取り思う。
これ以上失うのは嫌だ……
なにをしても良い、だけどそれでも……フィーだけは守らないと……
ナタリアはその為に僕をこの世界に呼んだんだ!
無意識だったけどたった今、彼女を母と呼んだんだ……
なら彼女の意志を娘が継がないといけないよね……メル、ごめん……
僕は足の痛みに顔を歪めながら立ち上がるとフィーの前へと……グールを前にし立つ。
「ユ、ユーリ!? 前に出たら危ないよ?」
「…………いやだ、フィーは僕が守るんだ……」
ナタリアだけじゃなく、僕も戻れないかもしれない……
そう思いつつ僕は左手についている腕輪を見る。
そう言えば何故かソティルはいつも左に居たよね……そんな事を考え、腕輪からグールの飛ばされた方へと視線を動かす。
「っ!?」
すると突然、左腕は痛みを訴える。
当然だ火傷を負ったんだから……でも、これなにか違う?
まるでナイフで浅く切られているような……不思議に思い僕はもう一度腕へ目を向ける。
「……なに、これ?」
そこには徐々にだが、勝手に傷が広がっていく光景が見えて……
どうやらそれは何かを描いている様だ……
「ユーリ! 前!!」
フィーの声が聞こえ、僕はグールへと目を向ける。
そこにはわなわなと震える魔物の姿が見え……
『早く言えネクノォォォォオオ!! そうか……やっぱり殺さなきゃいけないみたいだな……いや四肢をもげばいいのか? いや、やっぱり殺す!!』
僕へ向けそう叫ぶ……一体何のことだろうか?
この痛みと関係がある? もう一度腕へ目を向け、袖をめくり血を拭うと僕の心臓が跳ねた。
怖いとかそう言うのはあったかもしれない。
だけど、それよりもこの時に真っ先に僕が考えたことは……腕に広がる赤い模様……これでナタリアを助けられるかもしれないと言うことだった……




