177話 解呪
フロム地方……氷狼より呪いの情報を得るため、遥々海を越えたユーリ達……
ケルムを仲間へと向かい入れた一行は氷狼のいる洞窟へと向かった。
だが、そこに居たのは嘗ての威厳ある賢き魔物の王ではなく……変わり果てた腐狼の姿だった……
呪いの解呪には呪いを作った者の思念が僕の中に流れてくるはずだ。
だけど、今回はそれは無く……ただ、頭の中に詠唱が思い浮かび、ソティルの声が聞こえたような気がし……僕はそれをゆっくりと紡ぐ。
「…………忌まわしき、恨み縛りの力よ……我が言霊にて消えよ、ディ・カース」
光の中僕はただ、左手を添えながら、苦しむ氷狼の表情を見ていた。
次第にその表情は安らかな物へと変わっていき、やがてピタリと動かなくなった。
「終わったのか? ひ、氷狼はどうなったんだ!?」
「…………」
ケルムの言葉に僕はゆっくりと首を横に振った。
助けることは出来たはずだ……だけど、それはあくまで呪いを解き安らかな眠りへと導いてあげれた位のことでしかない。
「ユ、ユーリちゃんなら、生き返らせれるんだろ? ほら回復魔法使えるって……」
「ケルム、残念だが――」
「僕の魔法は傷を治すことは出来ても、死んだ人たちを生き返らせれる訳じゃないよ」
ナタリアの言葉を遮り僕はケルムに告げた。
なぜかは分からない。
でも、僕がちゃんと言わないといけない気がしたんだ。
「じゃぁ……」
「氷狼は死んだよ……いや、もうずいぶん前に殺されてたんだ……」
……その残った意志……それで僕に託してくれたもの。
そして、呪いを解く前に感じたソティルの気配。
あれは一体なんだったんだろう?
それだけじゃない、今までの解呪は呪いの名前とディ・カースという組み合わせだった。
なのに、今回の名はディ・カースとだけ……なにか変わったのだろうか?
疑問を浮かべつつ僕は本を手に取りページをめくる。
以前と比べ随分と内容が増えた本を見つめていくと……
丁度魔法が浮かび上がってくる所が見え……
「……っ!!」
僕は目を疑い、すぐに理解した……氷狼は黒の呪いをその身にかけられ、僕にその身体から知識を得ろと言ったんだ。
グラヴォールは……来るかも分からない僕にこれを託すために僕は動かぬ巨狼へと目を向け……
「グラヴォール……きっと、いや……絶対にこの魔法を役に立ててみせるよ」
「あん? どうしたんだよ……」
「なにか良い魔法を手に入れたという事か?」
二人の言葉に僕は頷いた。
「ユーリ、どんな魔法か言ってみろ」
「分ってるよ、今から教える……」
そう、氷狼が残してくれた魔法。
いや、実際には呪いだけど恐らく黒の本に詰まっていた呪いの一部を氷狼はどうにかして奪っていた。
そして、それを僕が解いた……つまりこれは――
「完全な解呪の魔法……例え呪いをかけられても即死の魔法でない限り、僕にはそれが解ける」
複雑だ……だけど、ここに来た理由は彼のお蔭で達成された。
「戻ろう……リラーグに! そして、タリムに向かう」
「……ちょっと待った!」
僕の言葉にそう答えたのはケルムだ。
待ったって……どうしたのだろうか?
「あのさ……急いでるところ悪いとは思う……でもグラヴォールをこのままにするのはちょっと、な……」
「うん、大丈夫だよ、最初からそのつもりだよ……だけど火は使えないし、土魔法で作るにしても僕とナタリアで出来るかな?」
「だったら、ユーリちゃんの魔法で凍らせて洞窟の入口を潰そう」
「へ!? でも、そんなことしたら……」
離れているとはいえ村の人たちは気が付くだろうし……
「大丈夫だ、村に戻ったら俺がちゃんと村長に報告するよ……仲間が手厚く埋葬してくれたってな」
「ユーリ、ここまで言ってくれているんだ、やってやれ……」
「分かった……そうしよう」
彼の提案通り、僕たちはグラヴォールを埋葬すると山道を降り村へと戻る。
ケルムは宣言通り村長に告げてくれた。
村長の方も戦いを強いて来る魔物であったためか何時かこうなると理解していたと言ってくれた。
とはいえ、村の人たちからはあまり良い目では見られないだろう……明日村を出ていくことに決め、酒場で早めの休息を得ていた。
今日はなんとか大丈夫だったけど、気分は相変わらず優れない……フィーたちに会うまでには治っていると良いな……
ひんやりとした風、普通だったら寒いと感じそうなそれは僕の頬を撫でる。
すると、なにかが揺れる感触がして僕はゆっくりと目を覚ました。
髪でも揺れたのだろうか? いや、窓を開けてはいないはずだ……
ナタリアが締めないと風邪をひくって閉めたんだから彼女が開けるはずもない。
『誰だ?』
……え?
今の? 懐かしい声だ……
「いやぁ……ちょっとさ聞きたいことがあってな?」
『誰だ、と聞いている』
僕の目は意思とは反し勝手に動き声の主を捉えた。
――――ッ!!
『もう一度問う、誰だ?』
「メンドクセェな……俺はアンザイキョウヤ、お前なんでも知っているんだろ?」
『それを知ってなにを得る小僧』
僕の目……いや、グラヴォールの瞳に映るのはあの仮面だ。
つまり、これは氷狼の過去?
ナタリアの運命を観るという能力……まさか、それが僕にも出たという訳だろうか?
『いいえ、どうやら……氷狼は最後の力でご主人様の中へ記憶を残したようです』
ソティル!?
良かった……無事だったんだね。
『まだ少し、馴染んではいませんが……夢の中では会話が出来るようにはなりました』
馴染んでと言うのは良く分からないけど……本当に良かった話せなくて不安だったんだ。
『申し訳ございません、それよりもご主人様……』
うん、見届けよう……氷狼の残してくれた記憶を……
「話は簡単だ、白の本……それが今どこにあるか教えろよ畜生」
『それを得てなにをする』
グラヴォールはあくまで僕たちと初めて会った時と同じように話している。
だが、それが気に入らなかったのかキョウヤはダンッ!! と音を立て地面を踏み。
「ウルセェんだよ!! いちいち聞かねぇでも分かるだろうが!! 人間つーゴミを掃除するんだよ!! その為には白い本ってのが邪魔なんだっつってんだ!!」
『…………帰るが良い、お前には教える知恵等無い……知識無きモノよ』
氷狼は静かにただそれだけを告げ再び瞼を閉じる。
目を通して見ていた僕たちは当然暗闇を見ることになるのだが……その向こうで怒りで声が震えている男の声が聞こえた。
「テメェ……魔物だろうが、人間なんざ邪魔で仕方ないんだろ? 狩られかけたと思えば崇めて来たり、知恵を寄越せと刃を向けられたんだろ? なぁ、手を貸せよ」
その言葉に氷狼はゆっくりと瞼を持ち上げる。
そして、身体を持ち上げ……
『勘違いをするなよ? 知識無きモノ、我は知識ある者たちとの戦いを楽しみにしている……確かにつまらぬ者は我が腹に納めてきたそれは事実だ。だが、知識無きモノ貴様にはその価値すら無い……帰るが良い』
洞窟の中に響く鋭い声は何重にもなってキョウヤへと向かう。
氷狼が言いたいことは分かった……
あの時の戦いはただの力比べではなく、本質は知恵比べ……
そして、あの時状況を覆したのは氷狼さえも視野の外に置いていた人物――ケルムだ。
彼の機転のお蔭もあり、氷狼は考えを変えた。
氷の洞窟でフラニスという天敵を活性化させる存在。
それは僕の魔法ではなく、ケルムの精霊魔法。
そして、僕の魔法の性質……氷狼が吹き飛ばしたはずのフラニスを含んだ三人が無傷で自分の前に現れたこと。
その結果、彼は負けを認めた。
だけど……恐らくそれは戦う相手によって変えるんだろう。
一人なら一人で自分にどう打ち勝つかと……それを楽しむ為の戦いだったんだ。
『聞こえぬか? 知識無きモノ、貴様がなにを求めようと知恵は知識無きモノには扱えん』
「テメェ……魔物の分際で俺を馬鹿にしているのかよぉお!!」
『莫迦にはしていない、ただ……以前来た小さき魔族にはあったものが貴様にはない』
――それって、僕のことだろうか?
「ぁあ!?」
『人の望みの為に自身の命をかけてまで我と戦ったあの小娘とは違い、貴様の目にあるのは憎しみだけだ。人間を掃除するだと? もう一度言う我は知恵比べがしたい、それには人間が必要だお前には手は貸せ――――っ!!』
話の途中、キョウヤと名乗った男は懐から徐に真っ黒な本を取り出した。
いや……それは良い、持っていることは分かっていた。
だけど……そんなことよりも僕の目を疑ったのは――
「ウルセェ……その臭ぇ口閉じろよクソイヌ風情がぁぁぁぁぁあああああ!!」
真っ黒に染まった剣が宙に何本も浮いていて、それは僕いや、グラヴォールへと飛んでくる。
『グゥ!? バ、莫迦な……詠……を……』
詠唱が無い?
そんなこと在りえない、いや……でも……
「うざってぇえええんだよ!! ぁあ、そうだ……あまりにもムカつくからよ、メンドクセェがお前にプレゼントをやるよ……ククク……」
男は更に数本黒い剣をグラヴォールへと突き刺し、拘束すると黒い本を持ったまま手を近づける。
『な、にを……する――知識無き――』
「テメェをちゃんとした化け物にしてやるよ……死ねば暴れ狂い、邪魔な人間を食い散らかす腐肉へな……」
『……そうか、それが黒の本の力か……だが、我にそれをかけて良いのか?』
「ククク……馬鹿か? かけるって言ってるじゃねぇかよ!!」
グラヴォールの問いに狂人のように笑いつつ答えるキョウヤ。
彼は……なんでこうなってしまったのか、ただ……分かることは――そこに居るのは僕の知るキョウヤではなく……まるで物語に出て来る魔王の様な存在である事だ。
『そうか、ならばかけるが良い。我が知識と知恵は失われず、我が意志は砕けぬからな……そして知識無き者よ、貴様は後悔をする事になるだろう』
「ぁ? あーもうなんでも良いや、くだらねぇ」
魔王のその声と共に真っ黒な靄へと包まれていき、視野は闇に閉ざされた……
ただ……魔王の笑い声に交じり、聞こえたのは……
『……小さき魔族よ、お前ならば幾多の呪いを集めた黒き本の呪いを上手く使うだろう』
その言葉は僕たちだけに聞こえる様に言ったのか、仮面の笑い声は途絶えなかった。
「…………」
『ご主人様、記憶はここで途切れている様です』
分かってる。
もう、なにも聞こえない……他の記憶に関しては残す必要が無かったってことだろう。
ただ……
「無詠唱魔法……なんで……?」
ソティルと同じ本のアーティファクトであれば詠唱は必要。
だけど、キョウヤは詠唱を発していない。
あれは……一体どうやって使ったんだろう?
この世界に来て魔法のことは随分調べた。
魔法陣のことから魔紋のこと、そして詠唱のこともだ。
詠唱が描かれているマジックアイテム以外ではどうやったって必要な物だっていうのに……
いや、まさか……
『ご主人様、誠に勝手ですが今日はもうお休みください』
「え?」
『まだ、お身体が万全ではないので……』
「確かにそうだね……」
ソティルの言う通りだ。
まだ、身体は治り切っていない、詠唱のことは気になるけど……って――
「ソティル、そう言えば――」
『おやすみなさいご主人様』
彼女への質問を言いかけた時、そう言われ僕の意識は夢の中で遠のいた。




