You lost a cup of hot soup.
メリーバッドエンド、流血描写有りです。苦手な方は回避をお願いします。
爽やかな読後感とは程遠い作品ですので、お読みになる方はご了承お願いします。
ぴちゃん
何処かで水が跳ねた音が、暗い牢獄に反響した。
光の届かない闇の中を、微かな音を立てて鼠が走った。
連なる牢の中でも人気の無い、一画。
血塗れでぼろぼろな服を着た少年が、鎖付の枷を嵌めて座っている。痩せた顔は俯けられ、長い髪に隠れて見えない。
―貴方が誰かなんて 如何でも良かった
不意に人の気配がして、牢獄の外から足音が響いた。
やって来た二人の人影の片方が、遠目に少年を見て顔をしかめる。
「あんなガキが、あんな惨劇生んだってのか?」
恐らく壮年の男が発した低く響く声は、訝しげな色を多分に含んでいた。
「状況から見て、そうとしか」
幾分年若い男の声が、先の声に答える。始めの声が怒鳴った。
「馬鹿な!如何やって!?いや 方法なんか良い!一体どうしてこんなガキが」
少年の口元が、笑みを形作った。
―貴方が何故其を望んだかも 関係無い
少年は小さく息を吐くと、惨劇の日を思い出した。
少年は、ビル群の中で佇んでいた。
周囲は賑わい、沢山の人々の笑みが溢れている。
ふと、隣に立つ母子の会話が耳に入った。
母親に肩車された小さな女の子が、目を輝かせて母の顔を覗き込んでいる。
「ぱれーど、くる?」
母親が、目を細めて答えた。
「そろそろね。あ、聞こえて来たわ」
賑やかな音色に歓声が沸き起こった。
子供が少し、口を尖らせた。
「おとうさんも、くればよかったのに」
「きっと、あのビルの上から見てるわ」
苦笑した母親が少し離れた位置のビル指差す。
「お父さん、彼処に居るはずよ」
「いっしょだねー」
「そうね。一緒」
母子が楽しそうに笑みを交わす。
「あ!みえた!」
母親に肩車された子供が、ぱっと道の向こうを指差した。沢山の人や車が、明るい音楽に乗ってやって来る。人々は盛大な歓声でパレードを迎えた。
子供が興奮した様子で母親の手を叩く。
「すごーい」
「本当。とても綺麗」
母子が笑顔で会話している横で、少年はパレードに目も向けず俯いていた。
気付いた母親が、首を傾げる。
(折角こんなに良い位置に居るのに、パレード見ないのかしら?)
「おかあさん、おうじょさまだよっ!じょおうさまもいるっ!!」
興奮しきった子供の声に母親は少年から目を離した。気付けば、パレードの中心が前に来ている。
(まぁ、他人を気にするより、自分が楽しむべきよね)
そう結論付けた母親の意識は完全に少年から離れた。故に、彼女は決定的な瞬間を見逃したのだ。
パレードの中心が目の前に来るのを待っていたのか、少年が徐ににっと笑い手を動かす。放射状に細いワイヤーが走り、周囲の空間を切り裂いた。
「えっ?」
突然周囲の人々が血を吹いて倒れ、母親は訳もわからず目を見開く。
パレードの列も切り裂かれ、周囲に濃厚な血の匂いが溢れた。
少年が手を振る度に、周囲のものが切り裂かれて行く。気付いた母親が、我が子を胸に抱えて少年を見た。
「あなた、何をやって…」
彼女の震える声を掻き消さんばかりに大勢の悲鳴が響き渡る。
他人の肉を踏み散らかして逃げ惑う人々を呆然と眺め、守るように我が子を抱き締めて母親が少年に問う。少年は何も答えず、ただ腕を振るい続けた。
人々が周囲のビルに逃げ込む中、母親は其の場を動けずへたり座り込んだ。幸か不幸か、腕の中の子供は、ショックで気を失っている。
「あんた」
少年が初めて口を開いた。其の視線は、へたり込んだ母親に向いている。
「あんた、其の儘動くなよ?そしたら、死なずに済むから」
咄嗟に何を言われたか理解出来ずに、母親が涙目で少年を見上げた。
「え?」
「あんた、あの人に似てるから、殺したくない」
少年が無邪気な笑みで微笑んだ時だった。
「其処の君っ!武器を捨てて手を挙げなさい!!」
駆け付けた警官達がジュラルミン盾の向こうから少年に銃を向けた。
「あーあー。一般人が居るのに。撃つ気かねぇ」
少年の口調は心底どうでも良さそうで、むしろ横にいる母親の方があわあわと慌て出す。
「ちょ、君、危ないよ?本当に撃たれたらどうするの?」
場違いな心配に、少年が一瞬ぽかんと母親を見て、直後盛大に笑い出す。
「あんた何言ってんの?変な奴ー。やっぱあの人に似てるわ。変人」
「なっ」
あんまりな言われ様につい、むっとして怒りかけるが、
「撃たれなかったとしても、こんなに殺せばどうせ死刑だよ」
「あ…」
周囲を見回して言葉を失う。
「君っ、聞いてるのかっ」
銃を構えた警官が叫ぶ。少年がくすりと笑って首を傾げた。
「まぁ、撃たれる前に殺すけど」
少年が再び腕を奮り、警官達が薙ぎ倒される。
「ひっ」
恐怖に顔を歪めた警官が発砲するが、混乱した手では狙いも定まらず、一向に当たらなかった。
「うわぁ、危ないな…」
危ないと言いながらも少年の笑みは崩れず、無慈悲な金属の縄は殺戮を続けた。
「さっき殺しそびれたな…。女皇と皇女は何処だ?」
警官を薙ぎ倒しながら、少年が周囲見渡し小さく呟く。
「ビルに逃げ込んだなら良いけど」
薙ぎ倒しても薙ぎ倒しても現れる警官に、少年が舌打ちした。
「どうせ捕まると思ってたし、いっか…」
少年が、ぱっとワイヤーを手放す。
「あんた絶対其処動くなよ。いいな?」
少年は母親に念押しすると走り出した。ポケットから何か取り出し、まず警官達、次いでビルの中へ投げる。数秒後、凄まじい爆音が轟き火柱が立った。
(手榴…弾?)
轟音と共にビルが玩具の如く崩壊する。
(そんな…、一個や其処等でビルが倒壊するようなものなの?)
手榴弾の一撃で機能を失った警官隊を後目に、少年は走り、淡々と周囲のビル一つ一つに手榴弾を投げ入れて行く。
次々と崩れ落ちるビルに、ビル内へ逃げ込んだ人々の顔が恐怖と絶望で染まった。
(あ、あのビルは…)
少し離れた位置、彼女の夫が居るはずのビル前で、少年が初めて逡巡を見せた。ちらりと母子に目を向け、何もせずに通り過ぎる。周囲の崩壊の影響で無傷ではないが、ビル自体の崩壊は免れているので、中にいる人も恐らく無事だろう。無論、其のビルだけだが。
(え?もしかして助けてくれた?)
或程度行って少年は折り返し、道路を挟んで逆側のビルに手榴弾を投げ入れる。少年がぐるりと一周回って戻る頃には、周囲のビルは一つを残して破壊し尽されていた。其の間恐らく、僅か数分。
元の位置に戻って来た少年が、へたり込んだ儘の母子を呆れた顔で見た。
「うっわー。あんたまじで逃げないと思ってなかったわー」
馬鹿にする様な口調に、うっと詰まりながらも、母親は反論を返した。
「だって貴方、動くなって、言ったじゃない」
「普通逃げると思うなぁ。女皇と皇女、殺しちゃったし」
「え」
母親がまじまじ少年を見る。少年は呆れた色を濃くして母親を見返した。
「何、驚いてんの?見てたでしょ。ちゃんと確認して、女皇と皇女の居るビルにも、コイツ、投げ込んだよ。正面以外の入り口は予め封鎖しておいたし、前以て設置しておいた爆薬で周囲は此の通り。此で生きてたら、其こそ、奇跡だね」
つらつらと語りながら、少年はコイツ、と手に収まる程の鉄の塊を見せる。手榴弾、なのだろう。恐らく此の威力だけで破壊を行ったのではなく、前以て仕掛けた爆薬の力を借りて。
「そ、んな…、どうして…」
呆然と呟く母親に、手榴弾をしまいながら少年が言う。
「あのひとの為。あんた、人質になって」
「え?」
とんっ
少年が無言で母親の項を手刀で打って意識を奪った。気を失った母子を抱え、少年が集まって来た機動隊に言う。
「退いて。さもなきゃ此奴等殺すから」
「逃げても無駄だぞ!!」
機動隊員が殺気立って叫ぶ。
「だろうね」
少年が上空を旋回するヘリを見上げた。何人殺したかわからない。今更二人救うより、犯罪者を殺した方が良いと判断されてもおかしくない。正直、人質にあまり意味は無いだろう。
「面倒、だなぁ…」
母子を手放し、少年は走り出した。何時の間にか手に大振りなナイフを握っている。ナイフ一本で単身、機関銃すら装備した機動隊に切り込んだ。
「なっ」
自殺行為同然の行動に意表を突かれた機動隊は、すばしこい少年にまんまと包囲を抜けられた。
少年が、パレードが来た方向、まだ生きた人間が大勢いるはずの場所へ向かって走る。
「待ちなさいっ」
機動隊が少年を追うが身軽な彼に全く追いつけない。
巧みに機動隊を引き付けた少年が集団目掛けて手榴弾を投げる。爆音と火花が散り、機動隊を薙ぎ倒した。パレードの出発点には巨大なドームが居座って居り、人々は其処へ向かう少年を止めようと立ちはだかるが、少年は無感情に人垣を切り崩し、屍を踏み越えてドームの前に立った。
かたく閉ざされたドームの入り口を見て、にっと微笑む。
「こんなに守ってるなら、人は沢山居るな」
少年が驚くべき投擲術でドーム屋根に手榴弾を投げ付けた。ぐるりを回って次々に。ドーム屋根が崩れて倒壊し、中から悲鳴や怒号が響く。尚も、手榴弾を投げ続ける少年。
少年を止めようにも、止める実力の在るものは居なかった。
「如何したら…」
少年を遠巻きに見る機動隊員達が、絶望の表情を浮かべた時だった。
「あ」
少年が、不意に立ち止まる。
「弾切れだ…」
今迄の猛攻が嘘の様に、少年はぺたんと力無く座り込んで仰向けに寝転んだ。
「まぁ… もう十分か」
少年はそっと目閉じ、大人しく自分を殺す誰かを待った。
「まさか、殺されないなんて思わなかったなぁ」
牢獄の暗い光の中で、苦笑した少年は自分の手持ち上げて見詰めた。
痩せて荒れた手を、握って、開く。
「動く…」
小さく溜め息を吐いて手を下ろし、牢獄の壁にもたれた。
「早く殺してくれれば良いのに…」
―貴方の邪魔に ならない内に