ふたりの選択
どうぞ
覚悟は決めたはずだった、だけど体の震えは止まらない。
言いたい事は言い切ったはずだった、しかし不安は収まらない。
何度も何度も自分に言い聞かしてきた、それでも…………拒絶されることへの恐怖は消えなかった。
あの電話の後、俺は沈んだ気持ちのまましばらく体育座りのままうつむいていたが、このままでは状況は何一つ良くならないと思い、悠伎が来たときにどうすればいいのかということを考えた。
しかし、いくら考えても思考は同じところをぐるぐる回り、一向にいい答えは出てこない、そのことに焦りを感じて頭を抱えこみ、その行動が今の八方塞がりな自分と重なって見えてしまって、今の自分の姿を振り払うように頭を横に振った。すると、たまたま部屋に置いてあった鏡が目に入ってきた、そこには当然のように今の自分の姿が映し出されていた。
「…………ハハッ……見る影もないな、俺……」
俺は自嘲気味につぶやく、鏡に映った自分の姿は以前とは余りにもかけ離れすぎていて、俺から見ても未だに違和感を覚えるくらいに違いすぎている。俺自身ですらこんな感覚なんだから他人が見たら間違いなくわからないだろう、俺が佐伯ですって訴え続けても信じてくれるかどうかわからない。
「……悠伎は……信じてくれるかな…………」
その時、俺の中で言い表せない恐怖と期待が胸の中で沸き起こった。それらとともに、今まで悠伎と一緒に過ごしてきた日々の思い出が、俺の頭の中を駆け巡った。
〝そんな暗い顔で下を向いていても楽しくないだろ? 俺と一緒に楽しいことしようぜ!〟
そう言っていつも教室の端の方で縮こまっていた俺を連れ出してくれた。
〝お前ゲームめちゃくちゃ強えのな、だけど次は負けねえぞ!!〟
俺の家で対戦ゲームをして負けたとき、悔しそうにしながらリベンジ宣言をしていた。
〝もうちょっとだ、もうちょっとで病院に着くから…………あと少し頑張ってくれ佐伯!!〟
自分も怪我をしてるのに、大怪我を負った俺を必死に病院まで連れていってくれた〟
〝大丈夫だ佐伯、たとえ何があったとしても、お前は俺の親友だよ〟
俺が落ち込んで深い闇に呑まれたとき、そんな言葉を投げかけて暗闇から引っ張り出してくれた。
それ以外にも様々な思い出が頭の中に浮かんでは消えていく、悠木の笑っている顔、俺の笑っている顔、悠伎の怒っている顔、俺の慌てている顔…………全部俺の大切な思い出のひとかけら。
意見が合わなくて怒鳴り合ったこともあったし、喧嘩をしたこともあった。時にはお互い血が上って殴り合ったことだってあった、それでも最終的には仲直りしたし、いつも一緒にいた親友だ。
そして、俺が初めて、心から信じられて、一緒にいて安心できる俺の唯一の人。
〝失いたくない〟
「うう……ひっく……ひっく……」
その思いが心の中をかけ巡ったとたん、俺の頬を無数の透明なしずくが流れていく。
今まで隣にいることが当たり前だった人、それゆえに自分のそばから居なくなるなんて考えたこともなかった、考えることができなかった。
「――――えき――――」
そんな時、家の玄関ぐらいから声が聞こえてきた。悠伎にはいざという時の為に鍵の場所を知らせてある、あともう少しでこの部屋にも来てしまうだろう。
〝そんな姿、佐伯じゃない!!〟
悠伎の声が俺の頭の中で響きわたる。
「……ッ!!」
それはありもしない可能性の話、あの優しい悠伎の事だからそんな筈はないと俺の心が叫ぶが、どうしてもその光景が、その言葉が脳裏に焼き付いて離れない。
「佐伯!!」
「…………悠……伎……?」
今度ははっきりと悠伎の声が聞こえてくる。それに対しての俺の声は酷くかすれたものだった。
「佐伯、家の中にいたのか、いるならいると返事をし…………」
「こないでっ!!」
悠伎は心配そうな声でこちらに尋ねてくるが、精神的に参っていてどうすれば自分の姿を見られないで済むかということしか頭の中に無かった俺は、反射的に拒絶の言葉を発していた。
その後も悠伎は俺に何かを話しかけてくるけど、俺の耳には何も入ってこない。悠伎にこの姿を見られたくない、拒絶されたくないという思いからなんとかして悠伎を帰らせようと必死だった。しかし
「佐伯、お前が俺の事をどう思っているのかはわからない。でも、俺はお前の事をかけがえのない友人だと思っている。そんな友人が苦しんでるのに無視するなんて俺には出来ないし、するつもりもない」
そんな悠伎の言葉によって俺の口は止まった。昔、俺が今と同じようにふさぎこんで拒絶してしまった時にも悠伎はこうやって何度も何度も俺に呼びかけてくれたことを思い出した。
そして俺の口からは自然と言葉が紡がれていた。
「…………ねぇ、悠伎は、約束してくれる? 俺が……どんな姿になっても…………俺のそばから離れないでいてくれる……?」
それは最後の確認、臆病な俺が自分自身を守るための、最後の約束。
「ああ、大丈夫だ。俺はお前が離れない限りそばにいるし、ずっとお前の味方だよ」
…………ずるいよ悠伎、そんなこと言われたら俺、悠伎のことを信じるしかなくなるじゃないか…………はぁー、と俺はため息をつく、こうなった悠伎はテコでも動かない。
「入ってきて」
そこからのことはあまり覚えていない、拒絶されることはまだ怖かったし不安もまだあった、それでも悠伎なら今の俺をことを信じて、今の俺の姿を受け入れてくれると思って話した。
「うん、以前とは全く違う姿になってしまったけど、俺は俺だよ」
言いたいことは言い切った、まだまだ説明しなければならないことはたくさんある。でも、ここから先に進むには俺一人の力では進めない、悠伎がいてくれて初めて前に進む事ができる。
俺は願う、悠伎が受け入れてくれることを、ただ一人の親友を失いたくないと……
ついに悠伎が口を開いた、その口から紡がれる言葉ははたして肯定か、それとも……
「…………カワイイ」
「…………え?」
悠伎の口から放たれた言葉は、そんな言葉だった。
…………
……………………
…………………………………………
………………………………………………………………
え? それだけ?
え? え? 俺があれだけ迷って、あれだけ不安になって、悩んで悩んで、そしてなけなしの勇気を振り絞って告白した事に対してたった四文字? しかも肯定でも否定でもないし。
「え? それだけ? しかも俺のこの姿を見て最初に出る言葉ってそれ?」
「ええ、ああうん、まあ確かになんでそんな姿にとか他に言うことがある気がするけど一番に思い浮かんだのがそれでって俺は何を言ってるんだでもその姿がカワイイのは事実であってあれ俺は何を口走って…………」
「ちょ、ちょっと悠伎落ち着いて言葉が無茶苦茶になってる…………」
どうしようさすがの俺もこの反応は予想外だ、対処の仕方がわからない。
「この銀髪少女が佐伯で佐伯が美少女で可愛くてあばばばば……――――」
(――悠伎君錯乱中につきしばらくお待ちください――)
「で、落ち着いた悠伎?」
「ああ、なんとかな、取り乱してすまなかった」
三十分後、あの後取り乱しまくる悠伎をなんとかなだめて事情を説明し終えた。驚かれるだろうな~とは思ったけどまさかここまで驚かれるとは思ってなかったよ。
「で、佐伯の説明をまとめると、あのゲーセンでの事件で変な薬を打ち込まれたせいでお、女の子の姿に変えられて、今のところもとに戻れる見込みはないと」
「う、うんだいたいあってる」
俺は頷いた。悠伎は俺のいきなりの変化に、俺は悠伎の様子を窺ってお互い少しぎくしゃくしてしまった。
「そ、それであの」「えっとあのだな」
「「……………………」」
二人の声がお互いにかぶり、お互いの声を打ち消してしまう。
「「………………………………………………………………………」」
そのまましばらく無言の状態が続く。どうしよう、何か言わなきゃいけないのに、ちゃんと伝えなきゃいけないのに、気持ちばかりが先に先に走っていってしまっていて焦りだけが積もっていく。
「…………なあ、佐伯」
そうやって俺があたふたしていると、今まで口を噤んでいた悠伎がおもむろに口を開いた。その顔に浮かぶ表情はとても真面目でまっすぐにこちらを見つめている。さっきの慌てぶり様が嘘のようだ。
「なんで……黙っていたんだ?」
「…………」
その言葉に俺は無表情になり、黙り込む。
「辛いんだったら……苦しいんだったらさ、俺に相談してくれよ。一人で抱えこまないでさ」
「……………………」
その言葉に俺は何も言い返さない、口を開いてしまったら何かが爆発してしまいそうだった。
「そんな悲しそうな、切羽詰った表情で、何もなかった、なんて言われてはいそうですかと引き下がれるわけないじゃないか、それが大切な友達なら尚更な」
「…………………………………………っ」
無言、ただそれを貫く。心がざわめき、歯を噛み締める。そうしないと無表情が保てないぐらいに感情が乱されていた、落ち着け俺、落ち着け……
「なあ佐伯……なんで隠そうとしたんだ…………俺じゃダメだったのか?」
「……………………ないで」
ガラリと何かが崩れる音がした。もう、限界だった。極限まで高ぶった感情は濁流のように荒ぶり、抑えることができない。とめどなく流れる激情は、言葉の塊となって放たれる。
「人の気も……知らないで…………!!」
「さ、佐伯?」
悠伎が戸惑った声を上げるが俺の耳には入ってこない、焦りと不安から生まれた負の感情はとどまることを知らない。
「悠伎だから……大切な人だからこそ……知られたくなかった……こんな姿見られたくなかった…………!!」
もう止めることはできない、溢れそうになっていた感情を塞き止めていた心のダムは既に決壊している。今まで溜め込んでいたものがすべて吐き出されていく。
「女になっちゃって……今までの関係が崩れることが怖くて……それでも嫌われたくなくて……離れたくなくて…………!!」
ああ、俺何やってるんだろ、悠伎は俺のことを心配して言ってるのに、それはわかっているのに、これじゃ逆切れもいいとこだ。
「でも……どうすることも出来なくて……相談しようにも信じてもらえるか不安で……どうすればいいかわからなくて…………!!」
「…………」
「ふぇ……グス…………うう…………」
あはは、終わったな俺。悠伎が俺にかけてくれた言葉は全部俺を思ってのことなのに、俺はそれに応えるどころか逆切れ……いくら悠伎優しいやつだとはいえおこってもおかしくはない。
「グス……ヒック……ヒック…………」
「……………………」
悠伎はうつむいていて表情はわからない、でも今の俺の言葉で呆れ返ってしまったんだろう。もう少ししたら出ていってしまうかもしれない、全部自分が悪いはずなのに涙が止まらない。
「…………」
すると悠伎は立ち上がり俺の方へ近づいてきた。俺は見せる顔が無くただうつむくのみ。そして俺の目の前で悠伎は立ち止まった、何を言われるんだろう、もしかしたら殴られるかもしれない。
ギュッと目をつむり、耐える準備をする。今の俺に出来ることはこれぐらいしかない、自分の弱さに情けなくなる。
…………
……………………
………………………………
…………………………………………
しかし、何時までたっても何も言われないし何も痛みを感じない、どうしたんだろうと思いおそるおそる目を開けてみるとそこにはもう少しで触れ合いそうなほどに接近した悠伎の顔が、そして
「ちっと食いしばれ」
「へ…………」
そんな言葉と共に悠伎の手が俺の頬に? って
「いひゃいいひゃいのばひゃないでひぎれるひぎれる!!」
「もうごちゃごちゃ言うのもなんだから単刀直入に言う、もっと俺を信じろ、そして頼れ」
「ふぃ?」
その言葉に俺は変な声が出る、っていうか悠伎が頬引っ張ったままだから変な声しか出ない。
「俺はお前のことを信用している、だから今のお前のことだって信じられるし、信用できる」
俺は悠伎を見つめている、そうやってないとまた何かが溢れ出してきそうだった。
「だから辛かったら俺を頼れ、遠慮なんてする必要はないし今回みたいに勝手に一人で抱え込まれたり隠し事をされる方が俺としては非常に迷惑だ。」
そう言って悠伎は俺の頬から手を放し、今度は俺を抱きしめてきた。けして離さないとでも言うかのように強く、それでいて包み込むように優しく。その腕の中は親に抱かれているみたいでとても温かかった。
「お前の苦しみは俺が受け止める、お前の悲しみは俺も背負う。何があっても俺はお前の側にいる、それは佐伯の姿が変わろうが関係ない」
「本当? 本当にずっと一緒にいてくれる……? こんな俺でも受け止めてくれる…………?」
それは本当の最後の確認、臆病な俺が一歩踏み出すための、勇気をくれる一言が欲しい。
「ああ、当たり前だ、たとえ佐伯が拒否したって俺はお前の親友だよ」
その一言で、俺の中で凍りついていた氷が溶けていくように心が暖かくなるのを感じる。
俺はただ怖がっていただけだった、問題を先送りにして逃げて、拒絶されることが怖くて向き合おうとしなかった、でもそれじゃダメだったんだ。ちゃんと向き合わないと行けなかった、悠伎にも、自分にも。
「うう…………」
「…………今まで辛かったんだろ? 思う存分胸を貸してやるから泣けよ、涙が枯れるまで」
ふふ、誰の……せいで……グス……悩んだと思って……ヒック……るのかな悠伎は、これ……うう…は俺を不安にさ……せた罰だ。その言葉のと……グス……おり思う存……うえ……分甘えさせてもら……ヒック……う。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そして俺は、しばらく悠伎の胸の中で泣き続けた。心のうちに溜まってるものをすべて吐き出すように。