これからどうすればいい……?
悠伎から電話がかかってきた。
本来ならばそれは当たり前の事であり日常のごくごく一部だった。だから俺はいつもどおりに電話にでていつもどおりの対応をしてしまった。でももう自分の姿は以前の男の姿ではなく、女の姿になってしまっている。その事に動揺した俺は悠伎にそれを悟られた。悠伎から様子が変だと言われたとき、体が震え、何故か本当のことを言えなかった。
そして、悠伎が家に来ると言ったとき俺は焦った、悠伎は何回も俺の家に来ている、焦る要素など何一つないはずなのに心がざわつく。あともう少しで悠伎が来る、俺の姿が見られる、そんないつもなら当たり前の事に俺はどうしようもない不安を感じていた。
「どうする……どうする俺……考えろ……考えるんだ俺…………!!」
頭の中で様々な状況が浮かんでは消える、この姿を見て悠伎はどう思うだろうか? どんな顔をするのだろう? 驚くのだろうか? 悲しむのだろうか? それとも……
「………………………………………………………………」
その可能性を考えたとき、俺の体を酷い寒気が襲った。
体の震えが止まらず自分の体を抱きかかえるも、体の震えは収まらない。
驚いただけだったらいい、その時は女になっちゃった、と言って茶化せばいい。
悲しんだだけだったらいい、その時は大丈夫だよ、と言って軽く笑い飛ばせばいい。
だけど、もし…………
「…………もし、気味悪がられたりしたら………………」
その時俺は…………どうすればいいんだろう…………?
俺は今一人暮らしをしている、と言っても両親がいないわけじゃなく、二人とも海外で仕事をしている。
中学一年生の頃合まではちょくちょく帰ってきていたし、連絡も取れていたんだけど……ここのところ全く連絡が取れない。仕送りがちゃんと来ているから生きてはいるんだろうけどね…………まあ今は置いておこう。
大事なのはそこではなく、俺の近くには家族がいない、ここが大問題なのだ。
その理由は、俺が通う高校はそこそこのレベルの学校で、中学は地元の普通の学校だった。そして俺は自分で言うのもなんだけど地味な奴なので、友達はほとんどいなかった(というか悠枝以外とはほとんど喋れなかった)。つまり、俺が行く高校で知っている生徒は悠伎ただ一人だけだと思う。家には知り合いがいない。そして俺は人見知りでコミュ症だ、悠枝がいなかったら俺は学校でも家でも、それ以外でもずっと一人になるだろう…………
じゃあもし悠伎に嫌われてしまったら…………?
「う…………………………………………」
さっきから震えが止まらない、怖い、怖い、怖いこわいコワいコワイ…………!!
一人でいることには慣れたはずだった。
またあの一人ぼっちの自分にもどるだけだったはずだ。
また昔の頃の自分にもどるだけのはずなのに……
それなのに……それだけなのに…………どうして…………
「どうして……こんなにも…………心が痛いの………………?」
ーー視点変更ーー
タッタッタッ…………
今、俺は佐伯の家に向かって少し速めに走っている。え? なんで全速力で走らないのかって? 俺も走りたいのはやまやまなんだが、通行人が多すぎて全速力が出せない、って誰に話してるんだろ俺……
まあそのことは置いといて、さっき佐伯と電話したとき変に様子がおかしかった。いつも変って言えば変だが、なんていうか……ものすごく焦っている感じだった。普段のあいつはポワポワしていていつも明るく、見ている側が元気をもらえるほどだ。(人見知りをするので仲良くならないとすぐ逃げてしまうが)しかし、さっきのあいつはどことなく暗く、何かに怯えているようだった。
「………………………………」
自然と歩く足が速まる、今も相変わらず道が混んでいて、時折人とぶつかってしまう。道行く通行人はそんな俺を見て訝しげな視線を向けるが、俺はそれでも歩くスピードを遅めることは無かった。
なんだろうか、何故か焦燥感に駆られる、胸騒ぎがする、不安感が拭いきれない。
「くっ……!!」
気が付いたら俺は全速力で走り出していた。
(なんだ……この胸を締め付けるモヤモヤと焦燥感は!?)
前にもこのように佐伯の様子がおかしくなった事があった。あの時、佐伯はなんでもないと言いながらも、その裏では苦しみ、悲しみ、そして辛さに心を痛めていた。あいつは普段はこっちが困るほど明るいくせに、その実とても臆病で自分が思っていることを簡単には表に出さない、胸の内に溜め込んでしまう。
「…………ついた!!」
ここまでフルスピードで走ってきたせいだろう肩は激しく上下し、呼吸も乱れている。取り敢えず息を整えたあと、俺は意を決して佐伯の家のインターホンを押した。
「佐伯!! いるか!! 俺だ、悠伎だ!! 」
そう言いながら俺は佐伯の家のインターホンを押す、出てこない、もう一回押す、反応がない。
「佐伯!! いないのか!! 居るんだったら返事をしてくれ!!」
それでも返事は返ってこない、もしかしてどっかに出かけたのか? それで出かける用事があったから俺に来たらダメといったんだろうか、もしそうなら俺は単なる勘違いで意味も無く大声を上げながら全力疾走したただの大馬鹿野郎じゃないか。
「仕方がない、一旦佐伯に電話をかけ直して……?」
なんだろう、今家の中から何か音が聞こえたような、気のせいか……?
「―――――――――――――」
いや、気のせいなんかじゃない、今確かに音がした、しかもこれは人の声だ。だけど何を言っているのか小さすぎてよく聞こえない、少し耳を澄ましてみる。
「――――うっ――うっ――――」
「…………………!!」
間違いない、今度はわずかにだがはっきりと聞こえた。この家に住んでいるのは佐伯だけなので今の声はおそらく佐伯のものだろう、しかも今の声は間違いなく泣いている声、すすり泣きしているときに出る声だった。
そうとわかった時の俺の対応は早かった、まずはインターホンの横にあるポストの中に入っている金庫を引っ張りだし、番号を合わせて中に入っている鍵を取り出す。そしてそのまま玄関に向かい鍵を開ける、ここまでの作業時間にして約7秒、急いで靴を脱ぎ、家に上がる。
「佐伯!!」
「…………悠……伎……?」
家の奧の方から佐伯の声が聞こえてきた、やっぱり家の中にいたようだ。しかし、何か……妙に引っかかる。その違和感を押し込めて、なぜ反応がなかったのか聞いてみる。
「佐伯、家の中にいたのか、いるならいると返事をし…………」
「こないでっ!!」
質問は最後まで言えなかった、久しぶりに会った佐伯が発した第一声は、拒絶、そのことに俺は動揺した。俺は佐伯とはそこそこ長い付き合いをしていて親友と呼べる位にはなっていると思う。昔の佐伯ならともかく、仲良くなった後の佐伯とは冗談を言い合う時以外、ここまで明確な拒絶をされたことはなかった。
「さ、佐伯? いきなりどうしたんだ?」
「いいからこないでっ!!」
再度の問いかけにも返ってきたのははっきりとした拒絶の声、訳が分からず、俺は混乱する。佐伯はやっぱり泣いているようだった、その事がさらに俺の混乱に拍車をかけ、胸の中にあった違和感も増していく。
どうして? なんで佐伯は会うことを拒絶している? なんで声を押し殺すように泣いている?
原因はわかる、というより最近起きたことで原因になりそうな事といったひとつしかない、だけどわからないのはなんで泣いているのかという事、理由が分からない。こればっかりは本人に聞いてみないとどうしようもないであろう。
「…………ッ!?」
俺は佐伯に直接会うために意を決して歩き出す、その足音に佐伯の息を呑む声が聞こえた。そうするほどに俺に会いたくない理由があるのだろう。本当はここで何も言わないままに帰るほうがいいのかもしれない、気持ちの整理がつくまでそっとしておいてやるのが正しいのかもしれない。
「でも、ほっとけない、ほっておくなんて俺には出来ない……!!」
自然と口から出た、俺の本音。長年付き合ってきた親友として見過ごすなんてできないし、したくもない。佐伯の心の中にある悲しみを少しでも減らせれば、抱えている不安を少しでも負担できればと思っている。もう佐伯の悲しみに染まった顔なんてみたくない。
一歩、また一歩と近づいて行きついには佐伯の部屋の前まで来た、佐伯はどう思っているかわからないが、俺は会わなければいけないと思う。問題を先延ばしにしていてもいい事はない。
「悠木……お願い……今日は帰って……お願いだから…………」
「佐伯、お前が俺の事をどう思っているのかはわからない。でも、俺はお前の事をかけがえのない友人だと思っている。そんな友人が苦しんでるのに無視するなんて俺には出来ないし、するつもりもない」
後から思えばこの時の俺って相当恥ずかしいこと言ってたんだな、普段なら恥ずかしくて言えないような言葉でもこの時は口からスラスラと出てきた。
「なあ、佐伯の身に何があったのか、話してくれないか?」
「…………」
佐伯は何も言わない、俺も言いたいことは言ったため黙る。そうしてどれくらいの時間が流れただろうか、実際にはほんの3分ぐらいの沈黙だったのだろうけど、俺には30分にも3時間にも感じられた。
「…………ねぇ、悠伎は、約束してくれる?」
おもむろに佐伯が俺に語りかけてきた、俺は黙って続きを促す、
「俺が……どんな姿になっても…………俺のそばから離れないでいてくれる……?」
もしかしたらあの謎の薬のせいで姿が変わってしまったんだろうか、いや今の言い方からしてそれは間違いないんだろうな、だけど俺の答えは変わらない。
「ああ、大丈夫だ。俺はお前が離れない限りそばにいるし、ずっとお前の味方だよ」
「…………ッ!!」
再び佐伯の息を呑む声が聞こえた。そして再び沈黙、いや、佐伯はこちらに聞こえないような小さな声で何かをつぶやいていた。しばらくするとはぁー、と息を吐く音がして
「入ってきて」
と短く入室許可の返事をくれた、ここからは俺も覚悟を決めよう。佐伯がどんな姿になっていても、佐伯は佐伯だと受け止めなければならない。
「じゃあ、入るぞ」
「うん、来て」
お互い緊張した声で確認を取る、俺は佐伯のどんな姿を見ても動揺してはいけない、覚悟は決めたが、佐伯がここまで隠そうとする姿を見ていつも通りでいられる自信はなかった。
「…………」
ドアを開ける前に一度深呼吸をする。色々な事を想定したけど、もしかしたら俺も佐伯も少し考えすぎなのかもしれない。こんな心配しなくてもいつも通りでいられるかもしれない。そうだ、悪い方向で考えるよりは、いい方向で考えよう、俺たちの絆はこんなもんじゃ壊れない。
ギィィィ……
そんな音を立てて、佐伯と俺を隔てていたドアが開いていく。そんな時俺は、このドア修理したほうがいいんじゃないかとか、そんなどうでもいいことを考えていた。
「…………久しぶりだね、悠伎」
「………………………………!?」
佐伯はそう言っていつも通りに挨拶してきたが、俺は声を出さなかった、否、驚きのあまり声を出すことができなかった。
佐伯の姿があまりにも変わっていたから?
いや、それもあるけど佐伯は佐伯だ、それが根本的な理由じゃない。
佐伯の姿があまりにも醜かったから?
違う、佐伯が姿を見せることここまで拒んでいたからその可能性もあると考えていたけど、違う、むしろその逆だ。
「お前は……本当に佐伯なのか?」
「うん、以前とは全く違う姿になってしまったけど、俺は俺だよ」
そう言って目の前にいる人物は悲しげに微笑む。俺は空いた口が塞がらないとはこういうことを言うんだなと思いつつ、目の前の人物に目が釘付けの状態になっている。佐伯は、少女になっていた、それも銀髪で少し儚げな感じが印象的な美しい少女に、そんな佐伯を見た俺が咄嗟に出した言葉は
「…………カワイイ」
「…………え?」
こんな言葉だった。