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ローレライの歌  作者: 奈月遥
4/5

恋の終わり

 朝早く、ローレライが流れるような髪を波打たせて泳いでゆくのを、多くの人魚達が見送った。

 彼女は恋人に逢いにゆくのであり、その恋人は美しい彼女に相応しい人だった。

 その名をヴィンセントという。この近辺を治める騎士の御曹司だ。

 彼女をよく知る者も、噂に聞くだけの者も、ありとあらゆる者が二人を祝福し、絶賛した。

 ローレライも、そうしてみんなに認められたことが嬉しいのか、眩いばかりの笑顔をいつも振り撒いていた。

 しかし、その太陽が雲に隠れることもある。

 ヴィンセントは度々、遠くへと出掛けることがあった。

 事前から決まっている時は当然、ローレライに言い聞かせてから行くのだが、時折急に逢えなくなることもあった。

 そんな日は、寂しくて胸が締め付けられて、部屋に籠り人知れず泣くのだった。

 そしてヴィンセントに逢える時を思い描いて、眠ることも出来ずに夜を過ごす。

 それほどに大きな恋心を、いつからかローレライは抱いていた。

 だからヴィンセントの所へ辿り着いてすぐに、彼の胸に飛び込んだ。

「ヴィンセント、ひさしぶり!」

「久しぶりって、三日前に会っただろうが」

「そうだけど、ひさしぶりだよ!」

 ローレライがあまりに力を込めるものだから、ヴィンセントはバランスを崩して膝を付いた。しかし、彼女に絡めた腕を解きはしない。

 そして、柔らかな彼女の唇に、自分のそれを、そっと当てる。

 水のせせらぎが、ローレライの甘い吐息をヴィンセントだけのものにする。

 長く永遠にも思える一瞬だけの口づけ。

 離れてゆくヴィンセントを、ローレライは名残惜しげに見詰める。

「ローレライ、歌を聞かせてくれよ」

 しかしヴィンセントがそう頼むから、ローレライはその気持ちを押し込めた。そして恋人の願いを快く承知する。

 ローレライが歌うのは、ラインの大いなる流れ、それがもたらす豊かな恵み、可憐に咲く撫子、水の中から見た陽射しの煌めき、星の瞬き……そして、ヴィンセントに出会えた喜び。

 楽しみと希望と喜びに彩られた暖かな歌に、ヴィンセントは耳を傾けて聴き入っている。

だが、不意にローレライは歌を止めた。

「どうした?」

 ヴィンセントは尋ねるが、ローレライは逡巡を見せ、恥ずかしげに顔を背けるだけだった。

 具合でも悪いのかと、ヴィンセントは顔を曇らせる。

「あのね」

「ああ、なんだ?」

「わたし、あなたの話が聞きたいな」

「俺の?」

「うん。わたし、あなたのこと、もっと知りたい」

 そこまで言われて、ヴィンセントは自分がいつもローレライにばかり話させていた事実に気付いた。

「ああ、そうか。そういうことか。別におもしろくはないぞ。いいんだな?」

 ローレライは、ぱっと顔を輝かせた。

「うん! 聞かせて、お願い!」

 あまりに喜ぶローレライに、ヴィンセントは押され気味になりながらも、ぽつりぽつりと話を始めた。

 だが、ヴィンセントは騎士。

 語るに足るものは、ローレライには何の関係もない政治のことと、自らが嫌う戦争のことのみ。

 武門に秀でた一族として人殺しの物語に底はないが、そんなものを誇ることなど、ヴィンセントは出来なかった。

 語るにつれて色濃くなるその影を、ローレライが見逃すはずがなかった。

「ヴィンセント……悲しいの?」

 ローレライには、ヴィンセントが今にも泣き出しそうに見えた。

 だから、震えるその体を優しく抱き締める。

「どうして人は戦うのかな?」

 ローレライの問いかけにヴィンセントは答えられない。

 しかし彼女は、答えを望んだ訳ではなかった。

「戦わなければいいのにね。……戦う必要のない世の中なら、よかったのにね」

 ローレライの優しい呟き。

 ヴィンセントは、自分に寄りかかるその軽やかな体を強く抱き返した。

 縋りつくように。

 守るように。

 何も語らず、ただ抱き合っていた。

 この静かな場所で、二人は確かな幸せを感じていた。

 ローレライはもう、ヴィンセントがなくては生きられなくなった。

 けれど、人間─それも騎士と人魚がいつまでも一緒にいられる訳がない。別れはヴィンセントが告げた。

「え? ヴィンセント……なんて言ったの?」

「もう会えないって、そう言ったんだ」

 騎士であるヴィンセントに婚約の話が来た。それは人間にとって当たり前で、しかしローレライには信じられない事だった。

「いやだよ! 私、ヴィンセントと一緒にいたいよ!」

「無理だ」

「どうして!?」

「俺は水の中に住めない」

 ローレライはヴィンセントの言葉に息を飲んだ。

 とても当然で、気にもならなくて、でも決定的な壁。

「ごめん、ローレライ……」

 ヴィンセントはローレライの額にキスを落として、いなくなった。

 それからローレライは泣き続けた。

 昼も夜もなく、声が嗄れても涙は涸れず、何年も何十年も泣き続けた。


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