出逢い
ある日のこと。
ローレライの大切な髪飾りを、悪戯好きなカワウソがこっそりと拝借した。
もちろんローレライは、大切な髪飾りを取り返そうとカワウソを追いかける。
しかし、水の中では万能な自慢の鰭でも、魚を捕るのを生業とするカワウソに追い着くのはそう容易ではなかった。
「こらー! 返しなさーい!」
「やーだよ。捕まえられるもんなら捕まえてみなって」
カワウソはスイスイ、スイスイと岩肌を縫い、水草を潜って逃げ続け、ローレライはその後をぴったり着いて行く。
ローレライはカワウソがなかなか捕まらないのに業を煮やして、勢いを付けてカワウソに飛び掛かる。
遂にカワウソを捕らえたローレライ。しかし、彼女は勢い余って河から飛び出して岸辺に打ち上がってしまった。
自分で飛んだローレライでしたが、流石にこれには吃驚して目をぱちぱちさせる。
「あ、こら! 逃げるな」
その隙にちゃっかり逃げようとしていたカワウソをローレライが見逃すはずもなく、尻尾をむんずと掴んで引っ張った。
「返しなさい」
「やーだよ」
穏和で知られるローレライも、この期に及んでも髪飾りを返そうとはしないカワウソには黙っていない。
「『歌』、聴かせるよ」
ローレライは凄味を利かせてそう言った。
実は、女性の人魚は歌に魔力を乗せて魔法を使う事が出来るのだ。魔法を使えばこんな生意気なカワウソなんて一発で泣かせられる。
「い、いやだ!」
「じゃあ、返しなさい」
少し返すのを渋るだけでも、咳払いをして喉の調子を確かめるローレライが恐ろしくて、カワウソは即座に髪飾りを差し出した。
「そう、それでいいの」
ローレライは早速、取り返した髪飾りを着けて具合を確かめる。壊れた様子もなく、いつも通りの髪飾りにローレライはほっと胸を撫で下ろした。
「なんだよ、ケチ!」
「あ、逃げた!」
ローレライは髪飾りに意識を向けた隙にカワウソに逃げられては、腹の虫が収まらない。なんと言っても、あのカワウソのせいで広いライン河を泳ぎ回ることになったのだから。
ローレライはしっとりと濡れたその唇から『歌』を紡ぐ。緩やかに流れる『歌』は風に乗り、ローレライの想いを伝えていく。
そして少し離れた所からカワウソの悲鳴が上がった。
「ふん。これで懲りることね」
カワウソも懲らしめて満足したローレライは河へ戻ろうと視線を向ける。そして、視線を向けたまま固まってしまった。
「戻……るの?ここからあそこに?」
ローレライは何処をどう間違えたのか、河から結構離れた所に横たわっていた。しかも、ローレライがいる所は草が茂っていますが河に近付くに連れて石が多くなり、縁には狼の牙のように鋭い石も見え隠れしている。
足がないローレライは這いつくばっていくしかないのだが、どう考えてもそれは痛い。
「どうしよ……」
途方に暮れるローレライは、取りあえず諸悪の根源をもう一度酷い目に遭わせようか悩んだが、もう位置も分からないので止めておいた。
仕方がないから、石を一つ一つ拾ってはどけて下半身を引き摺って河へと向かう。
しかしそれはとてもゆっくりとしか進めなくて、ローレライが河の縁に辿り着いた時には太陽もだいぶ昇っていた。
「あと、もうちょっと……」
ローレライは喜びから顔を綻ばせる。
危ない石を丁寧に除けて河へ手が届いた時は嬉しくて涙が出そうだった。
「危ない! 退け!」
「え……」
軽快な蹄の音に乗った叫びの方を見ると、明らかに暴走した馬がローレライの方へ突っ込んで来る。
ローレライは渾身の力を振り絞り、踏まれる寸前でそこから飛び退いた。
―─河から離れるように。
間一髪助かったローレライは振り出しに戻っていたのだ。
なんとか馬を宥めた青年がローレライに駆け寄って来る。
「オイ、大丈夫か?」
「──せいだ」
「は?」
「アンタのせいだ! やっと河に戻れると思ったのに!」
いきなり捲し立てられて、青年も憤慨したように声を荒げる。
「なんだよ、訳分かんねぇな! 人魚じゃあるまいし」
「私、人魚だもん! 何処に目付けてるの!」
青年はローレライの指差す下半身を見て、驚いて後退る。
まさか人魚なんて生き物が本当にいるなんて思ってなかったのだろう。
「うわ~ん! 私もうお母さんにもお父さんにも会えないんだー!」
突然泣き出したローレライに青年はたじろいでしまった。
そして責任を感じたのか、彼は一つの提案をした。
「だったら、俺が運んでやるよ」
「え?」
「だから河に帰してやるって言ってんだ」
青年の言葉にローレライは顔を明るくした。
「ほんと? ほんとに戻してくれるの?」
「ああ。一応俺にも責任はあるしな」
ローレライは手を組んで喜び、青年に向かって両手を広げる。
「なんだよ」
「なにって……運んでよ。抱っこ」
「はぁ!? なんで抱っこなんかしなきゃなんねぇんだよ。引き摺ればいいだろ」
「いやだ! 痛いもん」
「ふざけんな! 俺だって嫌だっつの!」
頑として聞かない青年に焦れたローレライは、無理矢理彼の体に抱き着く。
「わ! バカ、離れろ!」
「ちょっと、ちゃんと支えてよ」
往生際の悪い青年に対して、ローレライは顔を近付けて耳元で『歌』った。
すると青年はローレライをお姫様抱っこして支え、河へと足取りを向ける。
「お前、何しやがった!」
「聞き分けないから魔法をかけただけだもん」
自分の体が勝手に動くのが不服な青年は、なんとか抵抗を試みるが、ローレライの紡ぐ麗しい歌声に勝てるはずもなかった。
河の縁に辿り着くと、ローレライは青年の手から滑り落ちて河へ飛び込んだ。
ローレライは安心出来る水の中で数回、回遊して顔を出す。
「ありがとう。助かっちゃった」
「ああ、そうかよ」
ローレライに無理矢理体を使われた青年は、不機嫌を露にして口を尖らせる。
「仕方ないじゃない、早く戻りたかったんだから」
「そうかよ。なら俺はもう用済みだな」
「あ、待って」
用は済んだと踵を返す青年をローレライは呼び止めて手招きする。訝みながらも青年が近付き屈み込むと、ローレライはその頬にキスをした。
「お礼だよ」
流れる金髪をなびかせてまた潜ろうとするローレライの腕を、青年は掴んだ。
何か用があるのかとローレライは振り返る。
「ヴィンセント。俺の名前だ」
「うん。じゃあね、ヴィンセント」
ローレライは青年─―ヴィンセントに別れの挨拶をして河の流れに消えていった。
ヴィンセントはしばらくその姿を無心に追いかける。
「よく見れば、綺麗な奴だった……」
彼もまた、ローレライに魅せられたようだった。