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語り手3…もう一人の戦神

 晴れ渡る空の下、広がる緑一杯の草原に、ど派手な爆音が轟いた。

 噴き上がる土砂に巻き込まれた高原植物が宙を舞う。

 降り注ぐ土埃に交じって、一人の男が落ちてきた。

 身体中に打撲と打ち身の痕をこさえたその男は、完全に目を回してぴくぴく痙攣している。


 と、そこに近付いてくる人影があった。

 戦神アテナだ。

 軽装の鎧に身を包んだ彼女は、埃で汚れた手を叩き、軽く汚れを落としてから倒れた男を見下ろした。

 アテナの一撃で陥没した地面に横たわる男を一瞥すると、彼女はフンと鼻を鳴らす。


「無駄なことに時間を割いたな。いつまでも間抜け面を晒していないで、とっとと仕事に戻るがいい」


 一方的に言い放ち、アテナは踵を返して歩き去っていった。

 後に残されたのは、不様な格好の男のみ。

 焦げ茶色の短い髪の上から兜を被り、黒い軽装の鎧で身を固めたその男の名はアレス。

 れっきとした神々の一員である。


 彼は戦神。

 言わば闘うために存在しているようなものなのだが、何度決闘を申し込んでもアテナには勝てた試しがない。

 今日も今日とてアテナに決闘を申し込んだ途端、華麗な殴打と蹴撃のコンボをくらい、地を噴き上げる程の一撃で宙を舞ったのだった。

 完膚無きまでの敗北。

 いっそ見ていて清々しい程である。

 しかし当人は清々しいはずもなく、ただただ地面に転がるばかりだ。




「痛ってーなークソ」


「馬っ鹿じゃないのー? 毎日毎日よく懲りないわよねー」


 湿布と包帯と絆創膏だらけになったアレスが食堂で愚痴を呟いていると、キューピッドがランチを持って向かい側に座った。

 ベーグルサンドとスープのセットを広げて食べ始める。

 ちなみにアレスは焼肉、豚カツ、カレーうどんにステーキ定食を並べていた。

 勿論おかわり済である。

 キューピッドは一口噛ったベーグルサンドを飲み下し、半眼でアレスを見遣る。


「てゆーかさー、なーんでアテナに喧嘩ふっかけるわけー? どーせ勝てないの、解ってるくせにー」


「お、俺は別に喧嘩ふっかけてる訳じゃねぇよ!」


 アレスは思わず口に入れたカレーうどんの汁を噴いた。

 キューピッドが嫌そうな顔で椅子ごと後退る。

 カレーうどんの汁が撥ねるのも気にせず、アレスはうどんをすすり頬を赤らめた。


「アテナがよぉ……俺が勝ったら付き合ってやってもいいって言うからよ」


「きもっ」


 恥ずかしそうに身体を捩るアレスを目にして、キューピッドは小声で呟いた。

 幸い、アレスには聞こえていなかったようだ。


「……あのさー。それってどう考えても、断りたいから出した条件なんじゃないのー?」


 軽く溜息を吐きながら言い、キューピッドはスープを口に運ぶ。

 二杯目のカレーうどんを平らげ、豚カツにフォークを刺したアレスは、きょとんとした様子で瞬きした。

 そのままソースをたっぷりかけた豚カツを頬張る。

 よく噛んで飲み込んでから、やっとキューピッドが言わんとしていることに気付いたようだ。


「ばっかオメー、そんなわけねぇだろ。アテナの奴はよ、俺がもっと強くカッコよくなったとこが見たいから、そんなこと言ってんだよ」


「うっわ」


 ここまで馬鹿な奴も珍しい。

 うっかりそう言ってしまいそうになったが、キューピッドは辛うじて口を噤むことに成功した。

 口が滑らないように、慌ててベーグルサンドを頬張る。

 スープで流し込み、一息ついたところでアレスに言った。


「あんたさー、今のままじゃいつまで経ってもアテナに認めてもらえないでしょー。いつになったら勝てるわけー?」


 アレスはぐっと言葉を詰まらせた。

 と同時に噛った豚カツも喉に詰まらせ、慌てて水を飲む。

 ドンドンと胸を叩きながら、ようやく飲み下した。


「んぐはっ……おま、変なこと言うんじゃねぇよ……死にかけただろが」


 ゼィゼィと肩で息をするアレスを呆れたように眺めつつ、キューピッドはベーグルサンドを口に放った。

 ナプキンで指先を拭いながら口の中のものを飲み込み、スープもきれいに流し込んで手を合わせる。


「ごちそうさまでしたー。

 これくらいで死にかけてんじゃないわよー。あんた、それでも闘神なのー?

 そんなんだから、生っ白いアスパラモヤシアレスって言われんのよー」


「ちょっと待て。誰がそんなこと言ってんだ?」


 闘神としても男としても不名誉極まりない二つ名に、アレスはこめかみをひくつかせてキューピッドを睨む。

 だがキューピッドはまるで意に介さず立ち上がり、空になったトレイを持って下膳台へと向かった。

 席を離れる直前に、キューピッドは振り返りもせずこう言った。


「アテナに決まってるでしょー」


 それが最後の決め手となった。

 アレスはテーブルに突っ伏して涙する。

 よりによって、あのアテナに言われていたなんて。

 あの『戦女神』『無敵の麗士』と名高いアテナに。


 まさかそこまでランクが下だとは思っていなかった。

 頼もしい戦友くらいには思ってくれているものと。

 おいおい生っ白いアスパラモヤシアレス。

 それでいいのか生っ白いアスパラモヤシアレス。


「いいワケねぇぇぇぇぇ!」


 心の中で自問自答していたアレスは、大声で叫びながら勢い良く立ち上がった。

 遠巻きに眺めていた二人の天使が、思わず後退る。

 アレスは、そんな天使たちの目を気にすることもなく、がばがばがばっと昼食の残りを平らげた。

 食器をガチャガチャ云わせながら下膳台に積み上げ、烈風の如きスピードで食堂から出ていく。

 向かう先はもちろん、


「アテナ!」


「五月蝿い!」


 めごっ!


 アテナに向かって突進してきたアレスの顔面に、彼女の華麗な裏拳がクリティカルヒットする。

 鼻血を噴いて仰向けに倒れたアレスだったが、すぐさま立ち上がりアテナに追い付いた。

 正面に回り込み、彼女の鼻先にびっしと指を突き付ける。


「もう一度俺と勝負しろ!」


「……くだらん。時間の無駄だ」


 一人で闘志を燃やすアレスの手を払い除け、アテナはその場を去ろうとした。

 だが。


「逃げるのか?」


 アレスの一言に、アテナの足が止まる。

 アレスは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、アテナを見ていた。

 そのどや顔が酷く小癪に障り(アテナ談)、アテナのこめかみに青筋が浮かぶ。


「表へ出ろ、小僧。身の程というものを教えてやる」


 ドスの利いた声で言い放ち、アテナは人気のない神殿の裏庭へ向かった。

 アレスもそれに続く。

 乾いた風が吹き抜ける草原で、二人は対峙した。

 その近くには、先程の一戦で陥没した穴がある。

 それ以外にもいくつか戦いの痕跡のようなものがあることから、二人がここで頻繁に拳を交えていることが窺える。


 勝負は一瞬。開戦の合図はなかった。

 アレスがアテナに繰り出した一撃はいともあっさり弾かれ、アテナからのカウンターがアレスに叩き込まれる。

 最高防具の上からでも、まるで上空から地に叩きつけられたような衝撃がアレスを襲う。

 本日、二度目の土埃を噴き上げて、アレスの身体は地面にめり込んだ。


「な……何故勝てない……っ」


 蚊が鳴くようなアレスの呟きを、アテナは鼻で笑う。


「鍛練も積まずに勝てるはずがないだろう、馬鹿者が」


 仰る通りです。

 アレスは心の中で呟いた。

 気合いを入れたからといって、強くなる訳ではない。


 日々の鍛練が力となる。


 昔から、アテナが言っていたことだ。

 最強の戦神などと謳われているが、それでも彼女が毎日鍛練を続けていることを、アレスは知っている。

 それに倣えとアレスも鍛練を続けているのだが、この力の差はいったい……


「貴様の動機は不純なのだ。それでは、いつまで経っても私を超えることはできぬだろうな」


 アレスの心を読んだかのようなアテナの言葉が、アレスの胸に突き刺さった。

 彼女に勝ったら付き合える。そのために振るった拳では、彼女には到底届かない。

 これまで何度決闘を申し込んだことか。

 初めてアテナに勝ちたいと思ったのは、いつのことだっただろう。


 アレスはふと、昔の自分を思い出してみようとした。

 まだ、世界が砕ける前。ゼウスが治める大国の軍にいた頃の自分。

 共に戦い、背を預けた仲間と語り合ったこと。

 あの頃からアテナに勝ちたいと、そう思っていた、はずだ。

 だが、いくら思い出そうとしても、昔の自分はひどく曖昧で輪郭もぼやけていた。

 まるで思い出すことができない。


 こんな、不鮮明な気持ちでアテナに決闘を申し込んでいたのだろうか。

 単にアテナが好きだから?

 いや、それだけではなかったはずだ。


 地面に倒れたまま動かなくなってしまったアレスを心配したのか、アテナはアレスの前にしゃがんで彼を覗き込む。

 そしてそっと手を伸ばし……

 アレスの首根っこを引っ掴んで片手で持ち上げる。


「ぅおあ!?」


「どうした、これしきでくたばった訳ではないだろう?」


 アレスの目の前で、形の良いアテナの唇が動く。

 薄紅を差したそれを見て、改めてアテナも女性だったのだな、と思った。

 もちろん心の中で、だ。

 恐ろしすぎて、とても口には出せない。


「あ」


 そのとき、唐突にアレスは思い出した。

 初めてアテナに会った日のことを。


 アレスとアテナは同期で軍に入隊した。

 軟派で不真面目、度々問題を起こしていたアレスとは違い、真面目で優秀なアテナはどんどん昇格していった。

 このままでは、アテナが手の届かない処へ行ってしまう。

 焦りと悔しさがあった。

 初めて見た彼女は、まだ線の細い少女だったのに。

 だから、守りたいと思ったのだ。自分自身の手で。


 そうか。俺は、守りたかったんだ。


「……なんだ、打ち所でも悪かったのか?」


 アテナを見つめたまま、再び動かなくなってしまったアレスに対し、彼女は怪訝そうに眉をひそめた。

 そんなに強く殴ったつもりはなかったのに、頭がおかしくなったのかと首を傾げる。

 そんなアテナの前で、アレスは笑みを浮かべた。


「アテナ! 俺は強くなるからな!」


「……ほう、本気か?」


 アテナに首を掴まれたままの体勢では、今一つ格好がつかないが、アレスは構わず言い放った。


「勿論だ。誰より強くなって、アテナ、お前を守ってやるからな」


 その言葉を聞いた瞬間に、アテナは彼を掴んでいた手を放す。

 重力に逆らえず再び地面に顔面を埋めたアレスだったが、すぐに土で黒くなった顔を上げた。

 そのときには既に、アテナは立ち上がってアレスに背を向けていた。

 去り際に、少しだけ振り向く。


「楽しみにしている」


 そう言ったアテナの口元に浮かんだ笑みを見逃さず、アレスは試合に勝った闘士のように、両の拳を振り上げた。


「応!」


 アテナの期待に応えるかの如く、声を張り上げる。


 これは、最強の戦神アテナと肩を並べるもう一人の戦神の、遠い昔の物語。




To be continue

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