語り手2…ガラクタ山の少年
俺は昔、カミサマなんて信じてなかった。
だって、どんなに苦しくても、カミサマは助けてくれなかったから。
だから、こっちに来て初めてカミサマを見たときは、なんで助けてくれなかったんだよーって、ちょっと怒っちゃった。
でも、仕方ないんだよね。
世界には、俺よりもっと苦しい人がいて、しかも、俺たちが住むこの世界を支えてなきゃいけなくて、カミサマはすっごく忙しかったんだ。
俺には一応家もあったし、食べ物もあったし、友達だっていた。
だから俺は、きっと幸せだったんだよ。
広々とした川原の一画に、廃材と思しきガラクタが積みあがっている。
その瓦礫の山の天辺に座り、チコはただ、ぼんやりと川の流れを見つめていた。
その隣には、小さな女の子がいる。
先程まで泣いていたのだろうか。
閉ざされた目許は赤い。
静かに寝息をたてる少女と寄り添うように座っていたチコは、誰かの気配を感じて顔を上げた。
「ああ、まあまあ質がいい木材がある。これなら使えそうだな」
チコが座る瓦礫の山の下に、同じ年頃の少年がいた。
チコは身を乗り出して少年を見下ろす。
「おいお前。これは俺んだぞ。勝手に持ってくなよ」
急に声を掛けられ、少年は驚いたように顔を跳ね上げた。
薄い茶色の髪が揺れる。
「そうだったのか。ごめん、気付かなくて」
少年は素直に謝り、持ち帰ろうとしていた木材を戻す。
チコは毒気を抜かれたような気がして肩をすくめた。
「ああ、いいよ少しくらい持ってっても」
チコに言われて、少年はぱっと笑みを浮かべる。
「いいのか? ありがとう」
その少年があまりにも無邪気に笑うので、チコもつられて笑みを浮かべた。
どうやら、悪い奴ではなさそうだ。
少年はサージュと名乗った。
時折、街に来ては人形を売って暮らしているらしい。
今日は売れ行きが悪く、新しい人形を作る材料を買う金がなかったのだそうだ。
それで、このガラクタ山の木材を持って行こうとしたのだという。
「へぇ〜人形かぁ。サっちょんが作ってんの?」
「いや、お祖父さんが……って、その呼び方なんだよ?」
「ん? サージュだから、サっちょん」
変なの、と二人揃って笑い声をあげる。
チコの隣で眠っていた少女が、何事かと目を覚ました。
「あ、起きたのか。そろそろ帰ろ。ママンに怒られるよ」
「ママン?」
未だぼんやりしている少女を背負い、チコは山から降りた。
降りてきて初めて解ったのだが、サージュはチコよりも頭一つ分くらい背が高い。
同い年くらいかと思っていたが、どうやらサージュの方が年上らしい。
「チコー?」
背中の少女が、サージュを指差して首を傾げる。
チコは彼女を下ろして頭を撫でてやった。
「サっちょんだよ。サっちょん」
「サっちゃん?」
少女はにっこり笑って手を振った。挨拶のつもりだろう。
齢のわりに舌足らずな物言いは、彼女が何らかの障害を抱えているのだと示している。
サージュも気付いたのだろうが、特に気にした様子もなく、少女に手を振り返した。
「妹?」
サージュが短く訊ねると、チコは首を横に振った。
「ううん、友達」
「とぉらちー」
チコの真似をして少女が言う。
くせのある黒髪をひょこんと跳ねさせて、少女はサージュに駆け寄った。
「サっちゃーん、アン。アーンー」
そのままサージュに腕を回し、抱きついた姿勢で訴えてくる。
言いたいことが解らないのか、サージュは困ったようにチコを見た。
「アンって言うんだ。アンジュだから、アン」
名前だったのか。
チコに言われて、ようやく納得したようだ。
サージュは腰を屈めてアンに挨拶した。アンは嬉しそうに笑う。
この日以来、サージュは街に来るときに、必ずこのガラクタ山に顔を出すようになった。
チコもその日に合わせてガラクタ山で待っている。
二人で遊んでいられる時間は短いが、それでもチコは、そのときが一番楽しかった。
だが、ある日からぱたりとサージュはガラクタ山に姿を現さなくなった。
まさか悪い病気にでもなったのかと、チコはしばらくの間悶々とした日々を送っていた。
このときチコは知らなかったが、サージュの祖父と兄が亡くなっていたのだ。
それでサージュはガラクタ山に来られなかったのだと、チコは後に知ることになる。
色々とやらなければならない仕事が終わり、サージュは久しぶりにチコに会いに来た。
ガラクタ山に行こうと橋を渡っていると、どこからか女の子の泣き声が聞こえてくる。
アンの声だ。
橋の欄干から顔を覗かせると、ガラクタ山の前にチコとアンが座っているのが見える。
何かあったのだろうか。サージュはガラクタ山へと急いだ。
ガラクタ山の前では、チコが泣き止まないアンを宥めていた。
小さなアンの身体を抱き締め、優しく頭を撫でる。
「チコ!」
突然呼び掛けられて、チコは顔を上げる。
久々に見た友人の顔に、今まで硬い表情を浮かべていたチコに、少しだけ笑顔が戻った。
「サっちょん……よかった、最近来ないから心配してたんだぁ」
「ごめん、色々あって……それより、アンはどうしたんだ? 何かあったのか?」
普段ならサージュに甘えてくるはずのアンは、チコにしがみ付いたまま顔を上げようとしない。
チコもアンを離すつもりがないのか、彼女を抱き締める腕を緩める気配がない。
それどころか、アンをサージュから遠ざけるように背を向けたのだ。
それはサージュに、アンの顔を見せまいとしているようだった。
「……俺、来ちゃまずかった?」
サージュの言葉に、チコは小さく首を振る。
しかしアンのことは、頑なにサージュから遠ざけようとしていた。
「俺には、話せないか?」
言葉の中に、わずかな悲嘆の色を感じて、チコは振り返る。
前回見たときよりも、若干やつれたようなサージュの顔が曇っているのが解った。
自分の態度が友達を傷付けていると知り、チコは逡巡する。
正直に言うべきか、隠し通すか。
サージュに話して、もし嫌悪を示されたらどうしようと、チコは悩んでいたのだ。
だから、少しだけ訊いてみることにした。
「あのさ……サっちょんはさ……娼館知ってる?」
「なっ、ちょ、いきなり何を……」
少しばかり狼狽えた様子で頬を赤らめるところを見ると、どうやら知っているらしい。
チコは年齢に不釣り合いな自嘲めいた笑みを浮かべ、アンを強く抱き締める。
そうして意を決したように、ゆっくりと話し始めた。
「アンはね……娼館の子なんだ」
サージュが息を呑むのが解った。
チコは今までサージュが聞いたこともない程、静かな声で喋り続ける。
アンはまだ幼い頃に、娼館に売られた。
障害を持っていたからなのか、金のためだったのかは解らない。
そのときからアンは、娼館ものになったのだ。
年の頃十を過ぎたとき、初めて客を取らされた。
障害のせいでトラブルも多かった。
優しくしてくれる客ばかりとは限らない。
今回の客もアンの幼児じみた言動が気に障ったらしく、顔が腫れる程殴られた。
サージュがちらりとアンを見ると、確かに頬や瞼が赤く腫れ上がっている。
大人の男に暴行を受けた小さな少女は、すっかり怯えてしまったのだろう。
チコから離れようとしないでいる。
「俺もね、そこで働いてんの」
チコの瞳がかすかに揺れる。
こんなにも寂しそうなチコを、サージュは見たことがなかった。
チコの母は、素性も知れぬ旅人と恋に落ち、家を捨ててまで男について行き、その旅の途中でチコを身籠った。
しかし旅人は、チコが生まれると二人を捨てて、違う女と旅立っていったのだ。
帰る家もなく、頼れる人もいなかった母は、娼館で働き始めた。
成長したチコも、娼館で少年娼婦として働かされることになった。
男に捨てられた淋しさからか、母は酒浸りの生活を送るようになった。
その酒代を稼ぐには、チコも働かなければならなかったのだ。
サージュを見上げ、チコは寂し気に笑う。
「ねぇ……俺たちのこと、けーべつした?」
サージュはまっすぐにチコの視線を受け止め、そして横に首を振る。
「そんなことない。そんな風に、思ったりしない」
そう言ったサージュの顔には、嘲りも同情も含まれていなかった。
サージュは俯くこともなく、目を背けることもなく、ただあるがままの現実を受け止めている。
最初に思った通り、彼はまっすぐで優しい少年なのだ。
チコの口元から笑みが零れる。
「俺、サっちょんになら買われてもいいかな〜」
「ばっ……! 何言ってんだ!」
「うそうそ。サっちょんは真面目くんだにゃ〜」
カッと赤くなったサージュを見て、チコは可笑しそうに笑う。
気付けばアンも泣き止んでいて、チコと一緒に笑っていた。
友達と一緒に笑い合えることが楽しかった。
できることならば、このままでいたかった。
しかし、それは叶わぬことと知る。
街は不穏な空気に包まれつつあった。
教会の対立だと大人たちに聞いたが、チコには今一つピンと来なかった。
カミサマを崇めるのは同じなのに、何か違うから啀み合うのか。
カミサマなんて、結局は誰も助けてくれないのに。
チコは郊外の墓所に座り込み、ぼんやりとそんなことを思った。
目の前には、小さな墓がある。
アンのものだ。
客から感染されたのかは解らないが、アンはしばらく前に高熱を出して倒れた。
そしてつい先日、息を引き取ったのだ。
何故彼女が死ななければならなかったのか。
カミサマは病める者にも、小さき者にも、か弱き者にも、救いの手など差し出さない。
きっとカミサマなんて、存在しないんだ。
存在しないものを崇めるなんて、しかもそれで争うなんて、大人たちはなんて馬鹿なのだろう。
だが、チコの思いを嘲笑うように、馬鹿な大人たちは日に日に数を増していった。
聖職者による異教徒狩りと称した殺人が横行し、街は活気を失っていく。
家族も、友人も、大切なものは戦火に消え、気が付けばそこは……
神の住まう社から、一人の天使が歩いてくる。
本日付で正式に天使として迎え入れられた少年だ。
象牙色の髪は方々に跳ね、愛嬌のある顔をした少年。
「チコ!」
聞き覚えのある声が、空から降ってくる。
顔を上げると、天使の羽を広げた友人が降りてくるところだった。
「……サっちょん?」
「ああ。しばらく見ない間に背が伸びたな。もう『<ruby><rb>チコ</rb><rp>〈</rp><rt>ぼうや</rt><rp>〉</rp></ruby>』なんて呼べないな」
戦火の中に消えた友は、久々の再会だというのに以前と変わらない態度で接してくる。
チコにとって、それはこの上もなく嬉しいことだった。
「お前も天使になったんだな。新しい名前貰ったんだろ?」
「うん! 俺の名前はね……」
明るい日差しの下、少年たちは楽しげに言葉を交わす。
それはチコだった頃から、ずっと欲しかった光景だった。
やっぱり、俺は幸せだったんだよ。
アンは天使にはなれなかったけど、サっちょんとはまた会えたし、昔よりもっと仲良くなれたし。
相手がカミサマだからって、何でもかんでも助けてくれるわけじゃないもん。
結局は、自分がどう思うかってことでしょ?
だったら俺は、幸せだなって思うよ。
だって、その方が毎日楽しいからね。
To be continue