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Anna Side 1

 プライドの高い父親だった。それは、今も変わりはない。貧しかった私のおばあちゃんの家から出た後、私の父親は独力で企業を立ち上げ、貧困からの脱出を成功していた。そのおかげで、今私は生活に苦労はしていないし、運が良いことに、金銭面での苦労も少ない。

 けれど、内面的には父親の幼少時代よりも貧しいと思う。自分の力で、貧困からの脱出を成功した父親のプライドは甚だ高く、その父親が原因で私の人生が大きく狂った事は言うまでもない。社会的な見栄を損なわない為に、私や妹を近辺でも有数の進学校に進学させ、それだけに限らず、友人関係をも制限させた。だから、家庭で友人の会話をすることもなくなったし、自分の部屋に友達を招く機会も無くなった。

 それが、私の内面や、始まったばかりの高校生活を、着実に汚し始めていた。内向的な性格になったのも、厳格で自分の言葉を曲げない父親に圧制され、怯えているからかもしれない。


 中学生から高校に入学しても、正直「自分が高校生になった」なんて自覚は、ほとんど無い。けれど、高校に入学してからは、中学とは違うオーラを確かに感じ取っていた。進学校のレッテルがあるこの学校は、進学校と言うだけあって、集会に出る度に「大学」の二文字を聞く。一番強烈だったのは、入学式の時に進路指導の強面の先生が、「――高に来たからには大学進学を考えていると思いますが」と言ったことだ。勿論その時、「入れさせられたんですけどね」なんて本音は、口が裂けても言えない。

 入学後のオリエンテーションばかりで構成された授業が終わり、本格的に高校の授業に乗り出してから、一カ月くらい経った頃だ。周囲にも数少ない友人が出来始めて、窮屈な思いを覚えることの無くなった放課後。周囲のクラスメートがざわつき始める中、私が帰り支度をしていると、どん、と机を叩く音が響き、私は不意に飛び上がった。

「ねー、杏奈あんな

「ど、どうしたの……? 沙耶ちゃん」

 にっ、と屋島沙耶子やしまさやこちゃんが頬を持ち上げると、彼女の眼鏡の後ろの特徴的な猫目が私の視線に重なった。

「杏奈、今日は帰り予定あるの?」

「あ、今日は、駅前でお母さんが待ってる……」

「じゃあ、それまでなら時間あるよね?」

 私は腕時計に目を落とした。お母さんとの待ち合わせまで、あと大体一時間くらいある。

「……一時間なら良いけど。どこ行くの?」

「駅。ルーズリーフが無くなったから」

 可愛くウインクを見せて、沙耶ちゃんはスクールバッグを背負った。ポニーテールに纏めた髪が、振動で舞う。

「ほら、行こうよ杏奈」

「え、ああ、うん。ちょ、ちょっと待って」

 私は机の中のものを乱暴に取り出し、残すものと持ち帰るものとを確認すると、スクールバッグにいつもより乱雑に詰めた。気付けば沙耶ちゃんは、もう既に教室の入り口で手を振っている。相変わらず、せっかちな子だとつくづく思える。

 椅子に掛けてあったブレザーを着直すと、私は窓に映える街並みを見渡した。湖ノ上の、どちらかと言えば開発されている方にあるこの学校から見える景色は、いつにも増して自然に欠ける。立ち並ぶビル群、静けさだけが広がる住宅街。高校の敷地内に林立する楓の木々だけが、唯一、命が生きる証に見える。

 私は街を照らす濁った空を見た。厚い雲が、太陽の輝きを遮断しているのが見える。雨が降りそうだ。

「ほら、杏奈ー!」

「あ、ごめhん!」

 私は窓から視線をずらして、声を上げる沙耶ちゃんの方を向くと、バッグを肩に掛けて沙耶ちゃんの方へ走った。


 商店街の方は、いつもより活気が薄かった。雲行きが怪しいことも言えてるけれど、いつになく人影が少ない気がする。

 本屋で買い物を済ませると、視線の先で傘を手に、仲睦まじく並んで歩くカップルがいた。男の人と女の人はそれぞれ別の学校の制服を着ているみたいだ。

「気になるの?」

 相当呆けた目をしていたのだろうか、沙耶ちゃんは私の頬をぷにぷにと突っついて、風変わりなものを見ているかのような目で笑った。

「ううん、何か、この街って高校生のカップルが多いな、って思っただけ」

 私は隣町から高校に通っているのだけど、ここまでカップルを多く見たことがない(単に、私の住んでいる街に同年代が少ないからかもしれない)。現に、今のカップルがいなくなると、また別のカップルがやってくる。俄かに、胸のあたりが熱くなった。

「湖ノ上にはね、噂があるんだ」

「……噂?」

 再び歩き始めた沙耶ちゃんが言葉にしたものを、私はオウム返しにする。

「相合い傘なんだけどね。女の子が、意中の人と相合い傘をすると、恋が実るんだって」

 沙耶ちゃんは「まあ、今あたしには相合い傘をしたい人なんていないけど」なんて、それとなく呟いた。私は何だか可笑しくなって、苦笑してしまう。

「何? あたしがそんなこと話すのが、そんなにおかしいの?」

「だって、沙耶ちゃんらしくなくて」

 沙耶ちゃんは、クラスの中で男子をも虐げる(と言われている)ことで有名な、クラス委員長だ。「男子は生かさず殺さず」という、男子が耳にすれば肝を冷やすであろう主義がモットーで、男子に対する人使いがかなり荒いから、異性には全く好かれていない。けれど、女子に対しては誰にでも優しいから、ある意味で姉御みたいな子だ。

「何よ、一応これでも女の子だからね?」

「はいはい」

 沙耶ちゃんは唇を曲げて、不服そうに言う。

「でも、沙耶ちゃん見た目は可愛いから、実は隠れファンとかいるんじゃないかな」

 あながち、嘘ではない。沙耶ちゃんは視線こそ鋭いけれど、体系はスラッとしているし、髪も凄く綺麗な物を持っている。

「無いわよ。というより、あたしが近づけない」

「勿体ないなあ……」

「じゃあ、杏奈はどうなのよ?」

 沙耶ちゃんは声のトーンを変えて言った。

「いる……って言ったら、どうする?」

 私は舌を少しだけ出した。

「……いるの?」

 目の色を変えて、やけに真面目な声で返してくるから、私は思わず頬を少し持ち上げてしまう。

「いなくもない、って言うだけ。もう二年くらい、その人には会ってないから」

 それは、偽りのない真実。二年前の夏、部活で見た人だ。コートの上でチームメイトを叱咤激励して、馬鹿みたいにチームを盛り上げて、弱小と言われていたその学校を、県大会にまで連れて行った――憧れの人。

 今は、その人がどこにいるのかは分からないけど、多分今後出会うことはない。だって、実際その人とは、一言の言葉を交えた事も無いから。

「……意外と、ロマンチストなのね」

「そ、そう?」

 沙耶ちゃんは柔らかに笑った。すると、ぽたり、と鼻の上に雫が落ちてきたのが分かった。私は空を見上げると、教室で見た時より空の色が淀んでいる。

「雨、降り始めたね」

 ぽつりと呟いた私の声に、沙耶ちゃんが口を半開きにさせて言う。

「げ、あたし傘無いんだよね。走ろ、杏奈」

「私、お母さんと待ち合わせして……」

 私はそういったところで、口ごもる。家に戻るということは、また閉塞感ばかりが漂う家に戻るということだ。できれば、雨を振り切って沙耶ちゃんについていきたいけれど、そうすれば後々が怖い。

沙耶ちゃんは怪訝な視線を向けて、一瞬だけ表情を曇らせた。

「そっか。じゃあ、また明日ね」

 すると沙耶ちゃんは、駅の方に届く道を駆け始めて、あっという間に遠くの方へ行ってしまった。さすが元陸上部、と私は呟く。

 再度、空を見上げた。雫が少しずつ、私の顔を掠めていく。雲の厚さからして、本降りになりそうだ。

 そういえば、あの人を初めて見たときも雨だったな、と私は思った。もし会えるのなら、また雨の日に会うのかな――とも。でも、もしあの人と付き合っても、人格を否定する私の父親は、彼を否定するかもしれない。

 私は首を左右に振って、ブレザーに染み込み始めた雫を振り払うように駆け出すと、髪が湿った空気に舞った。そのまま、駅前の方へ駆け出す途中で、雨は足音を立て始めた。



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